第四百三十二話 トーマスの隠し事(1)
「おや。意外に遅かったね、リュリュ」
夕食過ぎに自室にやって来たマッケネンに、トーマスは冷めた紅茶を飲みながら応じた。
「さっき来たが……お前、寝てたろうが」
ヴァルナルに説明したあと、マッケネンはすぐにトーマスに話を訊きに言ったのだが、当人はぐっすり寝ていて、それこそ怒鳴ろうが、頬をつねろうがまったく起きなかったために、逃亡だけしないよう見張りをつけて、その他の情報収集にあたっていたのだ。
しかし扉の向こうに見張りがついていたことなど知る由もなさげに、トーマスはのんびりあくびする。
「まぁね~。だって、ホラ、昼過ぎから大変だったろ~。いきなり解毒薬なんてモノ作る羽目になっちゃってさ。僕、ああいう突拍子もないことが起こると、著しく知力も体力も削がれるんだよねぇ~」
「なぜストゥグリの実を用意しておいた?」
マッケネンはズバリと訊いた。
おそらくトーマスは既にマッケネンの来訪を予想していたのだろう。そこでどういう質問がされるのかも。
いつもの揺り椅子に腰掛けて、グラグラと揺らしながら楽しげに目を細める。
「怖い顔。死にかけの近侍くんを救ってあげた功労者に、随分、剣呑としたもんだね」
「質問に答えろ。ストゥグリの実をどうして用意してあった?」
「用意してあった……というのは、正確じゃない。たまたまあったのは間違いないけど」
「たまたまあっただと!? お前、この前買っていただろうが!」
オヅマの課題につき合っているときに、外出先から戻ってきたトーマスは言ったのだ。
―――― これはね、ストゥグリの実とその他諸々ハーブ……
あまり一般的ではないその実についてマッケネンが知っていたのは、昔住んでいた家の庭に自生していたからだ。マッケネンは父からその実が毒消しにもなることを伝え聞いていた。古くは戦場に持って行き、毒矢を受けたときに服用していたという。
「あんなものを都合良く、たまたま持っていた? お前、あらかじめ買っていただろう!」
マッケネンがほとんど怒鳴るように断定すると、トーマスは肩頬を歪めた。
「へぇ。それは、なに? 僕が毒を仕込んで、それから解毒薬を作ったとでも? 随分とまだるっこしいことだね。何のためにそんなことをする必要が?」
「それを訊きたいのはこちらだ」
「勘違いしているようだよ、リュリュ。僕は毒を仕込んでもいないし、解毒薬のためにストゥグリの実を買っていたわけじゃない。本当に、偶然、持ち合わせていただけだよ」
「偶然……?」
マッケネンはせせら笑った。「偶然、腐った茶葉を飲んで中毒を起こして、解毒効果のある実をお前が偶然持っていたと?」
ほとんど脅すかのような低い声で問い詰めるマッケネンに、トーマスはフイと目を逸らすと溜息をついた。
「そりゃあ君が疑うのも無理ないけど。僕だって君の立場なら疑うよ。でも君の言う前提に立つなら、そんなことをして僕に何の得がある? まさか僕が『解毒薬つくったー!』って自慢したいからとか、そんな幼稚な理由で動くと思う?」
マッケネンはギリと歯噛みした。
実際、動機についてはここに来るまでにも考えていたし、このことをヴァルナルに話したときにも言われた。
「もし、お前の言う通りであるとして、トーマス・ビョルネはいったいなんのためにそんなことをした?」
不明であればこそ、今こうして訊くしかなかった。
本当であれば重要参考人として、尋問にかけたいくらいであったが、現状、トーマスに明らかな罪があるわけではない。
そこはマッケネンも慎重だった。
キエル=ヤーヴェ研究学術府(=帝都アカデミー)の象徴である『賢者の塔』。
トーマスはその『賢者の塔』に在籍している、いわば住人。
彼らの名声と実績は貴族であろうと蔑ろにはできない。
問答無用で引っ捕まえたら、塔に住まう他の住人らが権力中枢に圧力をかけてくることも有り得たし、数ヶ月後に控えたアカデミーの入学試験において、小公爵様はじめとするオヅマら近侍も不当な扱いを受けることになるかもしれない。
ヴァルナルもその辺りを気にしたために、今、こうしてマッケネンに探らせるに留めたのだ。
「茶葉が突然、腐ってしまったことについては……まぁ、いくつかの要因が考えられるけども、正確なところはわかりようもないね。ここの設備ですべてを解明しろと言われても難しい」
トーマスが嘆くように言うと、マッケネンは苦虫を噛み潰したような渋い顔で問うた。
「
「ロビンが説明できなかった? 要は、まー、そうだね。目にも見えないような、小さな小さな虫みたいなものさ。それがくっさーい息を吐いて、物を腐らせると思いなよ」
「……聞いたことがない。お前、研究とか適当なこと言ってるんじゃないだろうな?」
マッケネンが半信半疑で問うと、トーマスはさすがに気分を害したのか、ムッと口をとがらせた。
「ひっどいなぁ。そもそもこの微小体について、最初に言及したのは、リーディエ・グレヴィリウスだっていうのに」
トーマスの口からいきなり出てきた意外すぎる名前に、マッケネンは一瞬、
リーディエ・グレヴィリウスがグレヴィリウス公爵の亡くなった奥方であり、現在ここにいるアドリアン小公爵の母親であることは周知の事実だ。その公爵夫人の名前が、この尋問においてトーマスの口から出てきたことにマッケネンは驚き、敬称を略されていた不敬を指摘するのも忘れてしまった。
「彼女が作物の品種改良なんかにも取り組んでいたのは有名だろう? そのお陰で、このサフェナ=レーゲンブルトでの収穫量も増えたし。彼女、なにげに色々とすごい発見というか、提言をしていてね。この微小体についても、他の人は馬鹿にして ―― 今の君みたいにね ―― 放っておいたんだけど、僕は僕で別のことを探っている間に、彼女の言葉に辿り着いたんだよ。それで今、研究してるってわけ。元々、
トーマスの話が突飛であるのはいつものことであったが、まさかのところからの、意外な人物の登場に、マッケネンは色々と訊きたいことがありすぎて、最終的に初歩的な質問になってしまった。
「お前……公爵夫人のことを知っているのか?」
「知っているも何も、何度も会ってるよ。彼女が厄介な案件 ―― あぁ、頭の固い師匠連中が言っていたんだよ ―― まぁ、正直、面倒な話を持ってくるたびに、小僧だった僕が案内を仰せつかってね。色々とお話させてもらったさ。なにせ僕は他と比べて格段に頭がいい上に、頑固ジジィどもと違って、彼女の荒唐無稽な話にもつき合えるだけの柔軟性を持ち合わせていたんでね。そろそろ研究室が与えられるかも……って話をしているときに彼女が死んでしまったんで、共同で研究予定だったものが、いくつか立ち消えてしまったけど、微小体については、研究を続けてたんだよ」
マッケネンは言葉もなかった。
グレヴィリウス公爵家に連なる家門の騎士ではあったが、マッケネンは公爵夫人リーディエに会ったことはない。
最後と思って臨んだアカデミーの試験に落ちたあと、グレヴィリウス公爵家騎士団の従騎士となったときには、既に公爵夫人は故人となっていた。
その後レーゲンブルト騎士団に入ってからは、南部戦役に駆り出されるなどして、ますます公爵家から遠ざかったのもあって、故公爵夫人については、ただの噂としてしか聞いたことがなかった。それも公爵閣下がいたく愛しておられた……という正直、興味もない事柄だ。
トーマスは話して喉が渇いたのか、冷めた紅茶をゴクゴクと飲み干すと、「さて」と本来の話に戻した。
「僕がどうしてストゥグリの実を持っていたのか、というのがリュリュには疑問なワケだね」
マッケネンはピリッと眉を寄せつつも、その呼び方について咎めるのは今は控え、頷いた。
「そうだ。あまりにも出来すぎてるからな」
「確かにね。偶然というには、重なりすぎたかもしれない。でも、偶然だよ」
「根拠は?」
「説明してもいいけど……そうだな。じゃあ、ここに隠れてもらえる?」
言いながら、トーマスは壁近くにある机の下を示す。
「は?」
「今から人を呼ぶから、そこで黙って、話を聞いておいてもらえる? あ、気配ぐらい消せるよね? 騎士だし」
反論する間もなく、トーマスはマッケネンを机の下に無理矢理押し込んだ。そのままドアに向かい、開くとピュイーッと鋭い口笛を吹く。すぐに女中が飛んできて、何かを言伝すると再びドアを閉じた。
戻ってきたトーマスに、マッケネンは机上に積み重なった本の間から呼びかけた。
「おい、どういうことだ?」
「もうすぐ来るから、来たら黙っておいてくれよ」
そう間を置かずして、コンコンとノックが響く。トーマスはマッケネンに静かにするよう目配せすると、扉を開いた。
「や、ケレナ。わざわざお呼び立てしてすまないね」
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