断章 ― 道化と医者 ― Ⅳ

「…………汚いな」


 そこに軽蔑や憐憫はなかった。

 ただ見たままに言っただけ。

 だからこそオヅマは急に自分のみすぼらしい格好が恥ずかしくなった。


 顔を赤くしてうつむこうとするオヅマの顎を、あるじはクイと掴み、上に向ける。

 少し屈んでじっと見つめてこられ、そこでようやくオヅマはこの主の瞳の色が紫紺だとわかった。頭巾を被っているのは、おそらく禿頭で、額にまで伸びた傷痕を隠すためだろう。年齢はよくわからなかった。雰囲気は年経た者らしい成熟も感じさせるが、見た目には横に並ぶ男とそう変わりない気もする。


「……瞳の色が、ミーナと同じだな」


 囁くように言った言葉は、ハッとなるほどに優しくて、愛しそうで、かなしく響いた。

 オヅマはこの人が母を知っているのだとすぐにわかったが、尋ねることはできなかった。

 主はオヅマから手を離すと、いつの間にか来ていた執事らしき人物に何か伝え、馬車に戻った。


「あの笛はしばらく閣下がお預かりになる。必ず返すから、少しだけ貸してほしいとのことだ。いいかな?」


 ベネディクトは問いながらも、オヅマが拒否することは考えていないようだった。実際、オヅマはすぐに了承した。あの笛はおそらくオヅマよりも、主にとって意味あるものなのだ。


 その後、オヅマは大公城ガルデンティアで働くようになった。

 最初は大公家騎士団の下男として。

 騎士らの宿舎の掃除や、汚れた服の洗濯、武具の手入れや、馬の世話。

 気の荒い騎士らに怒鳴られ、こき使われ、足蹴にされることもあったが、オヅマは文句を言わず働いた。

 懸命に働いて、再び主に会える日を待った。


 再び出会えたときに、主は多少身綺麗になったオヅマを見て満足げに笑った。


「確かにお前はミーナの息子だ。ここにいるとよい」


 笛もそのときに返された。


 それから騎士見習いになった。

 ただの騎士見習いの小僧に、この城の主が気さくに声をかけることなど、まず有り得ないことであったので、騎士たちは様々な憶測を巡らせた。

 多くの騎士たちは、オヅマの髪の色が昔の主と同じだと言って、まことしやかに「ご落胤か?」と噂した。

 オヅマはその噂について積極的に否定することもなかったが、自分では有り得ないことだと思っていた。亜麻色の髪など珍しくもないし、北の辺境の村で育った自分に、大公殿下との関わりがあるわけがない。単純に母がここで昔、世話になった、それだけなのだろうと……言い聞かせていた。

 もし、少しでもそんな可能性を考えたら、きっと自分は期待してしまう。


 いつの日かランヴァルトに息子として認められることを。

 誰よりも尊敬する主君を『父』と呼ぶことを。



***



「ま、亜麻色の髪なんて珍しくもないものね。グレヴィリウス公爵や、それこそ次の神女姫みこひめ様のような黒い髪であれば、ちょっと目を引くけども」


 奇天烈頭の医者が、あっさりとオヅマの秘めた願望を打ち消したとき、オヅマはどこか落胆しつつも、ホッとした溜息をついた。


「黒い髪の人なんて、見たことないです」

「そりゃそうだ。黒髪の貴人クンランは徹底的に殺されたしね。その辺り、まだ習ってない?」

「まだ……です」


 歴史を教えてくれていた老人は、自分の研究に没頭しているらしく、最近では滅多とガルデンティアを訪れることもない。


「そっかぁ。ま、追々習うだろうよ。今のところ、僕の知る限りじゃ、真っ当な黒髪は神女姫様だけだよ。グレヴィリウス公爵のは黒っぽいけど、よくよく見れば赤みがかっているんだよな。まぁ、あの家もベルンハルド公以来で、彼の出自は南方五国だったらしいからね。元々、エドヴァルド大帝の側近だったとかいう祖先は……」


 また話が脱線する。

 グレヴィリウス公爵云々については、まったく興味も何もないので、オヅマは早々に話を変えた。


「エドガー先生の髪の色も相当ですよ」

「えっ? そう? いい感じ?」


 褒めたわけではなかったのに、医者は嬉しそうにクルリと回って、そのご自慢の頭を見せてくる。


「一応、メジャーな髪色を全部取り揃えてみたんだ」

「なんですか、それ」


 オヅマは苦笑した。

 医者がクルクル回るのに合わせて、種々の色を纏めた髪の束がブンと目の前を通り過ぎていく。

 オヅマは軽く仰け反ってよけながら、半ばあきれたように言った。


「よくもそんな色に染められましたね」

「そりゃあ、染料から自分で試作して作ったからね。お陰で手がかぶれて大変だった……」


 いかにも大変そうに言いつつも、自慢げに三つ編みの束を掻き上げる。


「本当にエドガー先生って、おかしな人ですね」

「えっ? そう? やっぱり? いやー、困っちゃうねぇ」


 不思議なことにこの医者はおかしいと言うと喜ぶのだ。多くの人間は必要以上に他者との違いを強調しないものだが、彼は他人と違っていることが快いらしい。そんな奇抜な風体と軽薄そうな態度に相違して、能力は高いのだろう。ランヴァルトが無能な者をこの城で医者として雇うことなど有り得ないから。


「ま、身体は特に問題はないね。清毒せいどくは元々、蒼目蝙蝠の内臓をすり潰して作るから、蝙蝠が食べていた毒によっても違いは出るらしいし」

「そうなんですか?」

「ら・し・い。だって、ヴィンツェのお爺ちゃんってば、詳しく教えてくれないんだもの。ズルこいよねぇ、あの人。秘密が多くってさ」


 いかにも不満そうにぷぅと頬を膨らませると、大袈裟に肩をすくめ、ペロッと舌を出しおどけてくる。

 オヅマは声を出して笑った。

 あの醜い小人のような道化を、皆卑しい者と蔑みながらも、得体の知れぬ恐怖を感じて大っぴらに批判する者は少ない。

 ランヴァルトの愛息シモン公子ですらも、ヴィンツェに対しては怯えがあるようなのだ。それなのにこの医者だけは、平気でこんなことを言う。ヴィンツェンツェ当人にすら、軽口を叩くぐらいだ。


 オヅマはシャツを着ると、医者に頭を下げて出て行った。


「ありがとうございました。エドガー・ビョルネ先生」

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