断章 ― 道化と医者 ― Ⅵ
急に、ヴィンツェンツェの声が聞こえた。
オヅマは固まった。
幻聴かと思った。
だが、その声は間違いなく、落ちたヴィンツェンツェの首から聞こえた。
オヅマが呆然とその首を見つめていると、向こうを向いていた首がゴロリと動く。さっき何かを言いかけたまま固まっていた顔が、ニタリと嗤った。
オヅマは息を呑んだ。
目の前で起こっていることが理解できない。
自分はまだ解毒できていないのだろうか。
幻覚を見ているのか……?
だが幻覚にしてはハッキリと、ヴィンツェンツェはしゃべった。
「薄情な子……冷酷な子……お前など所詮は駒以下よ……」
「……なに……を……」
オヅマは問いかけたが、喉がカラカラでそれ以上、声が出なかった。
また、息が荒くなる。
汗を大量にかいたせいだろうか。
ひどく寒い……。
オヅマは自らを抱きしめた。
恐怖と寒さでガタガタ震えた。
一体、自分は何を見ている?
何が起こっている?
ここはどこだ?
ここは……こんなところには……自分はいない。
ここに自分はいない……。
どこにも自分はいない……!
必死に念じている間に、気を失ったらしい。
瞳を開けると、いつものようにベッドの中にいて、枕元には白蛇がとぐろを巻いていた。オヅマが目を覚ましたことに気付くと、音もなく動き、チロチロと赤い舌で頬を舐めてくる。
「レ……ナ……」
オヅマはそっと白蛇の冷たい体を撫でた。
母が昔、助けたという蛇は、ランヴァルト以外の人間には誰一人として懐かなかったが、オヅマは別だった。ミーナとの縁を感じているのか、好いてくれているようだった。
「……今回は大変だったようだな」
聞きなじみのある声に顔を向けると、ランヴァルトがベッドの端に腰掛けて穏やかに微笑んでいた。
「閣下……」
オヅマは呼びかけて、ハッと顔を強張らせた。
自分がヴィンツェンツェを殺したことを、ランヴァルトはもう知っているのだろうか?
オヅマはあわてて体を起こした。
「閣下、あ、あ……俺……俺は……ヴィンツェンツェを……」
だがオヅマがすべてを告白する前に、ランヴァルトはそっとオヅマを抱き寄せた。
「大丈夫だ、オヅマ。ヴィンツェのことは心配せずともよい。どうせ口が過ぎたのであろう」
なだめるように、ポンポンと優しく背を叩かれる。
オヅマはどっと押し寄せた安堵に、一気に涙が噴き出した。
幼い子供のようにしゃくり上げて、わぁわぁ叫びながら、ランヴァルトの胸の中で号泣した。
「ごめんなさい、ごめんなさい! すみません、すみません、すみません!!」
ランヴァルトへの謝罪と一緒に、自らの怒りのままに斬ってしまったヴィンツェンツェの死に慟哭する。
あれほどにリヴァ=デルゼの修行の中で殺人を嫌悪しながらも、やはり自分は染まっていたのだ。
仕方ないのだと言い聞かせ、自らの罪に蓋をして、何度も、何人も殺しているうちに、少しずつ尋常でなくなっていった。とうとう怒りのまま、あまりにも簡単にその一線を踏み越えてしまうほどに。
ランヴァルトは泣いているオヅマを慰めることはしなかった。
ただ嘆くオヅマを受け止め、寄り添ってくれる。
それが今のオヅマには一番必要で、何も言わずにいてくれることが、なにより有難かった……。
やがて泣き疲れて喉の渇きを覚えた頃、カチャリと扉が開いて誰かが入ってきた。
入ってきた人物になにげなく目を向けて、オヅマはそれこそ一瞬、息が止まった。
「やれやれ、非道な。こんな端っこに捨てるように置かれて。今まで役に立って参りましたものを……」
質素な灰色のマントを着た男がつぶやく。
ランヴァルトがフンと鼻で嗤った。
「どうせ、お前とて汚物のごとく捨てるのであろう」
「ふん、どれ……あぁこれは……
あきれたように言ってから、男は手に持っていた麻の
ランヴァルトはその様子を黙って見ていたが、ふと思い出したように言った。
「その姿のお前を見るのは久しぶりだな、ヴィンツェ」
「左様でしたかな?」
「いつも醜き老人であったせいか、少々、奇妙な感じだ」
「仕方ございませぬ。知恵というは、老人に与えられるもの。ま、一両日中には再び醜怪なる老人となって戻りましょうほどに、しばしお待ちあれ」
ヴィンツェと呼ばれたその若い男は、恭しくランヴァルトに礼をしてから、自分を凝視するオヅマを見てニコリと微笑んだ。
「そう嘆かれますな、オヅマ公子。爺めは、こうして五体満足、無事にございますれば……」
「『爺』という言葉は正しくないぞ、ヴィンツェ。その見た目ではな」
薄笑いを浮かべて訂正するランヴァルトに、ヴィンツェンツェなる男がおどけたように首をすぼめる。
とぼけた顔は、オヅマのよく知る人物、そのものでしかなかった。
違いがあるとすれば、目の前の男の髪は肩で切り揃えられて短く、肌色が異様に真っ白だということだろうか。生まれてこの方、一度も外を出歩いたことがないかのように。
「では、失礼」
ズルズルと嚢を引きずって、ヴィンツェンツェだという男は部屋から出て行った。
オヅマはずっと喉元まで出かかっていた名前を、とうとう口から発することができなかった。
あまりにも不可解だった。
すべてのことが、オヅマには理解できず、奇妙で不条理な悪夢を延々と見せられているかのようだった。
短く切った紺色の髪、同じ色の瞳。
人を食ったような笑みを浮かべるその表情すらも酷似して……
―――― エラルドジェイ、いったいどうしてアンタが……ここにいる?
オヅマは心の中で呆然とつぶやいた。
<第二部 了 第三部につづく>
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