第四百三十四話 対番の意味(1)

「君の体、一体どうなっているんだ?」


 アドリアンがすっかり困惑した様子で問い詰めてくる。

 午後に起きた腐った茶葉による騒動後、オヅマは自室に戻って安静にしていたのだが、ビョルネ医師の診察を受ける頃にはすっかり悪寒も消え、熱も下がっていた。今、症状として残っているのは、前回の狼狐おおかみぎつねのときと同じように髪の色が黒いまま、ということだけだ。


「いやー、なんだろーなー?」


 オヅマは首をかしげつつ、実のところ自分でも少々驚いてはいた。

 清毒せいどくを服用してから、あらゆる毒になれるまでの間、様々な症状が出るのはわかっていた。

 においては、たいがいの場合、まず発熱。

 特に今回のような飲食物に毒が含まれていた場合は、喉奥が熱くなる。それから爪が黒くなった。

 これは毒に反応している証で、なれた後にも毒を服用すると、必ずこの二つの症状が表れた。他にも体に黒い痣が浮き出たりすることなどはあったが、髪の色が変わることなどあったろうか……?

 で与えられた清毒と、多少成分が違っていたりするのか。

 確か主成分となる蝙蝠が何を食べていたかによっても、多少差異が生じると言っていたような気がする。

 誰だったか、それを教えてくれたのは……あの医者は……。


 思い出しそうになると、ズキリと頭が痛んだ。

 額を押さえたオヅマに、アドリアンがあわてて声をかけてくる。


「大丈夫か、オヅマ」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと別のことで……」

「別のこと?」

「あ、いや。ホラ……あれだ。あの、トーマス先生への問題を考えないといけないからさ」


 言いながら、枕の横に置いていた算術の本を取ろうとして、アドリアンに取り上げられた。


「今日は安静にしておけと言われただろう! 問題作成なんて、君なら本気でやれば一日で出来そうじゃないか」

「そりゃ買いかぶりすぎだよ、お前。あの人に出す問題なんだぜ。そうそう当たり前のものじゃ、絶対に許してもらえねぇよ」

「問題のことなんか、今は置いておけ。自分の体の心配をしろ。この前の狼狐のことといい、何か妙な病気に罹っているんじゃないのか、本当に。ビョルネ先生も初めての症例だって言って、すっかり困り果てていらっしゃったよ」

「ハハハ。ま、そう気にすんなって。俺は元気なんだし」


 笑って言うオヅマが、アドリアンにはどこか白々しく思えた。じいぃと探るように見つめると、オヅマが負けじと睨み返してくる。


「なんだよ」

「君、まさかと思うけど、毒を慣らすために毒をんだりとか……そういう馬鹿げたことしてるんじゃないだろうね?」

「へ?」


 当たらずとも遠からずな質問に、オヅマは内心ギクリとなる。

 アドリアンは強張った顔のオヅマをますます強く睨みつけた。


「前に読んだ本にあったんだよ。主人公の敵役の騎士が、毒をちょっとずつ摂取して毒の効かない体にしていくっていう……。言っておくけど、そんなの小説の中の、創作の、出鱈目な話なんだからな! 毒見のためとか言って、おかしなことしないでくれよ!」


 アドリアンの顔は至極真面目で、怒っているのに、なぜか泣きそうに見える。

 オヅマはジクリと心の奥が痛むのを感じた。


 今更ながら、アドリアンに嘘をつく羽目になってしまったことが、申し訳なく思える。

 で聞いたヴァルナルの死が、必ず今の状況下で起きるとは限らないのに。

 もしそうであったとしても、他にやり過ごす道があったかもしれないのに。

 どこかであの清毒になれた体に安心していたのかもしれない。

 あれさえ手に入れて、体を作り変えてしまえば、少なくとも今後、毒に怯えることはない。近侍が毒見という役目を与えられることを知ったときに、咄嗟に思い浮かんでしまったのだ。それからは清毒さえ服んでしまえば、恐るるに足らずと高をくくっていたところがある。

 ではあんなにも苦しんでいたのに、結局頼るなんて……自分はまだに縛られている。……


 それでも真実を告げることができなくて、オヅマは話を変えた。


「まぁ、でも不幸中の幸いだったよな。いつもだったら、昨夜ゆうべお前が飲んでてもおかしくなかったし」


 普段であれば、サビエルは夜半近くまで勉強するアドリアンのために、お茶と簡単な軽食を用意して持って行く。このときに例の茶葉のお茶を飲んでいたら、あるいはアドリアンが倒れている可能性がないこともなかったのだ。


「今日、マリーと祭りに行く約束をしていたからね。早めに寝たんだ。朝はあわただしくしていたから、ゆっくり飲む暇もなかったし」


 二日前からマリーはアドリアンに何度も念押ししていた。

 昨夜も「明日はお祭りに行くから、もう寝てください、小・公・爵・様!」と普段であれば絶対にしない呼び方までして迫ってこられたので、アドリアンとしても服さないわけにはいかなかった。


「サビエルは今回のことで、茶葉のキャニスターに番号を振ることにしたみたいだよ。開封した日と通し番号で管理するらしい。今後は廃棄も他人に頼まずに、自分がすると言っていた」

「サビエルさんも責任感強いもんなぁ」


 キャニスターのラベル一つ一つに、それこそ筆写人のような精巧な字で年月日と番号を書くサビエルの姿が思い浮かぶ。こうした緻密な作業はサビエルの真骨頂と言えた。父親であるルーカスなどは公爵家騎士団の団長代理であるが、書類仕事などすぐに放り投げて副官任せにしていたりするので、このあたりは父親というよりは、叔父のカールに似たのかもしれない。


 オヅマは二人を思い出して笑っていたが、ふと見ればアドリアンがどんより沈んだ顔になっている。


「おい、どうした?」

「ごめん」


 アドリアンはうつむいたまま、ボソリと謝った。


「え? なにが?」

「君がいつも皆のこと……僕のことも含めて、全員のことを考えてくれているんだって、わかっているんだ。今日のことも、君が素早く対処してくれなかったら、エーリクだってどうなっていたかわからない。本当にありがとう」


 礼を言いながらも、アドリアンの顔は暗いままだ。

 オヅマは何となく重苦しい空気を払いたくて、バシリと強めにアドリアンの肩を叩いた。


「大袈裟だな! そんな大したことじゃねぇだろ」

「大したことだよ……君はあまりにも簡単にこなしてしまうから、自分ではそうは思わないんだろうけど」

「なんだよ……気味悪いな。今日の朝まで怒ってたってのに、今度はホメホメ攻撃か? まったく、この小公爵様ときたら、レーゲンブルトに来てからこっち、なーんかおかしいのな」


 オヅマは明るくふざけてみせたが、アドリアンの顔はやはり浮かなかった。


「…………そうかもしれない」


 つぶやくように言う声は、ひどく弱々しい。

 オヅマはますます困惑した。


「おい! おいおい。どうした、どうした? お前、本当になんか悩みでもあんのか?」

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