第四百二十二話 トーマスの助言(1)

 ランヴァルトからの手紙で、ようやく元気を取り戻したアドリアンではあったが、オヅマのあの言葉に対しては、簡単に怒りを解かなかった。翌日になって、声をかけようとしてきたオヅマに冷たい一瞥をくれて黙らせ、それからかれこれ十日近く、まさしく絶交状態になっている。


「あぁ~! もう勘弁してくれ。アイツがあんなに根に持つ性格と思わなかった」


 バタンと机に突っ伏して愚痴をこぼすオヅマに、マッケネンは容赦なかった。


「馬鹿が。当然の報いだ。そもそも今までがよく許されてたくらいなんだ。ここらでしっかり灸を据えてもらえ」

「ひでぇッ! ちょっとは慰めようとか思わないの?」

「思うか! お前のせいで、俺はトーマスとまた問題を作る羽目になったんだぞ!」


 前回、トーマスに与えられていた問題をオヅマが途中で投げ出したため、あれについては当然ながら破棄されてしまった。オヅマとしてはそのままで良かったのだが、なぜかトーマスはあれからマッケネンも巻き込んで、新たな問題を作成してきた。


「僕とリュ……マッケネン卿の力作だから、気合い入れて解いてね!」


とウィンクなんかして問題を渡してきたあとに、どこで捕まえたのかそのマッケネンまで学習室に放り込んで、自分は用事があると出て行ってしまった。まったくもって、相変わらず自由な人間である。


「俺だって用事があるってのに、お目付役だとか抜かして、試験監督みたいな真似させられるし……ほら、いつまでもグチグチ言ってないで、とっとと終わらせろ」


 マッケネンはレーゲンブルト騎士団において、次期副官候補でもある優秀な騎士であるのだが、それは元々アカデミーの試験資格を得るほどに頭脳明晰であるというのも理由の一つだった。残念ながら試験の結果は不合格であったが、そこから騎士になるという選択をする人間は珍しく、その変わった経歴も含めて、すっかりトーマスに目をつけられているようだ。


「なんだかんだ言ってるけどさぁ、マッケネンさん、トーマス先生に甘いよね」

「やめてくれ。こっちは嫌々なんだよ」

「そんなこと言って、ちゃんと言うこと聞いてるじゃんか。なんか弱みでも握られてるの?」

「…………」


 マッケネンは答えなかった。それが答えだった。オヅマは深く聞かなかったが、あのトーマスに弱みを握られるなんて、マッケネンもツイてないなとちょっと同情した。

 他人のことなんてまるで興味ないようでいて、トーマスの観察眼は鋭い。アドルとの絶交状態に陥ったあの日、問題ができなかったことを謝りに行ったときも、思わぬ着眼点をついてきた。



***



「ちょっと、トーマス先生。マリーに妙なこと吹き込まないでくれよ」


 謝ったあとに、オヅマは思い出してトーマスに文句を言った。案の定、トーマスはキョトンとわからぬ様子であったので、オヅマは例の近侍のについて抗議したのだ。


「僕は一つの可能性として言っただけなんだけどねー。まだまだ純真なマリー嬢は、そのまま伝えちゃったんだなー。気にしなくっても、マリー嬢の中の恋人の定義なんて、せいぜいお手々繋いで一緒に出かけて帰り際にチューするぐらいなものだと思うよ」

「なに言ってんだ、アンタは! そういうのも含めてないんだよ、一切!」

「あーやしーいィー。なんかー、すごくー、否定するじゃなーい」


 ニヤニヤ笑って、冷めた紅茶を飲むトーマスにオヅマは舌打ちした。

 本当に話の通じない人間の相手をするのは大変だ。ロビンが怒り出すのもよくわかる。こんなのと家族だったら、それは気苦労が絶えないだろう。


「そんなだからロビン先生にだって嫌われるんだぜ」


 いつだったかの兄弟ゲンカを思い出してオヅマが言っても、トーマスは余裕の笑みだった。


「嫌う? まさか。ロビンは僕のことがだーい好きだよ」

「どういう発想だよ、それ。あそこまで毛嫌いされてて」

「わかってないなぁ、オヅマ氏。ロビンは僕のことが大々々大だーい好きなんだよ。僕のように優秀でありたいし、誰からも認められる存在になりたい。賢者の塔にだって入りたい。でも、できない。だから僕が羨ましい。羨ましいのがこうじて嫉妬したりしてる。可愛いよねー」


 いけしゃあしゃあというトーマスに、オヅマはあきれかえった。


「……嫉妬してるのが、どうして大好きになるんだよ」

「嫉妬というのは、ある意味、その対象への異常な執着さ。いわば、ひとつの『愛』だ。だから、僕に嫉妬する人は、みんな僕のことがだーい好きなんだよ」


 もはや何を言う気にもなれなかった。白い目のオヅマに、トーマスは肩をすくめた。


「君にはわからないかなー? そうだな、小公爵様に伺ったほうがわかるかもね。彼はおそらく理解できると思うよ。いろいろと悩みが深そうじゃない? そういや小公爵様にも手紙は来ていたのかな?」


 オヅマはすぐに質問には答えず、反対に聞き返した。


「なんで手紙のことなんて聞くのさ」

「いや。別に。さっき手紙の束を乗せたサビエル氏に出くわしたからさ。そこで僕とロビン宛の手紙ももらって、まだお盆の上に手紙がいっぱい乗っていたから」

「だから、ロビン先生宛の手紙を、あんたがとったら駄目だろ?」

「すぐに当人が現れたから、ちゃんとその場で渡したよー。中身を見る前に」

「当たり前だっつの! 人の手紙を勝手に開封すんな」

「なんだよー。いいじゃんか、双子なんだから」

「双子だろうが、兄弟だろうが、していいことと、悪いことがあるだろ!」

「もー。真面目なんだからー」


 トーマスは緩く編んだ髪をいじりながら、再びオヅマに尋ねた。


「で。サビエル氏が持っていったお盆の上の手紙は全部、君への恋文だったの? あるいは小公爵様への恋文かな? 小包もあったね。毒入りのお菓子でも入ってた?」

「んな訳ねーだろ。ほとんどが近侍おれら宛だよ。実家からの手紙。サビエルさんのは……違うみたいだけど」

「サビエル? サビエル氏にも手紙が来てたの?」

「あぁ。誰だったかな? ゾル……とか、なんとか。一通だけ盆の上に置いてあるから、アドル宛かと思ったんだけど」

「ふぅん……」


 トーマスがニヤリと笑う。

 オヅマはもはや遠慮もせず、不満の鼻息をもらした。


「まったく。なんだよ、その意味ありげな顔は」

「いやいや。ま、そういうことなら、僕は何も言えない。下手に口を出したりなんかしたら、出入り禁止にされかねないしね。この辺りで口を噤むことにするよ」

「なんだよ、気になるなぁ」


 オヅマはむくれてみせた。

 トーマスの好奇心旺盛で、何にでも首をつっこみたがる性格は、同時に言いたがりも含んでいる。なにかと勿体ぶったことを言うのは、より相手に興味を引かせた上で驚かせたい、楽しませたいというサービス精神の表れでもある。だから、そこのところをくすぐってやれば、案外あっさりヒントはくれるのだ。


「他の従僕のルーティンを観察してみることだね。普通、従僕が手紙を取りに行くときには、自分宛の手紙を先に見つけて、すぐさまポケットにしまうものさ。わざわざ自分宛の手紙をご丁寧にトレイになんか、いつまでも乗せておかないものだ」



***



 その後、ロジオーノなんかを見ていると、確かにそのようで、本人にそれとなく聞いても、自分宛の手紙をトレイに乗せるなんてことはしないと言っていた。


 サビエルが有能な従僕であるのは間違いない。

 あの滅多と人を褒めないルンビックですらも、サビエルの気配りの細やかさは、他の従僕の手本となるべきもの……とまで言っていたくらいだ。だから、そんな初歩的なミスをするとは考えにくかった。

 むしろ、サビエルの従僕としての有能さ故に、トレイにその手紙を乗せることに躊躇しなかったのならば……?

 手紙のに対しての畏敬の念が、無意識にサビエルに従僕としてを取らせていたのならば、自分宛であるはずのその手紙をわざわざトレイに乗せていた理由もわかろうものだ。


 だがオヅマは直接サビエルに尋ねることは控えた。

 どうせ訊いたところで、素直に答えないことはわかりきっていたからだ。

 こういう口の堅さには、ルーカスですらも手を焼いていて、親子間でもアドリアンの話題については、サビエルはほとんど話さないらしかった。せいぜい笑い話程度のことを漏らす程度で、アドリアンの好物や興味あることすらも、サビエルから口にすることは絶対になかった。

『素晴らしい友達』というのが、どうにも気になりはするが、言ってもアドリアンだって、そう馬鹿ではない。多少お人好しで世間知らずなところがあるにしろ、自分にとって危険かそうでないかくらいの分別はできるだろう。どうやらエーリクとサビエルも一枚噛んでいるようだし、あの二人が知っていて何も言わないのならば、それこそ本当にマティアスの言う通り、皇太子とやらが相手なのかもしれない。


 皇太子……。

 皇太子…………。


「………………」


 その存在について深く考えようとした途端、オヅマは急に息が出来なくなった。

 ドッドッ、と心臓の鼓動が奇妙なほどに大きく聞こえてくる。

 ザァザァと激しい葉擦れのような音が、間断なく耳の奥から噴き上がってくる。


 一瞬、何かから隔絶された世界に覆われそうになって、オヅマは「ウワッ」と声を上げた。

 ふと我に返ると、マッケネンがひどく困惑したようにオヅマを見つめている。


「どうした、お前……? 冷や汗なんかかいて ―― 」

「なんでもない!」


 オヅマは即座に返事した。

 まだ心臓が激しく拍動している。

 乱れそうになる息を、必死で落ち着かせつつ、こめかみから伝う汗を袖でぬぐった。だが、まだ手の震えが止まらない。

 一体、なんなのか……自分でも自分の状態がよくわからない ――― 。


 そんなオヅマをマッケネンは怪訝けげんに見ていた。

 問題を解きながら、どこか上の空でコツコツと中指で机を打っていた。何か別のことを考えているのであろうことは予想できたが、いきなりその中指が止まったと思ったら、次の瞬間には凝然となって冷や汗を浮かべ、震えていたのだ。


「おい、気分でも悪いのか?」

「大丈夫だって!」


 オヅマはまた大きな声で怒鳴るように言って、荒い息を隠すようにハァと一息ついた。

 強張った顔のまま再び問題に取りかかる。


 そんな様子を見せられて、マッケネンが納得できるわけもなかった。詳しく尋ねようとしたその時に、トーマスがバタンと扉を開けて入ってきた。


「やぁやぁ! お待たせ!! 終わった?」

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