断章 ― 道化と医者 ― Ⅴ

 最初は五日に一度、それから十日に一度、やがて半月に一度。


 毒を与えられる回数は減っていった。

 相変わらず毒を服用したその日は熱が出て、一刻(*一時間)ほどぐったり寝込んでいたが、苦しみを紛らす方法もわかってきた。千の目を修得するときに一緒に習った呼吸法を使うと、多少は和らぐのだ。気休め程度かもしれないが、オヅマ当人がそう思っていればいいことだ。


 ベッドに横たわっている間、マリーのことを考えた。

 本当にベネディクトがマリーを引き取っていてくれてよかった。

 もしあのまま城で下女としてこき使われていたら、否が応でもオヅマの状況は耳に入ってきただろう。そうなればあの妹のことだ。何もせずにいるわけがない。下手をすればランヴァルトにだって直訴するかもしれない。そんなことになったら、いくら温厚な主君であっても、簡単には許さないはずだ。


 ランヴァルトはオヅマらを受け入れてはくれたが、一度もマリーに対して声をかけたことはなかった。

 彼は時々マリーを冷えた目で見た。

 母が他の男との間につくった子供を、受け入れつつも、許していなかったのかもしれない。


 だとすれば自分は ――― ?


 またわずかな希望が首をもたげてきそうになるのを、オヅマは振り払った。


 ともかく、マリーがここに来ることのないようにせねばならない。

 ベネディクトも今はランヴァルトの所領の一つであるコールキア方面に行っていて不在であったので、彼から伝わる心配もない。

 良かった。本当に、良かった。

 妹にも、あの人のいい養父にも、余計な心配をかけたくない。……



 その日ヴィンツェンツェに渡された毒は、明らかにいつものものと違っていた。

 ゴクリと飲み下した直後に、喉が一気に焼けたように熱くなり、息ができなくなる。

 咳をすることもできず、胃に到達した毒が腹の中で沸騰する。


 冷たい床に倒れてもがき苦しむオヅマを見て、ヴィンツェンツェはニタリと嗤った。


「どうじゃ? 一番初めに与えた毒の味は、覚えておったかいのゥ?」


 オヅマは浅い息をしながら、ヴィンツェンツェに目で問いかける。


 一番初めの毒?

 確か、最初にもらった毒が一番キツかった。

 身体からだがなれていなかったのもあるし、ランヴァルトにもあれを最初に服ませるのはやり過ぎだと、あとでたしなめられていた。


 だがヴィンツェンツェはまったく反省していなかったらしい。


「前の三倍の量を用意してやったゾイ。王侯ゴロシとも言われる貴重な毒をれてやったのだ。ちゃあんと、立派なになるよう、励まねばのォ~」

「…………」


 オヅマはヴィンツェンツェの焦点の合わぬ目を睨みつけた。

 のたうちまわるオヅマを愉しげに見つめる道化の瞳は濁っていて、もはや見えているのかも怪しい。

 必死に歯を食いしばりながら、オヅマは呼吸を整えようとした。

 浅い息が止まろうとしている。

 このままだと、確実に自分は死ぬだろう。


 ハァハァと気息奄々となるオヅマの周囲を、ヴィンツェンツェはスキップしながら歌った。


『亜麻髪の坊やが毒をのんだ、毒をのんだ

 苦しいね、苦しいね

 死んじゃうかな、死んじゃうかな

 そしたら次はそばかす娘

 緑の瞳のそばかす娘

 試してみようか、試してみよう

 泡を吹いて倒れるよ

 白目剥いて倒れるよ

 それも愉快、それも愉快

 きっとあるじも喜びなさる~ゥ』


「…………キ、サマ……」


 嘲るように歌う「そばかす娘」がマリーのことだとわかった瞬間、オヅマの中から苦しさは消えた。

 目の前のフザけた道化への憎悪と怒りが、一気にあふれる。


 オヅマはフラフラと立ち上がった。


「おぉ~う。立った、立った。小僧が立ったよ。虫の息で立ち上がった。おぉ~う、おぉ~う、おぉ~う!」


 枕辺にいつも置いている、初めてランヴァルトからもらった剣を取る。


「おぉ~う。小僧が剣を取った。剣を取ったよ。鞘を抜くよ、さぁ、どうする? どうする? どうする? おぉ~う、おぉ~う」


 刀身を目の前にして、オヅマが殺気をみなぎらせても、ヴィンツェンツェの態度に変わりはなかった。

 まだ踊っている。

 オヅマを挑発するかのように、クルクルと周囲を回って。

 さながら芝居の幕間に出てくる狂言回しのごとく、鈴で拍子をとって語り出す。


「さぁ~、どうする小僧。どうする坊や。この憐れな道化を殺すか、坊や。小さくか弱い、吹けば飛ぶよな年寄りを。醜く卑しいだけの下賤を。おぉ~う、おぉ~う。貴きは優しくあれとあるじ仰言おっしゃるに、愚かな道化一人の戯言ざれごとに ―― 」


 それ以上、ヴィンツェンツェの声を聞くのも苛立たしかった。


 シュン、と振るった剣は、あっさりとヴィンツェンツェの首を刎ねた。


 チリン、と鈴が鳴って道化の体が倒れる。

 コロコロと転がった首は、今しも話そうと口を開いたままだった。


「…………う」


 オヅマはうめいた。

 急に体が重くなる。


 初めてだった。

 初めて自分の意志で、明確な殺意で、殺した。


「あ……あ……」


 カラン、と手から剣が滑り落ちる。

 オヅマは膝をつき、その場に座り込んで項垂れた。


 ずっと嫌いだった。

 ずっと気味が悪く、憎らしい老人だった。

 毒を持ってくるたびに、悪態をついて、嘲って、オヅマをどうしようもなく嫌な気持ちにさせた。


 愚かで、馬鹿な道化を演じて自らを貶めながら、この老人は毒を吐く。

 下賤なる彼の、それが処世なのだ。

 弱者である自分の身を揶揄しながら、愉悦していたのだ。

 相手を激昂させて、それでも自分に手は出せぬと踏んでいたのだろう。


 だが、彼は目算を誤った。

 冗談でも言ってはならないことを口にした。

 オヅマの前で、マリーの命に関わることを……たとえ軽口であったとしても、いや軽く考えておればこそ許せなかった。


 しかし、オヅマの訴えが通ることはないだろう。

 ランヴァルトはこの道化を蔑み、嘲弄しながらも、いつも傍らにはべらせた。なんであれば、秘密すら共有しているようだった。

 小さく醜悪な道化の皮をかぶりながら、おそらくこの老人はランヴァルトにとって、重要な人物であったのだろう。であればこそ、オヅマに定期的に毒を与える役目を担わされたのだ。

 オヅマが清毒を服んだことは、養父のベネディクトはもちろん、師匠リヴァ=デルゼにすら秘匿されていた。知っているのはランヴァルトと、ビョルネ、それにヴィンツェンツェだけだった。


 長く息を吐く。

 気がつくと胸の苦しさがなくなっていた。

 どうやら解毒したらしい。

 熱が一気に下がって大量の汗が噴き出す。


「やれ……慈悲なき子よ」

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