第27話 機械仕掛けのオレンジ 〈後編〉


 かくして俺はアンゴルモアと出会い、彼女の『新世界のアダムとイヴとなる』計画を手伝う運びとなった。俺にはその場で断る選択肢はあったが、俺は俺自身の意志で彼女に付き添うことにした。この選択に他人の意志は介在しない。俺の選択だ。俺は俺の人生を選び取った。


 後悔はしない。


 ビキニ姿では衆目を集めてしまうのでなんとかならないかと話せば〝コズミックパワー〟とやらで手のひらサイズに小さくなった。俺の専攻は宇宙工学ではないのでその〝コズミックパワー〟が一体全体どのような原理で発動しているのかは解析できない。原理はわからないにしろ実際に目の前で起こっているのは確かだ。非科学的ではあるが、この現実を受け入れるしかない。

 胸ポケットに彼女を収納すると、祖父母に気付かれずに自室まで運び込んだ。


 ベッドに腰掛けた彼女は、俺を抱き寄せて耳元で「何から話そうか」と囁いた。その大きな瞳は爛々と輝いて、当惑する俺の顔を映し出している。こう、近くで顔を見れば確かにアイドルらしく可愛らしい。


「どうしてあの場所に?」

「タクミがあの場所にいたから我は現れた。むしろ、なぜあのような場所で黄昏ていたのかと我が聞きたい」


 左手で俺のシャツのボタンを外し始めた。テレビの音楽番組で歌って踊ったり雑誌の表紙を飾ったりするのだからそれ相当な人気者だろうに、一般人の俺を押し倒してくる。


「人類を滅ぼすだとか全生命を滅しだとか、アイドルである君が滅多なことを言うものじゃあない」


 俺に馬乗りになったアンゴルモアは、ふふっと吹き出して「タクミは面白いことを言うな。我が偶像だのと」とのたまう。そして、次の瞬間にはその顔だけを俺とそっくりに変えてみせた。これもまた〝コズミックパワー〟の為せる業か。


「我は宇宙の果てから、タクミと出会うために〝転移〟してきたのだぞ」


 元の顔に戻る。


「自分は宇宙人であり、その〝コズミックパワー〟により姿を自由自在に変化させたり〝転移〟したりできて、なおかつこの俺と地球上の全生命を滅ぼして新たな神話を創造したいと?」

「その通り。我はこの宇宙船地球号の新たなる支配者となるべく、来た」


 アイドルご本人ではない、と。それなら、俺が社会的制裁を加えられる恐れはないか。この様子がもし隠し撮りされていたら、この名前も知らないこのアイドルは甚大な被害を被るだろうが、わざわざ一般人の俺の部屋にビデオを設置するような輩はいない。


 一般人でもないのか。俺。


 加害者であり被害者でもある。取り残された俺になんだかんだと聞き出そうとする連中もいた。俺はその場に応じて、その場しのぎの言葉を紡いだ。奴らが欲しがる文章は自然と頭の中に流れていた。だから、媒体によって内容が違う。一人の人間が語っているのに、正反対の記載になっていて笑えた。どちらも嘘ではない。嘘ではないが、真実とも違う。


「俺と出会うために、というのは嘘だろう?」


 アンゴルモアを抱きしめる。びくりと身体が震えた。反応がわかりやすい侵略者で助かる。


「そこのオス、と呼びかけられたのを覚えているからさ」

「――フハハハハハハハハハァ!」


 笑い出した。


「ハッハァ! そうだよ! 我はタクミとキスして、その唾液から生体データを読み取らせてもらったのだよ」


 高性能な宇宙人だ。


「なら、どうしてあの場所に?」


 問い詰めると、アンゴルモアは罰の悪そうな表情になって「本当は、この国の中枢部に直接〝転移〟して殴り込むつもりが、座標を誤ってしまって……」と目を泳がせる。抜けているところもあるようだ。


「好き」


 不意の二文字が突き刺さる。この言葉を異性からかけられたとき、その言葉通りに俺のことを好いてくれているのだろうと俺は思うが、俺はどのような反応を返せばいいのかと困ってしまう。心が性欲に押し負けて、過去に何度か女性と付き合ったことはあった。求められるままに相手へ「好き」という言葉を返すことはあっても、本心から「好き」と思ったことはない。どういう気持ちが「好き」なのか、わからない。俺の生育過程において正しい形の『愛情』が注がれなかったからだと心理学の教授には指摘された。


 なら、俺はこのままなのか。


 ひいちゃんだけだ。ひいちゃんだけが俺を『おにいちゃん』として見てくれた。ひいちゃんにしかできない。もう俺には家族はいない。いないのだ。俺の『妹』はひいちゃんだけで、両親を亡くしてしまったから次の『妹』は存在し得ない。祖父母の対応は、俺への同情に近い。喪失感の埋め合わせにはならない。


 他人の『普通』の『ありきたりな人生』は、うらやましいぐらいに輝いていてまぶしくてキラキラしていて、どんなに手を伸ばしても届かない。


 誰かに付き従うだけの人生ではない。家族がほしい。誰かに命ぜられるままに動く人生ではない。当たり前の幸せがほしい。燃え上がるような熱い情愛ではなく、包み込むような暖かい愛情がほしい。それなのに、誰にも理解してもらえない。恋人がほしいのではない。距離感がわからない。不必要に近づいて、傷つけてしまって、恋人気取りの相手は離れていく。


 俺が悪いのか。そうか。悪いんだな。悪いなら悪いと言ってくれ。反省している顔をしてやるからさァ。よぉく見とけよ。どうしてまた俺は他人に振り回されているのだろう、と気付いてしまって、涙が流れる。勉強ばかりができていても、人間としては未完成らしい。なんらかの障害と診断されたほうが、まだ、諦めがつく。誰かがそうだと言ってほしい。適切な言葉を当てはめて、俺を安心させてくれよ。


「一目惚れだぞ。責任を取ってくれ」


 それでも肉体は正直で、勃起していた。

 もし子どもができたなら宇宙人との合いの子が産まれるのか、と、表情には浮かべずに苦笑する。

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