第四百十二話 アドリアンの暗い澱
アドリアンは
確実に
今までにもその技を使っているのを見たことはあった。
名人技とまで言われるカールの千本突きをかわし、はじき返す鮮やかな剣技。
ひたすら猿相手に鬼ごっこをしていたなどとフザけたことを言っていたが、その成長ぶりは確かにオヅマが『澄眼』を修得したと納得できるものだった。
だが、こうして獣相手の実戦を
身のこなしが全く違っていた。
自らも獣になったかのような、しなやかで隙のない動き。
三体同時に襲いかかってきても、まったく動じることなく、正確に見切った上で斬っている。しかもその斬撃速度も訓練時とは比べものにならない。剣を振るったとわからないうちに、獣たちは地面に倒れ伏している ――― 。
知らず知らずのうちに、アドリアンは拳をきつく握りしめていた。
睨みつける勢いで、オヅマの戦闘を凝視する。
「しょ、小公爵様……あの、もう少し下がっておいたほうが」
テリィが後ろから小さく呼びかける声も聞こえない。
今、オヅマが目の前で戦っているのは自分の為なのだ。
自分やテリィを守る為に、
それが十分にわかっていながら、アドリアンの胸中は落ち着かず、不穏な気持ちがまたザワザワとこみ上げてくる。
身分の上で、オヅマと対等でないことはわかっていた。
それはもう仕方なかった。
だからせめて騎士としては、剣を交える相手としては、同等でいたかった。同等であれると思っていた。
だが修行から帰ってきたあとのオヅマは、とてもじゃないが太刀打ちできない。
『澄眼』のことだけでなく、剣技においても体術においても、あまりにも差が開きすぎて、もう追いつけそうにない。
苛立ち、焦るアドリアンが囁く。
―――― このままでいいのか? と。
もはや共に肩を並べて戦うことなどなく、ただ守られるだけ。
そんなことで『友』と呼べるのかと。
思慮深い訳知り顔の小公爵が
―――― いいじゃないか、と。
オヅマは配下だ。
自分の配下の優秀な人間を使ってこそ、グレヴィリウスを継ぐ者なのだと。
だが、本心は?
自分の本心はどこにある?
―――― 君は……強いな……
ランヴァルトの言葉が甦ってきて、不意にアドリアンは泣きそうになった。
ちっとも強くなんかない。
自分は強くなんかないのだ。
今もこうして守られながら、戦うオヅマを見て、どうしようもない力の差に打ちのめされている。
焦っている……。
いや、もっというならば、嫉妬しているのだ。
自分の中に大きく開いた真っ暗な穴の中から、冷たい風がゴウゴウと吹いて、アドリアンは震えた。
なんて自分は醜い人間だ。
どこが誠実で、優しいと言うんだ。
今、目の前で戦っているオヅマに対して、感謝するどころか、自分の弱さを見せつけられて苛立っているというのに!
―――― 心の痛みは、ひととき
あぁ。
あの人がいてくれたなら……今のアドリアンに適切な助言を与えてくれただろうに。あの人であれば、アドリアンの胸底に積もる、この暗く重い闇を理解し、慰めてくれたであろうに ――― !
唇を噛みしめてアドリアンが見つめるその先で、数匹にまで減った獣が逃げていった。
オヅマが追い払ってくれたのだ。
「やった! 逃げてったぞ!! 小公爵様、オヅマがやっつけてくれましたよ!!」
テリィが隣で歓声を上げる。
アドリアンはゆっくりと深呼吸した。
そっと胸を押さえる。
落ち着こう。
今はオヅマが無事であることを、まず喜ぶべきだ。
「オヅマ!」
窪地から出て近付こうとすると、オヅマが制止した。
「来るな! こいつらの血に触れるな!」
「え?」
「俺はあとから行くから、先に領主館に戻れ。もう近くまで迎えが来てる」
話している間に、木の間からエーリクの姿が見えた。後に続くカールら騎士数人も。
アドリアンを見つけて駆け寄ってくると、散らばる狼狐の死骸にうっと声を詰まらせた。
カールはすぐにアドリアンに鋭く問うた。
「血を浴びてませんか?!」
「僕は……大丈夫だ。でも、オヅマが」
そう言ってオヅマのほうを見る。
オヅマは今しも倒れそうにフラフラとよろけると、とうとう膝をついた。
「オヅマ!」
一緒に来ていたマッケネンが近寄ろうとするが、オヅマは同じように制止した。
「来るな! 血に触れたら……」
言いかけてぐらりと体が
マッケネンはカールに二言三言伝えてから、一度その場を離れた。
カールがアドリアンに声をかけてくる。
「ひとまず帰りますよ。まったく、どうして一言知らせてくれなかったのです?」
「ただの兎狩りだし、騎士団の訓練中に邪魔しちゃ悪いと思ったんだ」
「お気遣いはありがたく存じますが、小公爵様の安全を守るためにこそ、我らは訓練しているのです。本末転倒です」
ピシャリと言われて、アドリアンは
問答無用でカールのあとについていく。その後にはエーリクに背負われたテリィが続いた。
途中で毛布をもってきたマッケネンとすれ違う。
「オヅマは……大丈夫なのか?」
尋ねながら、自分でもわからなかった。
自分は本当にオヅマのことを心配して言っているのだろうか……?
カールは厳しい顔で振り返り、しばし無言だったが、ボソリと言った。
「あの狐の鮮血は毒です」
「え?」
「血を浴びると、しばらくは……」
アドリアンはもう最後まで聞こうともしなかった。
「オヅマ! オヅマ!!」
必死になって声をかけるが、返事はなかった。
あのときの……ダニエルの首を斬ったあの日の、オヅマの白い顔が脳裏に浮かんで、アドリアンは真っ青になった。
ぐい、とカールに腕を掴まれる。
「行きますよ。早急に手当する必要があるんです」
そのまま引きずられるように、アドリアンは連れて行かれた。
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