第四百二十四話 ネストリと死神(1)

 レーゲンブルトにおいて、大公家居城ガルデンティアからの手紙を受け取ったのはアドリアンばかりではなかった。

 手紙を受け取ったもう一人は、そこに書かれていた暗号を解読すると、しばし人形のように固まった。


『調査対象オヅマ・クランツ』


「ふ……ふ……ふ、ふ、ふ、ふ、ふぅ~ん」


 強張っていた笑い声が、徐々に鼻歌にかわる。

 上機嫌な様子で歌いながら、もらった手紙を器用に折って、暖炉へ向かって飛ばす。

 鳥のように飛空した手紙が、暖炉の中で炎に包まれて消えていく。

 揺らめく炎を見つめつつ、ガジガジと中指の爪を噛む。


「そうだなァ。少々気になることもあるし。確認するには丁度いい……」


 どうせならば面白く。

 どうせならば、を驚かせるような。

 ふと閃いた記憶に、ニィィと口の端が歪むと、早速ペンを取った。



***



 大帝生誕月の本祭前夜。


 春を告げるその祭りは、レーゲンブルトに住まう人間にとっては、長い冬からの解放であり、一年の中では新年の祭りよりも楽しみにしているものだ。

 多くの者が明日に開かれる祭りを心待ちにして眠りにつくであろうその夜に、一人、憂鬱な顔をしている人間がいた。


 ネストリはここのところ、また胃薬の世話になっている。

 また、というのは、以前にも同じ頃に似たような状況に陥って、そのときも頻繁に胃薬の世話になっていたからだ。


 今回はケレナが心配してくれて、外国で手に入れたという煎じ薬なども淹れてくれたが、あまりの不味さにすぐに吐き出した。そうでなくともイライラしていたので当たり散らしてしまい、また泣かせてしまった。

 自分でも八つ当たりだとはわかっているのだが、あぁもメソメソされると、ただでさえ苛立っている神経が余計に刺激されて、怒りたくもなるというものだ。彼女の従順さは好もしいが、すぐに泣くのは愚かな子供と変わりない。


 ムカムカとケレナへの怒りを再燃させつつも、ネストリの顔は強張っていた。

 真夜中の人気ひとけのない廊下、角を曲がろうとするたびに、誰もいないか確認しながら、細心の注意を払って目的の場所へと向かう……。 


 ネストリは東塔の一室に呼び出されていた。

 そこは以前に紅熱病こうねつびょうが領主館で蔓延したときに、緊急で作られた患者を隔離するための部屋であったが、今はむろん、誰使うこともない。

 ベッドには埃よけの布が被せられ、閑散としただだっ広い部屋は寒々としていた。

 元々物置小屋でもあったので、隅のほうには使われなくなったソファや、いつの時代のものか、古めかしい鎧帷子よろいかたびらが置き捨てられている。


 ネストリは埃っぽいその部屋でゴホゴホと咳しながら、辺りを窺った。


 誰もいない ――― 。


 ギリと歯軋りして、ポケットから小さな紙片を取り出す。


『東塔の隔離部屋に来てください。あなたの秘密を知る者より』


 こんなものは無視すればいい。

 ノコノコ出て行くだけ、余計な厄介事をかかえるだけだ……。


 そうとわかっていても、ネストリがここに来てしまったのは、自分が秘密を持っていること、しかもそれがバレたときには死に直結するかもしれないような秘密であるという自覚があったからだ。


「……いつまで待たせる気だ」


 じりじりと待っている間、片足だけ気忙しく足踏みする。

 背後から急に声がかかった。


「貧乏揺すりというのは、自分の心を落ち着けるためらしいデスよォ」

「ヒッ!」


 不意に現れた人影にネストリは驚いて尻もちをついた。

 見上げた目線の先には、黒い仮面をつけ、すっぽりとフードを被った人物が立っている。革手袋がネストリの落とした燭台を拾い上げると、消えかけていた火が再び燃えて、奇怪な姿をより鮮明に浮かび上がらせた。


 黒い仮面 ―― よく見ればそれは死刑執行人の被るものだった。

 目の部分に細い孔が空いているが、こちらからはほとんど瞳が見えない。足先までの長い赤灰色のコートで体型も判然とせず、目深に被ったフードのせいで頭形や髪色も分からなかった。

 パッと見の背の高さは男であると思われたが、女であっても多少背の高い人間 ―― ネストリの知る背の高い女といえばケレナであったが ―― である可能性もなくはない。

 もっとも目の前にいるのがケレナであるはずはなかった。彼女はこんないかにも幽霊の出そうな薄気味悪いところが苦手であったから。

 しかも……


「執事サァン。火の始末には気をつけてェ。アナタは


 皮肉っぽく言われて、ネストリは内心でゾワリと怖気おぞけだった。

 まるで小鳥が人語を喋っているかのような、どこか作り物めいた感じのする甲高い声。姿形の雰囲気を裏切るその高い声は、薄気味悪いその印象をより一層不気味に仕立てていた。

 それより何より「火の始末」と、わざわざ言ってきたことが、ネストリの神経を逆立てた。


「き、き、貴様ッ……一体なんだッ」


 吠えるように問いかけながらも、尻もちをついたまま後退あとじさるネストリを見て、仮面の人物は「アハハッ!」とはじけるように笑った。子供のような笑い声がガランとした部屋に響く。

 一歩、仮面の人物はネストリに近付いた。


「あんな手紙もらってココに来ちゃったってコトは、まだまだ執事サァンにとってアノコトは秘密にしておきたいんデスねェ」

「あ、あのこと……?」

「しらばっくれマスね。オッケのことデスよォ」


 ネストリはまさしく自分の急所とも言うべき秘密を衝かれ、うっと呻いて沈黙した。


「誰もがみんな、オッケは酔っ払って、自分の飲んだワインの瓶で足を滑らせて転んで死んだと思ってマスねェ。可哀相なオッケ。きっと自分が死んだのも、死んだ理由も、死んでから自分の死が捏造ねつぞうされたことも知らないのでショウねェ」


 ゆらゆらと揺れるように歩きながら、小鳥のような声がやかましくさえずる。

 ネストリの脳裏に、あの日のあの光景が、つい先程のことのように浮かんだ。

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