第四百三十一話 お茶騒動(4)

「なんでもトーマスが言うには、ある従僕が茶葉をこぼして拾っているのを見たらしいのです。それで今回のことも、すぐに思い至ったと……」


 その後、すぐにマッケネン達がトーマスに事情を訊くと、彼は明快に答えた。


「あぁ、そうだよ。新入りの子かな? 床に盛大にぶちまけちゃってて、僕は棄てた方がいいよと言っておいたんだけど、もしかしたら取っておいたのかなぁ? ……と思って。だから調べるために、あのキャニスターを持って行ったんだよ」


 その後、使用人らに話を聞くと、すぐにその新入り従僕について判明した。


 そもそもの発端は五日ほど前のことである。

 新入り従僕が、その白いキャニスターを床に落としてしまった。

 分厚く丈夫な陶器の器が割れることはなかったが、中身の半分以上が床にぶちまけられた。

 新入り従僕は高級な茶葉をそのまま捨てるのはどうかと思ったらしい。

 床掃除したばかりで床も綺麗であったので、ご丁寧に散らばった茶葉を拾って、キャニスターの中に戻してから、サビエルに経緯を説明して謝罪した。


 サビエルとしては従僕が気を遣ってくれたのはわかっても、まさか床に落とした茶葉で、小公爵様にお茶を淹れるわけにはいかない。従僕がせっかく拾ったその茶葉については、廃棄するよう命じた。それからストックしてあった新しいキャニスターを開封し、そちらで茶を淹れていた。


 だが新入り従僕は、茶葉を捨てるのが勿体ないと感じたのだろう。

 自分用にと、その拾った茶葉を置いておいたのだ。

 彼は新しくサビエルが開封したキャニスターと間違えないようにと、見つからないよう置いたつもりであったのだが、


「昨日、夕食後にちょっと時間があって、そのときに飲んだあと、もしかしたら……台の上に置いたままにしてしまったかもしれません!」


 新入り従僕は取り調べにすっかり狼狽しつつも、ともかく素直に、隠さず話した。

 それは別の女中の証言で立証された。

 彼女は今朝、白いキャニスターを見て、すぐにそれが小公爵専用のものであるとわかった。


わたしゃ、てっきりサビエルさんが置いたままにしておいたのだと思って、元の位置に戻しておいたんですよ」


 年嵩としかさの古参の女中は、何が悪いのかと言わんばかりだった。

 戸棚には新しいキャニスターが置かれてはいたが、通常、ストックのキャニスターは使用中のものの後ろに置いておくものであったので、彼女はサビエルが開封した使を奥へと引っ込め、机に置きっぱなしになっていた、をその手前に置いた。

 そうとは知らず、ロジオーノはお茶を淹れたのだった。


「どうやらこれに微小体びしょうたいの卵みたいなものがくっついていたようです」


 エーリクに解毒の薬を与えたあと、ヴァルナルの執務室にばれたロビン・ビョルネ医師は、難しい表情で説明した。


「微小体?」


 ヴァルナルの傍らに控えたカールが、聞き慣れない言葉を問い返す。


「はい。まだ、研究段階ではあるのですが、トーマスが言うには極めて小さい、目に見えないような物質によって、物の腐敗が進むらしいのです。今回、茶葉が床に落ちたときに、そうした有害なものがついてしまって、それがあの容器の中で茶葉を腐らせてしまったのではないか……と」

「しかし、あんなクサい匂いがしていたら淹れる前に気付きそうなものだ」


 マッケネンが強烈な臭気を思い出して疑問を呈すると、ビョルネ医師は頷いた。


「おそらくロジオーノが淹れる時点においては、さほどに腐敗が進んでいなかったので、気付かなかったのだろうと。空気などに触れることで、急激に腐敗が進む場合があるそうです」

「前日にその従僕が飲んだときにはどうともなかったのに?」

「そうですね。腐敗自体は徐々に進行していたのかもしれません。表面的には問題なくとも、容器の奥の部分の腐敗が始まっていたとするなら、今回、ロジオーノが十人以上の茶葉を使用するに際して、腐敗部分をかき混ぜてしまった状態になったのかもしれません。……憶測の域を出なくて申し訳ないのですが」


 曖昧な説明に終始する自分が不甲斐なかったのか、ビョルネ医師は首をすぼめて謝った。


「いや。今回はビョルネ先生が迅速に解毒薬をつくってくださったので、エーリクが助かったのだ。誠に感謝している」


 ヴァルナルが礼を言うと、ビョルネ医師はますます小さくなって、ボソボソとつぶやくように言った。


「いえ。解毒薬もほとんど兄が作ったようなものですので……」

「その解毒薬について少し伺いたいのだが、どういった成分になっているのです?」


 やけに強い口調で、マッケネンが問うてくる。ビョルネ医師はやや戸惑いながら答えた。


「主には吐酒石としゅせきとオリーブオイル、それにストゥグリの実……」

「ストゥグリの実……」


 マッケネンはつぶやいてから、険しい顔になって黙りこんだ。

 ヴァルナルはマッケネンの様子を怪訝けげんに思いつつも、ビョルネ医師には別のことを尋ねた。


「それでオヅマは? 大丈夫なのか?」


 ビョルネ医師もマッケネンの質問を不思議に思ったが、そこは医者であるので、まずは患者についての説明を第一にする。


「あ、はい。オヅマは……いったいどういうことなのでしょうかね? また、髪の色が変わって……」

「オヅマもこのお茶を飲んだのだろう?」

「そうだと思われるのですが、当人はさほどに飲んでいないと言うのです。飲んですぐに違和感があったので、カップの中に吐き出したと。だから解毒薬も不要だと言って……」

「しかし、ミーナはオヅマの汗を拭いたら、黒かったと」

「そうなんです。以前、狼狐おおかみぎつねの鮮血を浴びたときにも、そうした症状は現れていたと思われます。あのときの服は燃やしてしまったので、検分できませんが……髪の色にしろ、毒に反応する、なにか特殊な体質なのでしょうか? 私にも初めての症例で……帝都に行けば、もう少し詳しく調べることもできるかもしれませんが」

「ふむ。先生にもわからぬことであれば、我らにはわかりようもないが……」


 ヴァルナルはつぶやきながら、オヅマについて考えた。

 そもそも、何らの教えも受けていないのに『千の目』を発現したであろうことからして、既に十二分に奇妙なのだ。確かにビョルネ医師の言う通り、なにか特殊な体質なのかもしれない。


「具合は……髪の色以外は問題ないのか?」

「はい。エーリク公子と違って、至って元気です。さっきもマス焼きパイとソーセージを二本、食べてましたから」

「そうか。ま、元気であるなら、良かった」


 ヴァルナルはややあきれた笑みを浮かべ、ビョルネ医師に退出を促した。

 医師が出て行くと、すぐさま鋭くマッケネンに問いかける。


「なにか気になることがあるのか?」

「はい。一人、気になる者がおります」

「誰だ?」

「トーマス・ビョルネです」

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