第四百二十三話 トーマスの助言(2)
「…………お前」
マッケネンはいちいち間の悪いトーマスに苛立ったが、オヅマはホッとしたように脱力した。
「終わるわけないだろ。仏頂面のマッケネンさん目の前にして……気になって問題どころじゃないよ」
「あぁ~、試験官が邪魔しちゃいけないよねぇ。リュ……」
あやうく本名を言いかけるトーマスを、マッケネンは気迫のこもった一睨みで黙らせると、ガタンと立ち上がった。
「ったく……じゃあ、俺はもう行くぞ。オヅマ、お前、あとでビョルネ先生に
「うん? 僕が何を診るの?」
トーマスがぐりんと首を傾げて、無理やりマッケネンに視線を合わせてくる。
マッケネンはギリッと歯軋りすると、ぐいーっとトーマスの顔を自分の前から押しのけた。
「お前じゃない! ロビン・ビョルネ先生だ! お前なんぞ、先生と呼ぶ気にもならんわ!」
「ひどーい。これでもアカデミーでちゃんと先生してるのにー。一応、医師免許だってもらってるんだよー」
「アカデミーでだけだ、お前が通用するのは。できれば一生、そこにいろ」
「まー、そんなこと言ってさ。僕がいなくなったら、寂しいでしょおー?」
「誰が! お前なんぞ、永遠に塔の上に籠もっていろ!」
「素直じゃないねー、マッケネン卿は。ねぇ? オヅマ」
トーマスは同意を求めてきたが、オヅマは無視した。トーマスが来たということは、問題の提出は迫っているのだ。のんびりおしゃべりなんぞしていられない。
相手にしてもらえず、トーマスは口をとがらせた。
「まったく、どの子もつれないんだからなー。僕が一生懸命考えてあげてる、っていうのに」
「俺は考えてもらわんでいい」
マッケネンは素っ気なく言ってから、チラリとトーマスが持っていた包みを
「なんだ、それは。まさかまた、妙な煙草じゃないだろうな?」
「違うよー。これはね、ストゥグリの実とその他諸々ハーブ」
「ストゥグリの実? なんでそんなもの……」
マッケネンは眉を寄せた。だが、トーマスの目が細く笑うのを見て、問うのをやめた。こういうときには、普段おしゃべりな口も、貝のように閉ざされる。かれこれ知り合って二年。つきまとわれて相手するうちに、不本意ながら、そういう機微がわかるようになってしまった。
「妙なことをするなよ」
マッケネンは厳しい顔で一言言ってから、部屋を出て行った。
トーマスはそんなマッケネンのすげない態度にも、まったく懲りない。「はーい」と愛嬌たっぷりに手を振って見送るトーマスに、オヅマはあきれたようにつぶやいた。
「仲のよろしいことで」
「アハッ! そう見える?」
「まぁ、マッケネンさんは嬉しがらないだろうけど」
「そうねー。リュリュってば素直じゃないんだからなー」
「リュリュ?」
オヅマが問い返すと、トーマスはめずらしくあっと口を開けたまま止まった。ゆっくりと目線が逸れていく。
オヅマはじーっとトーマスを見据えた。
「リュリュ……って呼んでるの? マッケネンさんのこと?」
「うーん。どうかなー?」
トーマスの目は落ち着きなく動き、一切合わせない。
オヅマはムゥと眉を寄せた。
リュリュ、というのは多くの場合、可愛い何かに対しての呼びかけのようなものだ。多くは赤ん坊や幼児なんかに対して使われるが、大人同士の場合だと、恋人関係であれば、そんなふうに囁き合うこともあるらしい。
(但し、オヅマが知らないだけで、実際のところはマッケネンの名前がリュリュという、本人曰く『親がどうかしている名前をつけやがった』のであって、彼らの仲の親密度合いとはまた別の話)
「正直、俺、男同士でそういうの好きじゃないんだよ。マッケネンさんが同意してるなら、言うことないけどさ。あんまりフザけて困らせないでやってくれよ」
オヅマがやや嫌悪をこめて言うと、トーマスはフンと鼻白んだ。
「おやまぁ、めずらしく常識めいたことを
「アンタの趣味について文句言ってるんじゃない。例の近侍の昔の習慣だって、アンタにはちょっとした冗談なんだろうけど、言われた方は気分が悪くなることだってあるんだよ。マッケネンさんも、今は嫌々でもアンタの相手をしてやってるんだろうけど、ちゃんとした相手ができたら、妙に突っつき回さないでくれよ」
「ちゃんとした相手……ねぇ?」
トーマスは少し皮肉げに笑ってから、腕を組んでオヅマを見つめた。
「やれやれ。君は僕がリュリュに大層執心してると思っているようだけど、僕だってそれなりに場数は踏んでいるんでね。まったく脈のない人間に声はかけないし、フラれたらちゃんと相手の幸せを祈って去るさ。そこの引き際については定評があるんだ」
「どんな定評だよ……」
オヅマはもはや話す気もなかった。
トーマスもそれ以上、議論する気はないようで、静かに本を読み始める。
一刻ほどしてから、オヅマはトーマスに解答用紙を提出した。
トーマスはオヅマからの解答を受け取ると、ざっと見てフンと鼻を鳴らした。
「なかなかだね、オヅマ公子。じゃあ、今度は君が僕に問題を作ってきてくれる?」
「はぁ?」
「それで、とりあえず終わり。今までの問題の解答と合わせて、アカデミーに送りつけたら、まぁ……そこそこの評価はもらえるんじゃない?」
「別に俺は評価とか、どうでもいいんだけど」
「君はよくても、小公爵様と同じくらいのレベルじゃないと、高等クラスの授業、受けられないよ?」
「高等クラス? そんなとこ行くわけねぇだろ」
アカデミーでは入試結果によって、クラス選別がされる。(これはあくまでもレベル分けであって、一つの教室で過ごすという意味におけるクラスではない)
クラスによって必修の講義数が違っていたり、受講者多数で制限されるような人気の講義も、優先的に履修登録ができたりする。当然ながら高等クラスは狭き門で、合格者中、上位百人だけがそこに入ることができた。
オヅマは最初から興味もなかった。そもそもアカデミーに入ること自体、まったく考えてもいなかったことなのだ。アドリアンの近侍になった関係で、仕方なく行くというだけだ。
まったくやる気のないオヅマに、トーマスは軽く肩をすくめ、首をかしげる。
「そうなの? でも、小公爵様の望みはもっと高いよ。高等クラスの中でも、特に上位の三十人に入りたいみたいだ。試験勉強だけじゃなく、もうアカデミーで習うようなことも予習してる。僕にも何度か教えて欲しいって来たし」
「はぁ?! いつの間に?」
「君たちが寝ている間に、まぁ三日に一度程度かな? 近侍たちにはただでさえ無理させてるから、これ以上は申し訳ないってことで、そこまで自分に合わせる必要はないと思われたんじゃない? 言っておくけど、高等クラスは優秀者がわんさといるから、おっとりした貴族のお坊ちゃんは太刀打ちできないよ。あのクラスの奴って、色々と面倒くさくってさ。君、同じクラスになって頑張って護衛とやら? しておあげなさいよ。他の近侍くんたちじゃ、おそらく無理だよ」
「なんで、俺? テリィさんとか、もっと頭いいだろ」
「あぁ~、あの
「まさか」
オヅマは信じられなかった。
テリィは元々、近侍の中では頭が良いとされている。すべての科目の平均成績も、近侍になった当初はアドリアンよりも上であったくらいだ。
ただ、ここ最近……特にアカデミーの一般試験についての勉強になってからは、確かに以前ほど自分の成績についてひけらかすことはなくなっていた。授業中も注意散漫であると、何度か教師から叱責を受ける姿が目立つ。
「アカデミーの勉強は、単純な暗記問題だけやってればいいんじゃないんでね。正直、あんなものでいい気になってるうちは、幼児レベルだ。ケレナ・ミドヴォアもちょっと頭抱えてたもん。どうやって伝えたらいいのかわかんない、って」
テリィは今回の事前考査に送る小論文について、得意のルティルム語を題材にして書いている。当然、ケレナがその添削や助言を行っていたのだが、あまり
それはテリィがケレナに対して、女教師ということで、多少 ―― というより、分かりやすく下に見ていたからだ。アドリアンに注意されてからは、あまりあからさまな態度をとることはなかったが、根付いた偏見というのは、そう簡単に消えないものだろう。
実はマリーがテリィを嫌っている理由に、こうしたケレナ ―― あるいは自らで生計を立てる女性に対する蔑視もあった。
グレヴィリウス公爵邸においては、故リーディエ公爵夫人の影響もあってか、不条理なまでの男尊女卑はなかったが、それでも帝国内に根強くその傾向は残っていた。
男性側が性差による力を
それこそ女の家庭教師などは、年頃の令嬢を指導する者として必要とされつつも、彼女ら自身の身の上については、馬鹿にする主人や女主人は少なくなかった。
テリィも悪気などはなく、ただ母親や周囲からの教育の中で、当然のように身についた意識であるから、これを直せと言われても難しいのだろう。ただ、レーゲンブルトにおいては、黙っていない女性陣がそこそこいるので、気をつけるようにはなっていたが。
いずれにしろテリィの学力には、案外と問題があるようだった。
だが、今のオヅマにテリィの心配をしてやる余裕はなかった。
あのトーマスに出す問題ともなれば、安易なものだと一瞬で解かれて、突き返されるのは目に見えている。おそらく今までトーマスに課された問題も、おそらくはこの問題作りを最終目的にしていたのだろう。
「ほんっとに……食えない人だよ」
オヅマは嘆息して、さっそく問題作成を始めた。
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