第27話 機械仕掛けのオレンジ 〈後編〉

 斯くして、俺はアンゴルモアと出会い、彼女の『新世界のアダムとイヴとなる』計画を手伝う運びとなった。俺にはその場で断る選択肢はあったが、俺は俺自身の意志で彼女に付き添うことにした。この選択に他人の意志は介在しない。俺の選択だ。俺は俺の人生を選んだ。


 後悔はしない。


 ビキニ姿では衆目を集めてしまうのでなんとかならないかと話せば〝コズミックパワー〟とやらで手のひらサイズに小さくなった。俺の専攻は宇宙工学じゃあないから、その〝コズミックパワー〟が一体全体どのような原理で発動しているのかは解析できない。原理はわからないにしろ実際に目の前で起こっているのは確かだ。すんごく非科学的ではあるけども、この現実を受け入れるしかない。


 胸ポケットに彼女を収納して、祖母には気付かれないように自室まで運び込んだ。祖父が帰ってくるのは夕方過ぎだ。俺から見て『祖母、祖父』という関係性にはなるが、お二人とも五十代であり、定年を迎えてはいない。


 俺の部屋で元のサイズに戻り、ベッドに腰掛けた彼女は、俺を抱き寄せる。俺の耳元で「何から話そうか」と囁いた。その大きな瞳は爛々と輝いて、当惑する俺の顔を映し出している。


「どうしてあの場所に?」

「タクミがあの場所にいたからだぞ。むしろ、なぜあのような場所で黄昏ていたのかと、我は聞きたい」


 左手で俺のシャツのボタンを外し始めた。テレビの音楽番組で歌って踊ったり雑誌の表紙を飾ったりするのだからそれ相当な人気者だろうに、一般人の俺を押し倒してくる。


「人類を滅ぼすだとか全生命を滅しだとか『アイドル』である君が滅多なことを言うものじゃあないよ」


 俺に馬乗りになったアンゴルモアは、ふふっと吹き出して「タクミは面白いことを言うな。この我が『アイドル』だのと」とのたまう。そして、次の瞬間にはその顔だけを俺とそっくりに変えてみせた。これもまた〝コズミックパワー〟の為せる業か。俺の顔に女の子の肉体だから、なんだか気持ち悪いな。


「我は宇宙の果てから、タクミと出会うためにこの星に再来した」


 元の顔に戻る。


「宇宙人ってこと?」

「うむ」

「自分は宇宙人であり、その〝コズミックパワー〟により姿を自由自在に変えることができて、宇宙の果てからやってくるぐらいの技術力があり、なおかつこの俺と地球上の全生命を滅ぼして新たな神話を創造したいと?」

「その通り。さすが、タクミは頭がいいな!」


 その『アイドル』ご本人ではない、と。アンゴルモアってのが本名で、アイドルとして活動している芸名が雑誌の表紙で見た名前ってわけじゃあないと。そうおっしゃる。それなら、俺が社会的制裁を加えられる恐れはないか。なら、好きにさせてもらおう。この様子がもし隠し撮りされていたら、このアイドルの子は甚大な被害を被るだろうが、わざわざ一般人の俺の部屋にビデオを設置するような輩はいない。


 一般人でもないのか。俺。


 白昼の交通事故により四人の命が奪われたわけで、この世に取り残された俺になんだかんだと聞き出そうとする連中もいた。俺はその場に応じて、その場しのぎの言葉を紡いだ。奴らが欲しがる文章は自然と頭の中に流れていた。だから、媒体によって内容が違う。一人の人間が語っているのに、正反対の記載になっていて笑えた。どちらも嘘ではない。嘘ではないが、真実とも違う。


「俺と出会うために、というのは嘘じゃあないの?」


 アンゴルモアを抱きしめる。びくりと身体が震えた。偉そうなわりにわかりやすい反応をしてくれるのな。


「そこのオス、と呼びかけられたのを覚えているからさ」

「タクミが大きく成長していたから、後ろ姿では判別できなくて……」


 まあ、そういうことにしておいてあげよう。


「好きの気持ちは、嘘ではないぞ」


 不意の二文字が突き刺さる。この言葉を異性からかけられたとき、その言葉通りに俺のことを好いてくれているのだろうと俺は思うが、俺はどのような反応を返せばいいのかと困ってしまう。心が性欲に押し負けて、過去に何度か女性と付き合ったことはあった。求められるままに相手へ「好き」という言葉を返すことはあっても、本心から「好き」と思ったことはない。どういう気持ちが「好き」なのか、わからない。俺の生育過程において正しい形の『愛情』が注がれなかったからだと心理学の教授には指摘された。知らないよそんなの。


 だとすれば、俺はこのままなのか。


 ひいちゃんだけだ。ひいちゃんだけが俺を『おにいちゃん』として見てくれた。ひいちゃんにしかできない。もう俺には家族はいない。いないのだ。俺の『妹』はひいちゃんだけで、両親を亡くしてしまったから次の『妹』は存在し得ない。祖父母の対応は、俺への同情に近い。喪失感の埋め合わせにはならない。


 他人の『普通』の『ありきたりな人生』は、うらやましいぐらいに輝いていて、まぶしくて、キラキラしていて、どんなに手を伸ばしても届かない。俺が手に入れられるような代物ではない、らしい。


 誰かに付き従うだけの人生ではない。家族がほしい。誰かに命ぜられるままに動く人生ではない。当たり前の幸せがほしい。燃え上がるような熱い情愛ではなく、包み込むような暖かい愛情がほしい。それなのに、誰にも理解してもらえない。恋人がほしいのではない。距離感がわからない。不必要に近づいて、傷つけてしまって、恋人気取りの相手は離れていく。


 俺が悪いのか。そうか。悪いんだな。悪いなら悪いと言ってくれ。反省している顔をしてやるからさァ。よぉく見とけよ。どうしてまた俺は他人に振り回されているのだろう、と気付いてしまって、涙が流れる。勉強ばかりができていても、人間としては未完成らしい。なんらかの障害と診断されたほうが、まだ、諦めがつく。誰かがそうだと言ってほしい。適切な言葉を当てはめて、俺を安心させてくれよ。


「我はタクミに一目惚れしたのだぞ。責任を取ってくれ」


 責任。責任かぁ。……困ったな。

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