第四百三十三話 トーマスの隠し事(2)

 扉から入ってきたのは、オリヴェルの家庭教師であるケレナ・ミドヴォアだった。

 マッケネンは頭の中で素早く人物についての記憶を繰った。


 ケレナ・ミドヴォアは語学担当の家庭教師であるが、執事のネストリといい仲であるのは、この館において公認の事実となっている。

 レーゲンブルトに二ヶ月ほど滞在していたハンネ・ベントソンの評によると、やや主観的傾向の強い、陶酔型のお喋りであるらしく、


「まぁ迷惑とまではいかないけど、なんだか彼女に引きずられると、そのうちとんでもないことになりそうだから、ある程度、距離感を持ってお付き合いすべき相手」


とのことだった。

 公爵の懐刀である兄のルーカス・ベントソンの妹というだけあって、その人物眼はなかなかに鋭いものがある。


 トーマスの部屋に入ったケレナは、二人以外誰もいない(実際にはマッケネンが隠れているが)のに、辺りを憚るかのようにヒソヒソと話した。


「……構いません。人のいる場所でもらうようなものでもございませんし」

「ま、子供らのいる前で渡して、なにもらってんのー? と聞かれて答えられるシロモノじゃないね。……どうぞ」


 トーマスは話しながらさっきまでマッケネンが座っていた椅子を勧めたが、ケレナは断った。


「よろしいですわ。あまり男性の部屋に長居したくはございませんの」

「おや、まぁ……執事殿のお部屋には夜明けまでいらっしゃるのに?」


 トーマスが皮肉っぽく言うと、ケレナは赤い顔になったが、面目を保つためにコホッと咳払いした。


「それで頼んでいたものは?」

「はいはい。出来ましたよ、どうにか」


 言いながら、トーマスは作業机に置いてあった小さな銀色の容器を取り上げると、ケレナに差し出した。

 ケレナはそうっと受け取ってから、中身を確認する。

 マッケネンは本の間から、ケレナが確認しているのが何なのか見ようとしたが、さすがに無理だった。

 トーマスがチラリとマッケネンを見遣ってから、ケレナに話しかける。


「行為の前に一粒、行為後にも一応念のため一粒むことだね。そうしたら、おそらく大丈夫なはずだよ。絶対とはいえないけどね」

「あぁ……ありがとう、トーマス・ビョルネ。助かりますわ。ロビン先生にはとてもじゃないけど頼めないし」

「まぁ弟じゃ、君にそういうものを服まずに済む方法を勧めるだろうね。結婚とか。ネストリ氏にその気はないの?」

「彼に迷惑はかけられませんもの。姉だけじゃなく、叔父さんたちのことまで」

「大変だね、ケレナ。でも君は立派な女性だよ。いずれ自由に生きていけるさ」


 トーマスの言葉にケレナは少し黙りこんでから、ふっと笑って言った。


「……どうかしら。でも、あなたにそんなふうに言われるとは思っていなかったわ。ありがとう、トーマス・ビョルネ」


 砕けた口調になったのは、トーマスへのそこはかとない信頼が芽生えたからであろうか。

 トーマスは早々に出て行こうとするケレナに注意した。


「体に異変を感じたら、すぐに服用は中止しておくれよ。まさかそれで君の体調が悪くなったんじゃ、意味ないからね。まぁ、大丈夫だとは思うけども」

「もちろんよ。大丈夫。昔はもっと怪しい薬売りの老婆から買っていたくらいなんですから。免許をもってるお医者様から処方されたものの方が、いくらか安心というものだわ」


 ケレナは明るく言って去った。

 トーマスはしばらく扉の前で、去りゆく足音が消えるのを確認してから、振り返った。


「さて、リュリュ。今の一連を見ての君の考察は?」


 マッケネンはのっそりと机の下から這い出ると、縮こまっていた筋肉を伸ばしてから答えた。


「ミドヴォア先生は避妊薬でもお前に頼んでいたのか?」

「さすが。ご名答」

「ストゥグリの実はそれのためだと?」


 ストゥグリの実は毒消しであるほかに、その葉を煎じて飲むと女性の月の症状が緩和される……というのは、トーマスがストゥグリの実を買ってきたときに不審に思い、あらかじめ調べて知ったことだった。 


「葉を煎じて飲むのは書いてあったが」

「それはの痛みとか、倦怠感の予防みたいなものでしょ。そうじゃなくて、実の方がもっと効能としてはキツくてね。古くは堕胎薬としても使われていた……なんて記録もあるくらい、その筋では有名な薬草なんだよ。あんまり一般的ではないから知られていないけどね。まぁ普通、こういうことを大っぴらに話もしないし、得てしてこういう薬ってのは、それこそ怪しげな薬師のおババ連中が独占して、調合法レシピも門外不出なんかにしてたりするからねー」


 トーマスは話しながら、ポットからすっかり冷めた紅茶をまたカップに注ぐ。おそらく苦かったのであろう。うぇと渋い顔になると、小さな楕円の容器から砂糖菓子を一つ取り出して食べた。


「僕も一応調べて作るには作ったけど、初めてだったし、念のため大目に材料を用意しておいたんだよ。そうしたら、今日の腐ったお茶事件だろ? 主母神サラ=ティナのご加護か、それとも水神リャーディアの悪戯か知らないけども、いずれにしろ役に立つならと思って、手を貸してやったワケ。その結果、純粋なる僕の善意は今、君によって疑われているワケ。あぁ~あ~、なんてひどい状況。誠実に生きるのが馬鹿らしくなるねー」


 いかにも憐れっぽくトーマスは天を仰いで嘆く。

 マッケネンは唇を噛みしめ、黙りこんだ。


 確かにトーマスの言う通りであるならば、不審な点はない。

 疑うマッケネンに対して不快感を持っても仕方ないだろう。

 しかもトーマスは適当なようでいて、しっかりとケレナの秘密について、出来うる限り守れるように取り計らったのだ。


 もし疑惑を持たれたことに対し、ケレナに証言を求めていたら、彼女はヴァルナルや執事、他にも多くの男の前で自らが避妊薬をもらっていたことを話さねばならない。それは女性側からすると、非常に恥となることだった。

 ケレナの名誉を傷つけず、かつ自分への疑惑を解消する手段として、トーマスはマッケネンを机の下に隠れさせたうえで、こっそりと話を聞かせたのだ。


「普段はフザけてばかりのくせして、こういうときはちゃっかりしてるな」


 むっすりと言うマッケネンに、トーマスは澄まし顔で答える。


「ちゃっかりとは言わないでしょ。僕はただただ世のため人のためにやってるだけだよ。これでも人には優しく、っていうのが信条でね」

「…………一応、信じておいてやる」


 マッケネンは矛を収めて去ろうとしたが、その背にトーマスが呼びかけた。


「僕のことはさておき、オヅマについてはちょっと気にしておいたほうがいいかもしれないよ」

「オヅマが? 何か問題でも?」


 マッケネンが不思議そうに問うと、トーマスはあきれ顔になる。


「おかしいと思わないの、君たちは。あの子、この前の狼狐おおかみぎつねの血といい毒を立て続けに二度もくらってるんだよ。それなのにピンピンして、しかも髪の色だけ変わってる。解毒薬だって『不要だ』って突き返してきたんだよ」

「まぁ……確かに」

「元気だから大丈夫、ってことで大して気にしてないんだろうけど、本来異常事態だよ。アレ」


 やけに熱心に言い立てるトーマスに、マッケネンは少し妙な印象を受けた。まるで落とし穴があると、必死で吠え立てる犬みたいだ。


「なにか思い当たることがあるのか?」


 マッケネンが尋ねると、トーマスは急に静かになり、フイと目を逸らした。


「…………さぁてね。じゃ、尋問は終了。ハイ、出た出た」


 グイグイと廊下へと押し出され、バタンと扉が閉まった。

 いつものことだった。

 トーマスは問題を与えて、答えは自分で見つけろと突き放す。


「学者様の考えることはわからん……」


 マッケネンは嘆息すると、ヴァルナルへの報告に向かった。





 一方、トーマスは作業机に置いてあった白いキャニスターを手に取って、暖炉へと向かった。

 火かき棒を動かして、小さくなった火に薪をくべてから、キャニスターの蓋を開ける。

 途端に広がった臭気に顔をしかめた。

 ゴホゴホとせたのが落ち着くと、大きくなった火にバラバラと茶葉をべた。


「…………証拠隠滅、と」


 ボソリ。つぶやいて炎を見つめる顔は白く、無表情だった。

 ゆっくりと立ち上がり、机に放り出していたある本を取って読み始める。

 その手はかすかに震えていた。……

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