第四百十三話 守る者、守られる者

 領主館に着くと、アドリアンはしばらくの間、外出禁止を言い渡された。

 罰を与えたのはカールである。ヴァルナルは三日前に起きた雪崩なだれの調査に行っていて、不在であった。


「小公爵様とは思えぬ軽率さです。もう二年前のことをお忘れですか?」

「……忘れたことなどないよ」

「我らも怠慢であったかもしれませんが、せめて一言、家人かじんに声をかけてください。たとえエーリクとオヅマが随行するのであっても、です。あなたはグレヴィリウスの跡継ぎなのです。残念ですが、そのことで狙われることは少なくない。今回はそういうことでなかったにしろ、外出の際は用心すべきです」


 厳しく自分を見据えるカールの青い双眸そうぼうに、アドリアンは顔をふせた。一々ごもっとも過ぎて、なにも反論など出来ようはずがない。こういう逃げ場を与えぬ説教もまた、騎士らから『鬼カール』と呼ばしめる所以ゆえんであろうか。


「ここは帝都と違うのです。辻々に衛士えじ(*警察官のようなもの)が立っているわけでもない。治安が格別悪いとは言いませんが、その分、自然の驚異は間近にある土地です。今回とて、マティアス公子が我らに教えてくれるのが遅かったら、下手をすれば吹雪で遭難していたかもしれませんよ」

「マティが?」


 領主館での留守居役を任せられたマティアスは、しばらく悶々としつつ小論文の下書きをしていたのだが、ふと気になって騎士団の修練場に行き、カールに尋ねた。


「あの、念のため、お伺いしますが、小公爵様には誰か騎士が警護について行ってますよね?」


 何のことかとカールが問い返し、そこでアドリアンらが警護の騎士を連れずに、兎狩りに行ってしまったことが発覚したのだという。その後すぐさま出て、領主館に向かっていたエーリクとちょうど行き合い、あわててサジューの森に急行したのだった。


 結局、カールの説教から解放された後に、そのマティからもお小言をもらい、アドリアンはただただ項垂うなだれるしかなかった。

 自分の部屋に戻る前に、オヅマの部屋へと向かうと、ちょうど中からビョルネ医師が出てきた。


「ビョルネ先生、オヅマは? 大丈夫ですか?」


 小走りに駆け寄ってきたアドリアンにビョルネ医師は少し驚いた様子だったが、ニコリと笑って言った。


「大丈夫ですよ。なんだか話に聞いていたのと随分と違っていましたが……」

「違う?」

「騎士団の方々からは、随分と重い症状が懸念されるようなことを聞かされていたのですがね。案外、当人はケロリとしたものです。一応、このあとに狼狐おおかみぎつねの毒について調べるつもりですが、現状においては心配されるほどの重篤じゅうとくな状態ではありません」


 快活に話すビョルネ医師に、アドリアンはホッと息をついた。オヅマと話せるかと尋ねると、一つだけ注意された。


「一応、大丈夫だとは思うのですが、髪には触れないようにしてください」

「髪?」

「どうもよくわからない症状なのですが、髪が変色していまして」

「髪が変色?」

「念のため数本調べます。結果が出るまでは、触れないでくださいね」


 ビョルネ医師はやや早口に言うと、そのまま去って行った。

 アドリアンはいまいち意味がわからなかったが、扉を開けて「よぉ」と声をかけてきたオヅマを見た途端、すぐに理解できた。


「オ……ヅマ。君、その……髪」

「おーぅ。さっきビョルネ先生に鏡見せてもらってさ。すげーのな。なんか、お前のと似てない?」


 話しながら、オヅマは手鏡で自分の姿を見て笑っていた。

 ベッドに座っているのは見慣れた亜麻色あまいろの髪の少年ではなく、自分とそっくりの黒い髪のオヅマだった。


 アドリアンは困惑しつつもベッドの側まで来ると、まじまじとその見慣れない姿を眺めた。基本的に自分のような髪の色をした人間は、父とイェドチェリカ以外に見たことがないので、ひどく新鮮だった。


「それ、染めたとかじゃないよね?」


 思わず尋ねてしまうと、オヅマはぷっと吹いた。


「あの状況でいつ染める時間があったっつーんだよ。俺、あのあと服ぎ取られて、上からバシャバシャ湯かけられて、また毛布でくるまれてここに運ばれたんだからな。あーあ。あの服、全部焼却処分だってさ。シャツも。エッダさんにまた作ってもらわねぇと……」

「何枚作ってもらう気だ」


 アドリアンは少しあきれたように言った。

 今、オヅマが着ているのも、その作ってもらったシャツの一枚なのだ。よほど気に入ったのかして、衣服になどとんと興味のないオヅマにしては珍しく、数枚持っているようだ。


「良かったよ……。一応無事みたいで」


 アドリアンはホッと息をつきながら、ベッドの端に腰をおろした。


「カール卿から、あの狐の血は毒だって聞いてたけど、その髪色以外は大丈夫なのか? 目とか……下手したら失明するって。喉も腫れて、高熱が出るって言ってたけど」

「あー……喉はまぁ、ちょっとは、そういうのもあったけど……今は全然」

「そうか……」


 アドリアンは静かに頷くと、ふと重い気持ちになってうつむいた。


「どうした?」


 沈んだ様子のアドリアンに、オヅマが首をかしげて問うてくる。「具合でも悪いのか?」


「いや、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃない顔して大丈夫って言われると、理由を訊くしかなくなるんだけど?」


 相変わらず情け容赦なく問い詰めてくるオヅマに、アドリアンはかすかに苛立った。


「……本当に君は……もう少し穏やかにというか……聞き方ってものがあるだろう」

「俺にその手の優しさを期待するなよ。俺はお前じゃないんだからな」


 何気ないオヅマの言葉が、いちいちアドリアンの胸をえぐる。


「っ……どうせ僕は君みたいにはなれないよ!」


 思わず怒鳴りつけたが、オヅマはわずかに眉を寄せただけだった。しかも肩をすくめて、あきれたように言ってくる。


「何にイラついてんだかわかんねーけど、言いたいことあるなら、この際だから言えよ。お前、この前からちょっとなんかおかしいし」

「なにが……別に、おかしくなんか」

「三回」


 いきなりオヅマが指を三本立てる。

 アドリアンが戸惑っていると、オヅマはフンと鼻をならした。


「マティに二回、マリーに一回。聞かれたんだよ。俺がお前を怒らせたんじゃないのか? って」

「え?」

「時々、お前が俺に何か言いたげに、睨みつけてることがあるってさ。気付いてたか?」

「まさか……」


 アドリアンですらも、そんなことはまったく気付いていなかった。だがその二人が嘘を言うはずもない。彼らにそう見えていたのならば、きっとそうなのだろう。

 自分でも知らず知らずのうちに、オヅマへの羨望の眼差しは嫉妬のそれへと変貌していたのだろうか……。

 アドリアンはギュッと両手を握りしめた。


「怒ってるんじゃないさ。ただ……君が、君ばっかりが強くなっていくから、時々、自分が歯痒はがゆくなるんだ。『澄眼ちょうがん』だって、ヴァルナルも君も教えてくれるって言ってたのに、全然教えてくれないし」

「教えてるじゃねぇか。呼吸法とか瞑想とか」

「あんなあやふやな、やってるのかどうなのかわからないことじゃなくて、ちゃんとしたことを知りたいんだよ!」

「ちゃんとしたこと……ってなぁ」


 少し困ったように笑うオヅマが憎らしくて、アドリアンはますます声を荒げた。


「僕だって『澄眼』を使えるようになりたいんだよ! 君みたいにちゃんと修行したいんだ!!」

「おいおい」


 すっかりいきり立つアドリアンに、オヅマはあきれたように笑った。そうして、決定的なことを言い放った。


「お前が『澄眼』なんて使う必要ないだろ。俺がついてるんだから」

「…………」


 アドリアンは愕然がくぜんとした。

 立ち上がっていたら、膝から崩れ落ちそうだった。


 その言葉はアドリアンに告げていた。


 お前はもう、俺の相手じゃないよ……と。

 もはや同等に肩を並べるべくもない。

 好敵手ライバルなんてとんでもない。

 ただ、守られるの存在なのだと。


 心の奥底に覗くくらい穴が、より深く、アドリアンをえぐっていく。

 ヒリヒリとした痛みと、煮えたぎる怒りをともなって。


 アドリアンを徐々に侵蝕していく嫉妬を知ることもなく、オヅマはのんびりと話を続けていた。


「だいたい、アカデミーの試験対策やらなんやらでクソ忙しいってのに、修行なんて、まともにやってられるわけないだろ。アカデミーに入ったら入ったで、ますますそんな暇もなくなるんだろうし。公爵閣下にヴァルナル様がいるように、お前に俺をつけたってだけだ。それがルーカスのオッサンの思惑だろうよ」

「…………わかってるさ」


 アドリアンはつぶやくように言って、立ち上がった。そのまま足早に扉へと向かう。

 今の顔を、絶対にオヅマには見せたくなかった。


「おい! アドル?!」


 オヅマがあわてたように呼びかける。

 ベッドから出てくる気配を感じて、アドリアンは駆け足で部屋を飛び出すと、そのまま逃げるように走り去った。

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