第四百九話 うさぎパイ狩り

 テリィがサジューの森に入っていく直前に、オヅマは遠くからその姿を見つけていた。


「……なんかテリィに似た奴が森に入って行ったけど」

「テリィが?」


 アドリアンが白い息を吐きながら尋ねる。エーリクも同じ方向を見たが、首をかしげた。


「どこだ?」

「あぁー、もう中に入っちゃったみたいだな。見えなくなった」

「いたの? 本当に?」


 アドリアンは半信半疑だった。

 そもそも寒がりで、騎士団の訓練でも仮病をつかってまで休もうとするテリィが、こんな雪の中を歩いているはずがない。

 しかしオヅマは確信を持って言った。


「いたよ。あの丸い形はテリィだろ」

「…………否定はしないけど、それだけでテリィと決めつけるのは」

「あんな目立つ橙色だいだいいろの帽子、ここいらでかぶってるのあいつだけだろ」

「うーん……」


 アドリアンはうなった。

 テリィがいつも外に行くときに被っている、自分の髪色と似た柑子こうじ色の帽子は帝都で見つけた逸品だとかで、確かに覚えている限り、レーゲンブルトで同じような色の帽子を見たことがなかった。お陰でレーゲンブルトの街に散策に出て、はぐれても、あの帽子さえあればテリィを見つけるのは容易だった。


「どうしてテリィがこのようなところに? 今日は街に行くと言ってませんでしたか? オリヴェル公子のために、絵の具の材料を買いに」


 エーリクが不思議そうに聞いてきたが、もちろんアドリアンだって理由なんてわからない。


「聞けばいいだろ。どうせ同じところに行くんだから」


 オヅマはそう言って、さっさとまた歩き出す。

 やれやれとアドリアンとエーリクも後に続いた。

 彼らの背には弓矢があった。オヅマの発案で急遽、兎狩りに行くことになったからだ。


「うさぎパイが食べたい」


というのがオヅマの理由であったが、どうも話を聞いていると、最終的にその理由はマリーにあるようだった。 ―――



***



 一刻(*一時間)ほど前、オヅマはトーマスからもらった問題に煮詰まって、学習室を出て行った。そのまま厨房で何か食べ物でももらってこようと、中庭の廊下を通りがかったところを、しょんぼりと肩を落とすマリーらに行き合った。

 最近ではすっかり一緒に行動している少女三人組(マリー、サラ=クリスティア、カーリン)は、雪の上に咲いたクロッカスを見に行ったのだが、残念なことにその花は兎に荒らされてしまっていたらしい。

 この前には冬の間に採れる貴重な大根の葉が囓られていたと、イーヴァリが怒り心頭だったし、どうも勇気のある兎どもが、領主館の庭にエサがあるとみて、度々やって来ているようだ。

 適当に彼女らを慰めた後に、オヅマは厨房に向かったのだが、さっきの話を覚えていたのだろう。料理人のソニヤ相手にうっかり「うさぎパイが食べたい」と言ってしまい、「兎をってきたら作ってやる」と追い出されてしまった。


 で、学習室に戻って来るなり、叫んだ。


「おい! うさぎパイりに行くぞ!!」


 アドリアンもエーリクもマティアスも、その場にいた者は全員頭の中に「?」しか浮かばなかった。


「何を言ってるんだ! お前はッ!!」


 いつものごとくマティアスの雷が落ちてから、オヅマが説明し、アドリアンはようやく合点がいった。


「そうだね。たまには気分転換にいいかもしれない。行こうか」


 アドリアンもいい加減、毎日毎日アカデミー試験のための勉強に辟易へきえきしていたのもあって、オヅマの提案を受け入れた。

 唯一、渋い顔になったのはマティアスだった。彼は三日前の訓練で足を捻挫していたし、そもそも提出予定の小論文も例のジーモン教授の一件で遅れがちだった。


「じゃあ、マティは留守番を頼むよ」


 アドリアンの言葉に、マティアスはますます渋面になった。


「オヅマがいるのに、わたくしが行かないわけには……」

「どういう意味だ、それ!」


 すぐさま吠えてくるオヅマに、マティアスもキッと睨んで言い返す。


「エーリクだけで、お前の無茶な行動を止められるわけがないだろう!」

「お前がいたって止まらねぇよ!」

「そもそも自制しようという気はないのか、お前は!」

「うさぎパイ狩りごときで、無茶なんぞするかっての」

「さっきから気になってたが、そもそもって、なんなんだっ?! それを言うならだろうがっ」

「どうせうさぎパイにしてもらうんだから、同じようなモンだろうが」


 こうして言い合いをしている間に論点がズレていくのは、もはやお約束だった。

 アドリアンは二人のやり取りをひとしきり見てから、パンパンと手を打った。


「とりあえず、マティは留守番。オヅマが無茶しないように注意しておくから、今日のところはお許し願えるかい?」


 マティアスはアドリアンもまた行きたがっているのだと理解し、不承不承頷いた。


「では断腸の思いではありますが、留守居役を務めさせていただきます」


 大仰な、古めかしい言葉で送り出したのは、ちょっとばかり自分も行きたかったという表れだろう。

 仏頂面のマティアスに見送られて、オヅマたちは領主館を出た。 ―――



***



 それから兎たちが根城にしているであろうサジューの森あたりまで歩いてきていたわけだが、そこでオヅマが本来であればこんなところにいるはずもないテリィを見つけたと言ったのだった。


「足跡があるな。何しに来たんだ、アイツ」


 オヅマは雪に残る足跡を見て、森へと続く道へと目をやったが、そこにテリィの姿はない。


「ともかくも兎を仕留めて、早く帰りましょう。どうも雲行きがおかしいです」


 エーリクは高くそびえるヴェッデンボリ山脈から迫ってくる黒い雲を警戒していた。

 このレーゲンブルトに来てから、気候の急変は何度か経験していたので、たとえ今がどれだけ晴天であっても、北向こうの山の天気を見る癖がついていた。これは騎士団の面々から教えられたことでもある。

 春と冬が行き交うこの季節は、南からの風と北からの風が頻繁に入れ替わる。

 今は北からの冷たい風が徐々に強くなってきていた。


「よっしゃ、うさぎパイ……行くぞ」

「うさぎパイが跳ねてるわけじゃないんだけど……」


 うきうきしたように弓を持つオヅマに、アドリアンは小さく訂正しながら、自分も弓を手にする。

 しばらくすると、倒木の向こうを飛び跳ねていく兎が見えた。

 素早くオヅマが弓を構えて矢を放つ。アドリアンも打ったが、最終的に逃げる兎を仕留めたのはエーリクだった。


「あー、さすが」


 エーリクは元々、弓矢に興味があったのに加え、例の弓部隊隊長のヘンスラーとの弓試合のあとには、名人と呼ばれるヨエルや、レーゲンブルトにおいては比類なき達人アルベルトに師事して、積極的にその技を学んでいる。そのため弓については、今や近侍の中でも抜きん出たものとなっていた。


「よっしゃ、次は俺だ」


 オヅマは兎の逃げた方角へと向かっていき、エーリクは仕留めた兎を腰のベルトにぶら下げた。もう一度、空を見上げて声をかける。


「あんまり奥まで行くな。雪が降り始めたら、すぐに帰らないといけないぞ」


 その後、オヅマも一匹、アドリアンも一匹仕留めたところで、エーリクは狩りの終了を申し出た。

 いよいよ太陽も灰色の雲に隠れ、風も強くなってきていた。

 オヅマとしてはまだまだ十分とはいえない成果であったが、天気を甘く見ていいことがないのは熟知しているので、おとなしくエーリクの指示に従う。

 アドリアンも物足りなかったが、


「ま、次はマティアスやテリィも一緒に行くことにしよう」


と、歩き出した途端に、聞き覚えのある悲鳴が風にのって聞こえてきた。


 三人は目を見合わせた。


「今の……テリィ?」

「…………似ていました」

「いや、アイツだろ!」


 オヅマはすぐさま走り出した。

 アドリアンは追いかけようとして、エーリクに素早く指示を出す。


「エーリクはカール卿に知らせてくれ!」

「小公爵様!」


 エーリクは止める間もなく駆けていくアドリアンの背を呆然と見ていたが、すぐさま踵を返して走り出した。

 このわずかな時間に、天候はどんどんと悪化してゆき、とうとう雪が降り始めた。しかも風も強くなってきている。早くしないと、下手をしたら三人とも遭難するかもしれない……。


 エーリクは雪に足をとられつつ、領主館への道を急いだ。

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