第四百三十五話 対番の意味(2)

「…………」


 アドリアンは黙りこみ、フゥと息を吐いた。


 ランヴァルトからの手紙で、自分も稀能キノウを学ぶ機会を得たと喜んだのも束の間、今回の事件でアドリアンはまた自己嫌悪に陥った。

 オヅマは自分のことも、皆のことも守ろうとしてくれているのに、一方の自分ときたら彼とどんどん開いていく差に焦るばかり。

 そのくせオヅマがまた、あの日シレントゥの倉庫で倒れたときの、あんな昏睡状態に陥ったら……と思うと、一気に足元が崩れていくような不安に襲われる。今も息苦しい……。


「なんだよ。言いたいことあるなら、言えよ。吐けるもんは吐いたほうがラクになるぞ」


 あえて軽い調子で話しかけてくるオヅマに、ランヴァルトの言葉が重なった。



  ―――― 誰かに胸の内を知ってもらうことが、慰めとなる……



 言葉は違えど、同じようなことを言うのは、やはり彼らの絆がそれだけ強いからなのだろうか。

 そういえばランヴァルトと会っていたとき、彼の笑顔に時折懐かしさを感じていたが、その理由も今となればわかろうというものだ。


 アドリアンはまた一つ溜息をついてから、思いきって問うた。


「君は……僕に対して羨ましいとか思ったことある?」

「は? なんだって?」

「僕が羨ましいと、思ったり、する?」

「俺が? お前を? なんで?」

「…………だろうね」


 アドリアンは嘆息した。

 オヅマの性格で、あれだけの才能も、行動力もあって、自分なんかに羨望を持つはずがない。


「お前を羨ましい、ねぇ。……うーん……」


 ポリポリと頭を掻きながらオヅマは思案する。

 正直、アドリアンの意図するものが何なのか、まったくわからないのだが、適当に流してしまうのは良くない気がした。なんだか、ここに来てからのアドリアンはどこか危うい感じがするのだ。

 とりあえず思いつくことを話してみる。


「オリーから聞いたんだけどさ。テリィさんって、元々絵描きになりたかったらしいんだよな。祖父じいさんに言われて仕方なく近侍になったらしくて……。でも、嫌々だったにせよ、それなりにやってるだろ。文句も多いし、すぐに泣きわめいてうるさいけど」


 オヅマらしい率直な言いようにアドリアンはフッと笑みを浮かべた。


「まぁ、そうだね」


 頷くアドリアンの表情が少し緩んだのを見て、オヅマはホッとしたように話を続ける。


「俺だって正直堅苦しいこともあるし、面倒くせーなー、ってマティに注意されるたびに思う。マティも本当はあいつ、わりとビビリだけど頑張ってるし。エーリクさんは……まぁ、よくわかんないけど。色々あるけど、俺らは全員、今の状況についておおむね満足してる、ってことさ。少なくとも居心地は悪くない。そういう居場所っていうか、雰囲気みたいなの? そういうのを、お前が作り上げてるんだよ」

「…………」


 アドリアンはどう返事すればいいのかわからなかった。

 オヅマは自分を褒めようとしてくれているのだろうが、そんなことはアドリアンにとって、大したことではなかった。

 自分の近侍になるために親元を離れて来てくれた彼らに対して、ある程度の礼儀をもって接するのは当然のことだ。事によっては自分の我儘で振り回すこともあるし、正直、八つ当たりに近いような態度を取ることもある。決して主として十分な寛容や品格を備えているとも思えない。ランヴァルトのように……。


「納得してなさそーだなー」


 苦笑いを浮かべるオヅマに、アドリアンは困惑気味に答えた。


「だって、それこそ大したことじゃないし」

「大したことだよ……


 さっき自分が言ったことをそのまま返され、アドリアンは唖然となった。ややあって、ハアァーと大きな溜息をつきながら首を振る。


「まったく……君が案外、弁術が得意なのを忘れていたよ。そう言われたら、否定できないじゃないか」

「否定する必要ないだろ。本当のことなんだから。お前はお前ですごいの。でもって、俺は俺ですごいんだよ」

「すごいとか……自分で言う?」

「なんだよ、お前もホメてるだろ」

「あぁ……確かに君はすごいよ。だから時々、君に守られてるだけの自分が、とても無力に思えるんだ」


 アドリアンは少しだけ正直な気持ちを吐露した。そうでもしないと息が詰まりそうで。


「なんだ、お前」


 オヅマはしょんぼり項垂れるアドリアンを見て、ハッと笑い飛ばした。


「また、くだらねぇことで悩んでやがって。なにが無力だよ。お前、なんか勘違いしてんじゃねぇの?」

「勘違い? なにが?」

「俺は近侍だし、お前は小公爵様だし、守って守られる立場だろうけど、その前に俺らは対番ついばんだろ」


 ふと出てきた言葉に、アドリアンはハッと顔を上げる。オヅマの薄紫の瞳と目が合って、脳裏に初めて会った日のことが思い出された。



  ―――― オヅマだ。よろしくな。



 初対面から生意気そうな少年で、絶対に仲良くなれないと思っていた。それでも一緒に訓練を受けて、ケンカしながら互いに切磋琢磨した。そうしていつの間にか、アドリアンにとってオヅマは親友と呼ぶべき存在になっていた。


「対番の基本は、お互いの背を守り合うことだろ。お前が無力だとか言ってたら、俺が危ねぇじゃねぇか。しっかりしろよ。俺はお前に背中預けてるんだからな」


 オヅマの力強い信頼に、アドリアンは言葉が出なかった。

 じんわりと染みてくる温かさに泣きそうになる。

 そうだった。あの頃だって、オヅマが強くなったと思ったら、自分も負けないようにと、より訓練に打ち込んで、次の日には一本取って、また取られて、また取り返して……そんなせめぎ合いの中で、成長してきたではないか。追いつかないなどと嘆いている暇があるならば、彼に負けないように頑張るしかない。


「っとに、お前は本ッ当に悩みたがりなんだからな。だいたいお前、俺の見舞いにきたんじゃなかったか? 病人に気を遣わせるなよー」


 オヅマがフザけたように言うと、アドリアンはニコリと笑った。


「言ったね。じゃあ、病人さんには、こんなもの必要ないね」


 言質を取ったとばかりに、ベッドの上にある本やら書き付けやらを纏めていく。

 制止しようとしたオヅマの額をペチリと打って、無理矢理に寝かせた。


「病人はちゃんと寝ること! ……って、マリーからのお達しだ」

「チッ! コイツ、マリーの言うことばっか聞きやがるし!」

「当然だろう。このレーゲンブルトの最高権力者だぞ」


 アドリアンは笑って言うと、本を書き物机に置き、ランプを持って扉へと向かった。

 その背にオヅマが呼びかけてくる。


「アドル。言いたいことあったら、いつでも言えよ」

「うん、ありがとう。…………おやすみ」

「あぁ」


 バタンと扉を閉じて出てから、アドリアンはホゥと吐息をもらした。


 大丈夫……。きっと、大丈夫だ。


 僕らは何も変わらない。

 オヅマの身の上が変わることがあろうとも、このレーゲンブルトで芽生えた友情きずなに、変化が訪れることはないはずだ。


 薄暗い廊下を歩きながら、アドリアンはようやく深呼吸できた。

 萎えかけていた自信が再び息を吹き返して、この先へと進む力を与えてくれていた。……



***



 一方オヅマは、しばらくぼんやりと、暗い天井を見るともなしに見ていた。

 アドリアンが扉を閉めて出て行ったあと訪れた静寂に、フゥーっと長い息を吐く。


 このまま、あと二ヶ月もすれば帝都に向かう。

 あれほどに嫌忌していた場所へ。

 アドリアンの近侍になり、アカデミーへ通うと聞いてから、ある程度覚悟はしていたけれども、いよいよ現実的になってきた。あるいはもっと嫌でたまらなくなって、アドリアンに無理を言って、自分だけ免除してもらうことも考えていたが、今は不思議と落ち着いている。


 大丈夫だ。きっと、大丈夫……。


 たとえこの先、あの場所で、あの男に出会うとしても、アドリアンが側にいてくれる限り、自分を見失うことはない。

 もし自分が愚かな道を選択しても、アドリアンならばきっと止めてくれる。

 彼が間違うことはないのだから。

 いつだって悩み抜きながら、自らに誠実であることから逃げなかった……


「そう……だ……そ…………奴だ……った」


 とろける眠りの中に落ちてゆきながら、オヅマはつぶやいた。


 その意味もわからぬまま。

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