第29話 20XX年地球への旅

 翌日、アンゴルモアはドラムバッグを肩にかけて俺の家を訪れる。

 昨日は俺がトイレで席を外している間に、姿をくらましていた。


 その直前には大学院の話をしていて「研究設備の整った施設が手に入るなら、それは世界侵略には必要不可欠だぞ」と向こうが答えていたのを思い出す。


「どちら様で……?」

「タクミのガールフレンドのアンゴルモアだ」


 ガールフレンドというのは理論の飛躍が見られるが、それよりも『アンゴルモア』と馬鹿正直に名乗るものだから俺はソファーから転げ落ちそうになった。20XX年のこの国においてその名前を覚えているのは相当な物好きだろうが、それでも昨日のうちに名前について打ち合わせしておくべきだった。まあ、いますぐに人類を滅ぼすのではないのだし、人間の社会で生きていく偽名を決めておかなければ。


「安藤もあさん?」


 祖母は『アンゴルモア』の名前を知らなかったようで、響きの近い日本人風の名前と間違えてくれた。アンゴルモアが安藤もあ。聞き間違いとしてはありえる範囲か。


「我が名はアン――」


 誇り高き宇宙人が訂正しようとするので、俺は「もあちゃん。よく来てくれたね」と満面の笑みで割り込む。眉間にシワを寄せられたが、そこは我慢して日本人っぽい名前でいてほしい。正体に気付く人間が現れて保健所にでも連れて行かれたら取り返すのが面倒だ。


「俺の部屋に行こうか」


 これ以上何か喋られる前に祖母から離しておこう。足元を見れば、今日はパンプスを履いている。昨日はずっと裸足だった。服装も水着ではなく、ファッション雑誌の表紙の女性が着ていそうなアーガイル柄のニットと膝丈のタイトスカート。例のコズミックパワーでコピーしたのだろうか。


「あ、ああ。邪魔するぞ」


 右手を引っ張って玄関から引き込む。祖母が「あとでお茶持っていくわね」と微笑みかけてくれた。孫の彼女、そんなに気になるか。父親は俺が彼女を連れ込んでも我関せずの人だった。とはいえ祖母もノックなしで入ってくるような人ではないので、その時だけ当たり障りのない会話をしておこう。扉の前で聞き耳を立てる人でもないだろう。人類の滅亡について話しているのを聞かれるのはさすがに、……そのまま病院に連れて行かれても文句は言えない。


「いや、今持っていくよ」

「そう? なら私はお買い物でも行こうかしら」


 興味があるのかないのか。

 まぁ、気を遣ってくれていると解釈しておくのが無難か。それはとても助かる。祖母が帰ってくるまでにこの、人の家で視線をせわしなくキョロキョロと動かしている侵略者と話の帳尻を合わせておかねばなるまい。ウエノ駅で困っている彼女を道案内して意気投合した、ぐらいにしておくか。出会ったのはウエノ駅ではなく不忍池だけど、ウエノ駅のほうがそれっぽい。


「我はタクミのおばあさまとも話したいが」


 三分でいいから黙ってくれねェかな。難しいなら一分でもいい。コズミックパワーで空気を読んでくれよ。できない?


「あら。嬉しい。私ももあちゃんといっぱいお話ししたいわ」

「ふんふん。そうであろう!」


 こいつ自分から『宇宙の果てから来た』って言いそう。困った。さも当然のように、誰にでもできるように言いそう。20XX年の現在、人類はまだ自由に宇宙と地球を行き来するまでには至っていねェんだよな。お前の故郷の星ではできるんだろうけどさァ。


「でも、タクミくんともっと仲良くしてあげてね」


 言い方よ。祖母なりに、俺の境遇は気にしてくれているのだろう。俺が俺の交友関係について詳しくは話していなかったのも悪い。これでも知り合いは多い。向こうから連絡を送ってくるような、一般論では〝友人〟と呼んでも差し支えのない間柄の人物も何人かいる。院に進学したやつもいれば、就職したやつもいた。今度、同期で集まる会合もある。


「心配するでない。タクミと我は、近い将来にこの宇宙船地球号を掌握し、全生命に等しく滅びを与え、新規の神話を創るのだぞ」


 言いやがったよ。

 天を仰ぎたくなるが、堪えた。無理に止めるよりも『ズレている』女というていでいこう。実際にズレてはいるのだから。その方向性でいこう。よし。面食らっている様子の祖母に、俺は「面白い子でしょう?」と言ってのける。俺も突飛すぎてついていけなくて困っているんだよね、という表情を浮かべておけばいい。


「そ、そうね。ユニークでいいんじゃないかしら?」


 ユニークの幅が広い。無差別殺戮をユニークの一言でまとめてしまっていいのか。祖母のその口ぶりは、一切本気にしていない。出会ったばかりの自称『孫のガールフレンド』よりも、順当に俺を信用してくれている。それでいい。


 褒められていると思ったのか、俺の隣の電波女は「ふんふん」と得意げにしている。

 こっちもこっちで、まあ、これでいい。


「して、おばあさまよ」


 まだ何かあんのか。こいつを黙らせるボタンがほしい。できれば見えにくいところについていると助かる。祖母とはできる限り良好な関係を築いておきたいから、その祖母の面前でこいつに対して暴力は振るいたくない。人類を滅亡させようってんだから腹部を殴ったぐらいでは死なないだろう。


「我はなるべくタクミのそばにいたいから、ここに住まわせていただきたい。これはほんの気持ちだ。受け取るのだぞ」


 ドラムバッグをリビングのローテーブルへと投げ捨てた。ドサッと、中に入っているものが崩れる音がする。俺が開けると、中には札束が――どこから盗ってきたんだ、これ……。


「喜べ。これで大学院に行けるぞ?」


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