第28話 Make Into Black


 そのアイドルのお顔のままでは日常生活に支障をきたす上にそのアイドルや関係者から訴えられかねないと伝えると、デスクの上に置いてあった俺の携帯端末を勝手に操作して、どこの誰だかもわからない女性の顔に変えてみせた。


「どう?」


 携帯端末の画面を自身の顔の横に持ってくる。俺は画面をなぞって、その女性のプロフィールらしき文章に目を通した。海外を拠点にし各地で活動しているダンサーらしい。ポールダンスをしている映像のリンクが貼り付けられている。さらっと並べられているこの活動歴に偽りがないのであれば、この地でばったり遭遇することはないだろう。来日公演でもない限りは。


「いいんじゃない?」


 答えてから携帯端末を取り上げようとすると、なぜか膨れっ面になって「好みかと聞いておるのだ」と空いている方の手で突っぱねられた。この侵略者がめんどくさい。俺に好みを聞いてどうする。いずれ二人で破壊するこの社会を一時的に生きていく仮初の姿に、俺の好みが関わってくるものなのか?


「いいんじゃない?」


 疑問を飲み込みながらもう一度同じ言葉を振りかざせば、彼女はふふんと鼻を鳴らして携帯端末を返してくれた。


 顔立ちは東洋系のハーフでショートカットでボーイッシュなスタイル。頭から下はそれなりにメディアでの認知度が高そうなアイドル。改めて鑑みれば、その肉体でポールダンスをしようものなら脳がその踊りを芸術と判断するのは難しいだろう。だから、このアンバランスな組み合わせであれば頭部の知り合いであっても『他人の空似』と考えてくれそうだ。久しぶりにニホンで出会った顔見知りがグラマラスな体型に変わっていたら、十中八九その人とは結びつけないだろう。そうであってほしい、という望みもあるが。


「それとも、タクミはこちらの姿が好みか?」


 アンゴルモアは指をパチリと鳴らすと、後妻さんの姿になってみせる。俺の部屋に写真立てに入れて飾られている、生前に撮った家族写真――俺と父親と、後妻さんとひいちゃんとの四人が一緒に写っている写真はこの一枚しかない――を見たのだろう。コズミックパワーとやらは、その翡翠色の瞳で確認できさえすれば本当にどのような姿にでも肉体を変化させられるらしい。


「タクミの遺伝情報にこの女性は存在しないが、この女性はタクミの何だ」

「何だと思う?」


 俺は上に伸びをしてから、携帯端末を充電器に差し込む。唾液から俺の名前を割り出したとこの宇宙人はのたまった。が、遺伝情報まで読み取られるとは恐れ入る。


「……我は、この女性がタクミの父親の二人目の妻とまで心得ておるぞ」

「うん?」

「心得た上で、何だと聞いておる」

「後妻さんは後妻さんだよ。この家は後妻さんのご実家」


 それ以外に何があるというのか。つくづくめんどくさい。俺は相当面白くなさそうな顔をしていたのか、これ以上の問答は無駄と判断してくれたようで、アンゴルモアは元の顔に戻った。元の顔っていうか、このダンサーの女性の顔がデフォルトの状態になるようだ。まあ、俺が「いいんじゃない?」と言ったからだろう。


「ひいちゃんにはなれないの?」


 胸ポケットに入るサイズになってこの場所まで来たのだから、体格の似ている後妻さんではなくひいちゃんにもなれるはずだ。俺はひいちゃんを指差す。俺の身長が二メートル近くて、ひいちゃんは一メートルほど。連れて歩けば兄妹ではなく親子と間違えられるパターンが多かった。あるいは巨人が小人を連れ去っていく様子。血縁関係がないので致し方ないが、顔は似ていない。


「そちらのちびっ子か。造作もない」


 肉体がみるみるうちに縮んでゆく。髪の毛が伸びて、赤紫色に変化していった。ふんわりと広がったかと思えば瞬時にツインテールへと分かれて結ばれる。


「どうだ?」


 見た目は完璧にひいちゃん。声質が女性のそれなので、俺は反射的に「喋るな」と諌めてしまった。眉間にシワを寄せて唇を尖らせている。かわいい。


「ひいちゃん……」


 ひいちゃんは悪くない。ただ巻き込まれてしまっただけだ。ただ巻き込まれてしまっただけなのに。もう二度と出会えない。死んだ人間は蘇らないのだ。蘇る可能性がもしあったのだとしても『ひいちゃんが死んだ』という事実は覆らない。焼かれて、骨になってしまったオリジナルのひいちゃんではない。今、目の前にいるのは、ひいちゃんの姿を間借りしただけの生命体だ。


 あのときに戻れたらと幾度となく願った。あのときに戻れたなら、俺は院試には行かない。戻って歴史が変えられるのだとしたら、どんな代償でも支払いたい。もとより俺の人生は存在しなかったのだから、俺の命でひいちゃんの人生が戻ってくるのなら、それはとてもとても価値がある。


 父親と後妻さんが出かけるのなら、どこにでも好きなところに出かけてくれ。その行き先が天国であろうと地獄であろうと、どちらであったとしても俺には無関係だ。ひいちゃんは、今、どちらにいるのだろう。天国であってほしい。果たして天国というものがあるのかどうかは、俺にはわからない。わからないが、せめて幸せではあってほしい。


 あの事故は、あいつらのせいじゃあないか。


 恋だの愛だの惚れただのは子どもたる俺たちの問題ではない。後妻さんの元旦那がぜェんぶ悪かったかどうかなんて、あいつまで死んでしまった現在、知りようがない。真実は誰も知らない。誰かが真実を唱えることもない。死人は語らないからだ。


 ともかく、ひいちゃんが巻き込まれたのは許せない。許せなかった。ひいちゃんは悪くない。命を落とす必要なんてどこにもなかった。これが運命だとするのなら、こんな運命は理不尽だ。許されるはずもない。生き残った俺には何ができる?


「ひいちゃん」


 ひいちゃんの容姿を模倣した彼女は、ひいちゃんの遺品たるうさぎのぬいぐるみでその顔を隠して「タクミ」と裏声で呼びかけた。

 手持ち無沙汰になったらしい。

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