第四百二十話 駒(1)

 時間は二十日ほど前に戻り、帝都近郊ガルデンティアにて ――――



 ランヴァルトはアドリアンに手紙を送ったあとに、ふと思い出して家臣の一人を呼びつけた。


「ベネディクト・アンブロシュ。お呼びと伺いまして、まかり越しました」


 あるじの執務室に呼ばれたベネディクトは、恭しく礼をしてから、ピシリと背を伸ばしてその場に直立した。

 大きな執務机の向こうに座っている大公ランヴァルトは、それでもしばらく声もかけず、何かの報告書を読み進めていた。キリのいいところまで読み終えると、顔を上げて、ベネディクトを見るなりフッと顔をゆるめる。


「あぁ、アンブロシュ卿。帰ってきたばかりで、わざわざすまぬ」

「いえ。大公閣下にご報告もございましたので、近々伺おうと思っておりましたゆえ」

「あぁ、コズンのことか」


 ベネディクトは大公からの命を受けて、この数ヶ月、大公領のコールキアから旧イェルセン公国、そのままコズン王国まで巡歴していた。


「そうだな。詳しい話は会同の際にでも聞くが、ひとまず卿の見たところの感触はどうであった?」


 ランヴァルトは立ち上がって、来客用のソファへと足を運ぶ。ベネディクトも促されて、ランヴァルトの前のソファへと腰掛けた。壁際に立っていた小柄な従僕がそっと出て行く。


「コールキアにおいては、閣下の寛仁かんじんたるご配慮が行き届き、万民不自由なく暮らしております。ただ、旧イェルセンについては、総督府の人員も少なく、荒廃が進んで治安も悪くなっておるようです。閣下の肝煎りで『祈りの手』らの医師らが貧民の救済に当たってはおりますが、日々増える患者に相当疲弊しておるようです。私にも増員を要請されましたが……」

「アンブロシュ卿にはそのような権限などないものを……よほど切羽詰まっておるようだ」

「はい。彼らも必死なのでしょう。一度などは救済所にまでも匪賊ひぞくが現れて、それはすぐに対応できましたが」


 ランヴァルトはフッと頬を歪めた。


「アンブロシュ卿のいるときに襲うとは、運のない賊もいたものよ。奴らの背後は?」

「一応、取り調べましたが、特に問題ある繋がりはないようでした。貧しさゆえ、徒党を組んで物品のあるところを狙っていたものと思われます。その後、教誡者きょうかいしゃらに諭されて、一部の者は手伝ってくれるようになりました。警備の手順なども教えておきましたので、救済所周辺の安全はしばらく確保できるでしょう」

「それは重畳ちょうじょう……」


 ランヴァルトが頷いたところで、コツコツと扉の打つ音がする。そのままあるじから「無用」の声がないのを確認して、先程出て行った従僕がワゴンを押して入ってきた。手慣れた動作で従僕がカップに珈琲を注ぎ、ランヴァルトとベネディクトの前に置くと早々に去って行く。


 ランヴァルトは一口珈琲を含んでから、話を続けた。


「コズンについては?」

「王は病によって威権が弱まり、宰相ヒビデオ=ル・ムサイの影響が王宮内において強くなってきております。首都ジャレドゥの界隈においても、そのうちクーデターが起きるのではないかという噂がございます。本来であれば、王太子が摂政として王に代わって政務をすべきところですが、如何いかんせん、素行に色々と問題がおありのようで……現王も息子にはあまり期待しておられぬようです」

「素行に問題のある息子だとわかっていて廃位せぬのであれば、先の孫に望みを託したいといったところか」


 ランヴァルトが先を取って言うと、ベネディクトは驚いたように顔を上げてからクスリと笑った。


「さすがはご慧眼にございます。王太子の長子であられるボホルド=ア=デンン王子は、父とは違って聡明な方でいらっしゃいます」

「その言い方であれば、会ったのか?」


 ベネディクトはまるで心を見透かしたかのように相槌を打つランヴァルトにやや驚きつつも、もはや主の非凡なることは当然であったと納得して頷いた。


「一度、お忍びでコズンに開設した救済所にもいらっしゃいました。『祈りの手』の活動をご覧になられて、大層感銘を受けたようで……お手ずからめしいの老婆に水を飲ませておられました。英明なだけでなく、誠実なるお人柄とお見受けしました」

「年はいくつだ?」

「本年、十五歳と聞き及んでおります」

「十五か。……二年は待つかな」


 ランヴァルトのつぶやきに、ベネディクトはしばし考えた。二年後といえば、ボホルドが成人となる。


「王子の成人を待って、コズン王が譲位なさるとお考えでしょうか?」


 ランヴァルトは返事せず、かすかに笑うのみだった。珈琲をまた一口含み、急に話を変える。


「ところで一つ聞きたいことがあって、卿を呼んだ。確か卿は先年、レーゲンブルトに行っていたな?」


 ベネディクトはいきなりまったく違う話題になって、多少戸惑いつつも頷いた。


「はい。黒角馬くろつのうまの研究団派遣につき、取り纏め役として現地に赴きました」

「では領主のヴァルナル・クランツにも会っておろうな。そういえば、一度手合わせをしたとも言っていたな」

「はい。『澄眼ちょうがん』の一端にも触れさせていただきました。私も未熟ながら技を試しましたが、まったく歯が立ちませんでした。一応、私の面目が立つようにと、手心は加えてくださいましたが……。まことに玄妙なる技でございます」

「あぁ、そうだ。私もリヴァ=デルゼとの立合の際に触れたことがある。のは少々粗いゆえ、クランツ男爵であれば技もまた一層こなれたものとなっているのであろうな」

「左様でございますね」


 ベネディクトは傲慢な女戦士を脳裏に浮かべ、やや冷淡に返事した。同じ稀能きのうを扱う者としては、どう考えてもヴァルナル・クランツの方が優秀であるのは間違いない。


「そこで、クランツ男爵の息子には会ったか?」

「クランツ男爵の息子……ですか?」


 ベネディクトはしばし考えた。

 確か病気がちで、ほとんど館にいるという話だった。もしかすると晩餐に招かれた際にでも顔を合わせたかもしれないが、あまり印象はない。


「申し訳ございません。会ったやもしれませんが、あまり覚えておりません」

「おかしいな? クランツ男爵の新たな息子は、相当に腕が立つと聞き及んでいるのだが」


 ランヴァルトに言われて、ベネディクトはすぐに思い至った。


「あぁ! あの小僧……あ、いえ、そうでした。確かにあの少年も息子となったのでしたね。申し訳ございません。私が最初に紹介されたときには、まだ見習い騎士ということでしたので」

「名前は知っておるか?」

「はい。確かオヅマと申しておりました。クランツ男爵と手合わせしたときに、男爵からの頼みで、彼とも一度立ち合っております」

「ほぉ」


 ランヴァルトは楽しげに頷いてから、軽い調子で尋ねた。


「どうであった? 卿の感触では」

「さすがは男爵の秘蔵っ子というだけあって、なかなか筋をしております。男爵から澄眼についても少し指導を受けていたようですが、こちらはまだまだでしたね。しかし精進すれば、修得いたすことでしょう。多少、生意気なところも見受けられましたが、努力家であると男爵も仰言おっしゃっておりました」

「そうか。……それで実の息子は病弱である故、男爵もその子を正式な息子としたかったのだな。わざわざ身分違いの女を妻としてまで」


 単純な養子となるよりも、その子の母と婚姻を結んだ上での子となれば、嫡出子とみなされ、当然、相続と後継の権利を得ることにもなる。貴賤結婚においては、多くが何かしらの目論見があってなされることが多いため、ランヴァルトの推測はいわば一般的な見解としては当然のことだった。

 だが事情を知っているベネディクトは苦笑して、やんわり否定した。

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