第四百十話 テリィの走馬灯

 暗い穴の中で、テリィは力なく横たわっていた。

 雪解けのぬかるんだ土が口の中にまで入り込んで不味まずい。せっかくの帽子も、帝都で母に買ってもらった外套がいとうも泥だらけだろう。

 みじめな自分の姿を想像して、テリィは泣いた。

 涙に濡れた目で、土の上にふわりと落ちては消えていく雪を見つめる。


 この雪のように、自分もこの泥の中で消えていくのだろうか……? 

 あぁ!

 こんなことなら花なんて取りに来なきゃよかった。

 ビョルネ先生に文句を言うつもりはないが、たまにこうしてお節介をするとこうなる。だから嫌なんだ。


 自虐して気弱になるテリィの目の端に、ティアのためにとった雪鈴草フェリティアが見えた。

 泥で汚れて、花びらも散って、みすぼらしい姿になっている。

 もうこんなのをあげるわけにもいかない。

 球根は洗えばオリヴェルの絵の具で使えるだろうが……もう自分には、オリヴェルにそのやり方を教えてやることもできないだろう。


 オリヴェル……あの子はいい子だった。

 武人の父親に似ず、ちゃんと芸術の理解も深いし、なにより優しい。

 なぜか頻繁に騎士団訓練の見学に来たりして、正直、テリィはそれが嫌ではあったが、そこで散々な目にあって情けない姿のテリィを見ても、オリヴェルは馬鹿にしたり、さげすむようなことはしなかった。


「どうせ君も、僕がオヅマみたいじゃないから、内心では馬鹿にしてるんじゃないのかい?」


 一度、ちょっとむくれて言ったことがあったけども、それこそオリヴェルは少し怒って言い返してきた。


「なに言ってるんだよ! テリィ、君だってすごいんだよ。負けたって負けたって、ちゃんと立ち上がるじゃないか。嫌でもちゃんと皆と一緒に訓練もしてるし、走ってもいる。それだけでもすごいんだよ。君は自分のすごさがわかってない!」


 テリィは呆気にとられてしまった。

 今まで、自分の情けない姿を見て、誰もがせせら笑うか、あきれた溜息をつくだけだった。近侍らはもちろん、アドリアンですらも。

 だからテリィは騎士としての訓練に関しては、どんどん卑屈になっていたのだが、オリヴェルはそんなテリィですらもすごいのだと言う。

 もちろん、テリィはそのまま受け取ってしまうほど子供ではなかった。

 オリヴェルは体が弱くて、自分には出来ないことができるテリィを羨ましく思う気持ちもあるのだろうと思った。それでもやっぱり嬉しかった。少しだけでも、自分の価値を認められた気がした。

 ただまぁ……


「それにオヅマと比べても仕方ないよ。オヅマは天才だから」


と、ちゃっかり自分の兄を自慢してきたので、感動の涙は出なかったけども。


 テリィは泥に汚れた雪鈴草フェリティアに手を伸ばした。


『可愛いティア』。

 本当に名前通りの花だ。

 薄く淡い紅色も、そのまま彼女の髪色と同じ。

 兄であるアドリアンと母が違うとはいえ、きっと兄妹共々、美しく成長するのだろう。あの髪を結い上げて、絢爛けんらんたる衣装に身を包めば、きっと誰もが目を見張る美人となるだろう。

 そうそう、例の皇太子主催の園遊会に現れたダーゼ公女も確かに美しかったが、どこか妖精みたいで人の雰囲気じゃなかった。ティアはしっかりと地に足をおろした、それこそこの花のように可憐で清楚な女性になるに違いない。


 そして、自分は ――――


 今、こうして辺境の片田舎の北の果ての大地で、誰知られることもなく、降り積む雪の中、眠るように死んでゆくのだ…………。


「………………」


 ゆっくりと目を閉じたテリィは、いきなりグイと掴まれるなり、地面から剥がされるように起こされた。


「おい。寝るなよ」


 聞き覚えのある声が耳朶じだを打って、テリィはパチリと目を開けた。


「へっ?」

「へっ、じゃねぇよ。なにをのんびり寝てるのさ、テリィさん。あんたが野宿が好きとは知らなかったな」


 いつもながら、どこか不遜な感じのする口調で、オヅマが言ってくる。

 テリィはあわてて否定した。


「な……誰が野宿なんて好き好んでするもんかっ」

「そうかい? じゃ、そろそろ起きてくれよ。さっきから、なんか百面相してたから見てたけど、いよいよ寝始めるからさ」

「なっ、なんで百面相……って、見てたんなら声をかけろよ!」

「なんで気付かないんだかね。俺もアドルも見てたのに」


 言いながら指さす先には、少し高くなった場所から、アドリアンが苦笑いを浮かべて見下ろしている。


「しょっ、小公爵様!」


 テリィはあわてて立ち上がったが、うっとまたうずくまった。

 どうやら穴 ―― というよりも、ちょっとした窪地程度のもの ―― に落ちたときに痛めたらしい。


「あーあー。もう、ドジだなぁ。ったく……」


 言いながらオヅマがテリィに背を向けて座る。

 むぅ、とテリィは仏頂面になった。ただでさえ情けないのに、オヅマにおんぶされて領主館に帰るなんて、恥の上塗りもいいところだ。

 だがテリィを背負おうとしたオヅマに、周囲を見回していたアドリアンが静かに言った。


「待て、オヅマ……出てこないほうがいいかもしれない」


 妙に緊迫した声に、オヅマはすぐさまテリィを離す。テリィはまたもや、さっき倒れていた場所に転がった。


「なんだ?」

「林の中に……山狗やまいぬか……狼か……何匹か……集まってきてる」


 二人はすでにテリィなど念頭にもないように、囁き声で会話しながら、周囲の状況を窺っていた。

 狼と聞いて、テリィは泣きそうになった。


 さっき自分が逃げてきたのは、狼からだったのだろうか?

 せっかく食われずに済んだのに……今、この二人が連れてきちゃったんじゃないの?


 泣きそうになってブルブル震えるテリィの耳に、つんざくような吠え声が響いた。


 ロォォォーン!!


「アドル、お前、こっちいろ!」


 オヅマは鋭く言って、アドリアンの腕を掴むと同時に、窪地から跳ねるように出た。


「うわっ!」


 オヅマに無理やり引っ張られた上、後ろからドンと押され、アドリアンも窪地に落ちる。だが、そこは普段からの格闘術訓練の成果なのか、しっかり受け身をしてすぐさま起き上がった。


「オヅマ!」

「そこから出るな! テリィ、小公爵様をしっかり守れ!!」


 オヅマが叫び、剣を鞘から取り出す。

 テリィは驚きつつも、今しも窪地から出て行こうとするアドリアンを必死に止めた。


「離せ、テリィ!」

「駄目です! 危ないんですから!!」

「オヅマだって危ないだろうがッ」

「小公爵様は駄目ですってば!」


 泥まみれになりながら二人がもみ合っている間にも、オヅマの目の前には針のように毛並みを逆立てた灰色の獣が続々と集まってきていた。

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