断章 ― 道化と医者 ― Ⅲ
「ふむ……君の毒の印は爪と……
一度見れば強烈な印象を与えるに違いない、奇天烈な髪型をした医者が、オヅマを診察しながらつぶやく。最初に紹介されたときには、彼が医者であるという話が耳に入ってこなかった。
赤や茶、金、白、藍、紫、緑など、種々に染められた髪をそれぞれの色で細かく三つ編みで結い、何百本という三つ編みが束になって太いリボンで結ばれている。あまりにも珍奇すぎる髪型であるので、最初は大道芸人か何かかと思ったほどだ。
だがその奇妙な風体に似合わず、彼は医者であった。
医者といえば、オヅマの認識では相当に頭が良く、自分のような身分の低い者に対しては偉そうであるか、あるいは路傍の石の如く無視する者がほとんどであったが、この医者に限っていえば、まったく偉ぶったところもなく、終始明るく穏やかであった。
医者だと聞き最初は緊張していたオヅマにも屈託なく話しかけてきて、問診も丁寧にしてくれる。城内の人々に対し警戒することの多いオヅマも、彼には割合と心を許していた。
「閣下とは違うのですか?」
「そうだね。閣下も爪の色が変わるところは同じだけど、あとは髪の色が変化していたようだよ。昔は」
「髪の色?」
数度の手術によって、ランヴァルトは禿頭となっている。髪の色が変化していたとしてもわかりようがない。
「閣下も最初から禿げていたわけじゃない……あぁ、いやいや。赤ん坊はそうか。いや、でもたまにとてーも毛むくじゃらに産まれてくる赤ん坊もいるしなぁ。この前ミョーリが産んだ子も、僕より髪が長かったくらい……」
また始まった。
この医者は若い割には有能であるらしいし、それらしい片鱗を見せることもあるのだが、何せ話が脱線しがちなのだ。
オヅマは早々に話を元に戻した。
「閣下の髪の色は……亜麻色だと聞いていますけど」
「そうそう。シモン公子と同じ。っていうか、君とも同じだね」
「…………」
オヅマは返事をしなかった。
胸の奥がキリリと痛む。
ガルデンティアに来てから……ランヴァルトに出会ってから抱いてきた疑問が、また鈍く疼き始める。…………
***
最初にガルデンティアを訪れたとき、門番は面倒そうに硬いパンを投げつけてきて、オヅマらを追い払った。汚い乞食が物をもらいにきたのだと思ったのだろう。それから何度行っても門前払いされ、オヅマはこの城の
紋章のついた立派な馬車が入る時を狙って、オヅマは飛び出すと、母からもらった笛を振って呼びかけた。
「お願いします! ここに行けと母さんに言われたんです! お願いします!! お目通りを! お願いします!!」
それでも馬車はオヅマの前を通り過ぎて中に入り、門は閉じられた。
オヅマは悄然として、トボトボとマリーの待つところに帰ろうとしたが、門の中から男が一人出てきた。その時は知る由もなかったが、その男はベネディクト・アンブロシュだったようだ。後にオヅマが彼の養父となったとき、当人から聞いた。
「その笛を閣下が見たいと
ベネディクトは乞食のような姿のオヅマを見ても、顔をしかめることもなく、嘲りを浮かべることもなかった。誠実そうな彼の態度に、オヅマは一瞬迷ったものの、思いきって笛を預けた。
「母さんが、これを見せたらわかるから……って。ここで昔、働いていたみたいなんです。あ、母さんの名前はミーナといいます」
「そうか。わかった。そのように伝えよう。しばし借り受ける」
丁重に受け取って、ベネディクトはまた門の中に入っていった。止まっている馬車まで駆けていって、中にいる誰かと話しているようだ。
どうなっているのかと、少しばかり心配になりだした頃合いで、ベネディクトが急に
頭を下げる彼の前に、美しい衣を纏った人物が降り立つ。
オヅマはその人物を見た瞬間に、彼こそ、このガルデンティアの
反射的に地面の上に座り込んで、門向こうに立つ貴き人に、深く頭を下げる。
「入りなさい、少年」
門からベネディクトが出てきて、オヅマたちを招き入れた。
オヅマはマリーと手を繋いで歩きながらも、あまりにも畏れ多くて、顔を上げることができなかった。ベネディクトと主たる人の前に来て、再び地面にひれ伏す。
「この笛をミーナからもらったと?」
問うてくる声は、かすかに震えているような気がした。ベネディクトの声ではない。つまり、この城の主が自らオヅマに問いかけてきているのだ。
「あ、あ、あの……」
オヅマもまた緊張で喉が詰まって、なかなか言葉にならなかった。答えを待たず、主はさらに尋ねてくる。
「ミーナがお前の母だと?」
オヅマは一度、息を吐いた。それからはっきりと答えた。
「はい。俺の母さんはミーナという名です。その笛を持って、この城に行けと母さんに言われて来ました」
しばらく主は沈黙した。
オヅマは頭上から強い視線を感じて、ひどく重苦しかった。
やがて再び主は尋ねた。
「お前の名前は?」
「オヅマといいます」
「オヅマ……
小さくつぶやいた言葉の意味はオヅマにはわからなかった。
ただただ、頭を下げて祈った。
どうか母のことを覚えていてくれますように、と。
「顔を上げよ……オヅマ」
言われてオヅマはゴクリと唾をのんだ。
これで主の顔が不機嫌そうに歪んでいたら、もうこれで終わりだ。この場で叩き出されるのならばまだいい。下手をしたら、貴き人の馬車を止めた上に妄言を吐いて無礼を働いたと、腕を切られたりするかもしれない。そうなったら、せめてマリーだけでも助けなければ。エラルドジェイにマリーのことを頼もう。自分はそのまま腕を腐らせて死んでも構わない。
一瞬で覚悟を決めて、オヅマは顔を上げた。
目の前に立っている人の顔を、まっすぐ見つめる。
豪奢な頭巾を被ったその人の表情は、逆光でよく見えなかった。
ただ、顔がわからずとも、目の前に立つ人の威容があまりにも立派で、あまりにも強烈な存在感で迫ってきて、オヅマはただただ圧倒されるばかりだ。
呆然として言葉をなくすオヅマに、ふと主は笑った。
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