第四百二十五話 ネストリと死神(2)
火を点けたオヅマの小屋から、ネストリが出てくるのを見たと言ったオッケ。
酒に酔った馬鹿な下男一人程度、買収するなど
―――― 待て、オッケ。その金を返せ!
―――― やだ。俺ンだ! 俺ンだぞ!!
そうして揉み合いになって、グラリと二人とも傾いて。
ガッ!
鈍い音がしたと思ったら、オッケは……死んでいた。
涎を垂らし、白目を剥いて、だらしなく死んでいた。
きっと死んだことも気付かぬうちに。
ネストリは恐怖と怒りに
この黒の仮面をつける職業の人間=死刑執行人を、人は侮蔑と畏怖をこめて『死神』と呼ぶが、まさしく今、ネストリの前に立つのは死神に違いなかった。
罪人の首を落とす斧の代わりに、ヤツはネストリの首を絞める真実を持っている。オッケにオヅマの小屋から出てきたのを見られていたように、オッケの死亡現場にネストリが居合わせていたのも見られていたのだ。
この……死神に。
ネストリは血の気の失せた顔で尋ねた。
「なにが……望みだ?」
「さすガ」
死神はピタリと動きを止めると、ネストリを見て笑ったようだった。「話が早いデスねェ、有能執事サァン」
そう言って死神は拳を開いて、
五角形に畳まれたその包みを見る限り、中身が何であるかは聞かずともわかりそうなものだ。
「ど、毒……」
ネストリがヒクッと喉を詰まらせると、死神はクックッと笑った。
「さァて。どうでショウねェ?」
「じょ、冗談じゃない。そんなもの……」
断ろうとするネストリに、死神はズイと一歩近寄って囁く。
「毒だとして、なんだというんデスかァ? まさか断ル? 今更デスよォ、執事サァン。もう一人殺しちまってるっていうのにさァ」
「こ、殺してないッ。アイツが勝手に……転んで……死んだ……」
ネストリは
死神はあきれたかのように鼻をならした。
「フン! 随分と冷たいことをお言いデスねェ。転んだ原因を作ったのは、執事サァン、アナタだと言うのにサ。あの状況で全くの無関係とは認められまセンよォ」
「…………」
黙りこむネストリに、死神は赤い包みを突き出してくる。
ネストリが渋々受け取ると、死神はやや強い口調で言った。
「小公爵と近侍たち全員が
「小公爵と近侍全員だと? どうやってそんな……」
小公爵の食事については、今も近侍の習わしだの何だので、必ずどの皿においても最初の一口は近侍の一人が毒見することになっている。全員の食事に混ぜたところで、必ずその毒見が終了しない限りは食べないのだから、そこで異常が発覚すれば全員が食べることなど有り得ない。そもそもネストリは彼らの給仕をしていない。いきなりすれば疑念を招くだろう。
しかし死神は当然ながら冷淡だった。
「方法はアナタが考えてくだサイよォ。それくらいの脳ミソ持ってるデショ? 鼠だって、迷路に入れたら考えて進むんデスよォ。アナタもそれくらい考えなクッちゃア。あぁ、そうだ。ダラダラと先延ばしにサレちゃあ、困りマス。期限をつくっておきまショウ。そうだナ、三日以内」
「三日?! そんな……無理だ……!」
おどおどと目を泳がせるネストリに、死神は安心させるように言った。
「大丈夫。大丈夫デスよォ、執事サァン。そんなに思い詰めなくっテモ。コレ自体は毒でも何でもありまセン。そんな大事にはなりまセンよォ。ただの、ちょっとした実験ってヤツ。色々と確かめたいことがありマシテねェ」
「……実験?」
死神はその質問に答えず「じゃあ頼みマスよォ」と軽い足取りで出て行った。
ネストリは手のひらの五角形の赤い包みを手に、しばし呆然となった。
いっそ手にある、その包みを床に放り投げたい。
だがもし言う通りにしなかったら、あの死神はオッケの死について、
匿名の善人として。
いや、それどころか誘拐事件についても、ネストリが関わっていたことを話すかもしれない。
今、ネストリの手元にその証拠となるようなものは残っていないが、考えてみれば、あのときだって脅されたではないか。ネストリが犯人に書き送っていた手紙を持っている、と。
領主や騎士団の動向について書いたそれは、明らかに後日起こった誘拐事件のための情報収集だったのだ。
犯人(ダニエル・プリグルス)は死亡したが、もしかするとあの手紙は今も誰かが ―― あるいはあの死神が持っているのかもしれない。
いや、そもそもあの死神に扮した者すらも、誰かの手先かもしれない。
誰か ―― ?
そう、あのときもそうだったように、アルビンがまたレーゲンブルトに小公爵が来ているからと、ネストリを利用しているのだとしたら?
前回のことでアルビンに対して警戒しているネストリに、無理矢理言うことを聞かせるために脅迫してきたのだとしたら……?
「ああぁッ」
ネストリは訳が分からなくなって、その場に
「クソォ……なんで俺がいつも……こんな目に……」
ブルブルと震える手の中で、赤い包み紙がネストリを見張っている。
胃がキリキリと穴を穿つかのように痛み、ネストリは激しく歯噛みした。
どうしていつも、こんなロクでもないことに、自分が巻き込まれなければならないのか。
こんな真夜中に秘密裡に呼び出し、過去の些細な失敗をネタにして脅すような輩に、どうして自分が屈せねばならぬのか……!
腹立たしく思いつつも、ネストリは理不尽な要求を撥ねつける自由を持たなかった。
彼は思っていた。
自分には選択の余地などない、と。
自分はいつも仕方なく、そうするだけだ。……
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