第四百七話 清毒(2)

 清毒せいどく


 相反あいはんするかのような名前を持つ清毒ソレ自体に毒性はない。だが摂取すると、毒が効かない体になる。すべての毒に対して耐性があるのかはわからないが、致死するような強力な毒ですら……いや強力であるほどに、効果を発揮する。


 この毒の精製にあたって必要とされるのは二つの生き物。

 一つは西の深海に棲むという鴆魚ちんぎょと呼ばれるなまずのような魚。もう一つは蒼目あおめ蝙蝠こうもりと呼ばれる、西南海の孤島の洞窟にのみ棲むという蝙蝠だ。

 鴆魚ちんぎょのほうは一口食べれば、口から泡を吹いて死ぬと言われるほどの猛毒をもっており、蝙蝠のほうは毒の実や、毒キノコ、あるいは毒蛙、時には毒性鉱物ですらも好んで食べるという、奇妙な食性を持っている。この鴆魚ちんぎょの肝と蝙蝠の内臓をすり潰し、種々のハーブ(毒草も含む)などを混ぜて作ったものが、清毒となるらしい。


 二つとも稀少な生体である上、その製法を知っている者も少なく、滅多と出回ることはない。おそらく帝国においては、知る人間もほぼいないだろう。知っているとすれば、それは西方の事情に明るく、そうしたものを用立てる必要のある人間くらいなものだ。

 だが、知っていたとしても普通は容易に手を出さない。というのも、この清毒が単に毒を無効化するというものでもないからだ。


 清毒の服用を開始したら『毒』も定期的に摂取せねばならない。そうして徐々に体を作り変えていくのだ。清毒自体に中毒性はないものの、毒の服用を怠った場合、激しい禁断症状に襲われた。しかも毒を摂取して、毒が体に馴染むまでの間 ―― いわば毒に耐性のある体に作り変えられるまでの間 ―― は、その毒によって様々な症状が出る。

 中には舌を噛み切りたいくらいに苦しむことも。


 の中では、オヅマも服用開始からの一、二年近くは、毒を摂取するたびに苦しんだものだった。五年もすると、もはやどのような毒であっても、ほぼ無症状になった。せいぜい爪が黒くなるか、腕や肩に紋様のようなあざが出た程度だ。

 だがどれだけ有用なものであったとしても、その身体への影響は計り知れない。

 確かに毒を無効化するが、反面、薬などの効果も半減する。麻薬なども通常量ではまったく効かないために、重傷を負ったときの縫合ほうごうなどで、麻酔効果のある香を焚いてもほとんど意味がなかった。


 そもそも毒といっても、必ず死ぬと決まったわけでもなく、相応の解毒薬もある。そちらでの回復をはかったほうが、身体への負担は少なくて済む。そのためどれだけ清毒に使用価値があるとしても、ほとんどの人間は二の足を踏むのだ。

 オヅマの知る限りにおいて、でも清毒を服用していたのは、オヅマ本人と……。


 思い出しかけたその姿を、オヅマは目をつむって消した。

 苦い表情を隠すようにうつむいたままのオヅマに、エラルドジェイが思い出したように尋ねる。


「じゃあ、これも知ってるかもしれねぇけど……子供が出来にくくなるって」

「子供?」

「あぁ。なんか出来にくくなるとかなんとか……それくれた婆ァが言ってた」

たなくなるってこと?」


 オヅマは首をひねった。

 そんなことはなかったような気がするが……?


「いや、そうじゃない。むしろソッチは……って、それはまぁいいとして。なんせ子供が出来にくくなるらしいぜ。だから、ちょうどいいとか言って商売女が飲んだら、そのまま次の月には毒飲むのを忘れて死んじまったとか。馬鹿な男がそれ飲んで、結局結婚しても子供が出来なくて、どうにかしろって泣きついてきたとか……」

「俺がそれ聞いて、やめると思ってんの?」


 オヅマはあきれたように言った。ここまで言われると、エラルドジェイの老婆心が少々鬱陶しくなってくる。


「いやー、将来はわからんだろ。お前だってさ」

「どうでもいいよ。別に」


 オヅマは吐き捨てるように言うと、また女給に声をかけ、ジュネヴァ(*蒸留酒の一種)を頼んだ。


「おいおい。ここで飲むのか?」

「あぁ。領主館に持ち帰って、下手に誰かが間違って飲んだりしたら大変だし……これ、キツイ酒と一緒に混ぜて飲まないと、溶けないんだよ。俺が蒸留酒シュナップスとか欲しがったら、何かと聞かれるだろ」

「…………」


 また渋い顔になるエラルドジェイの前に、ジュネヴァの入った小さな陶器のコップが置かれる。オヅマはコップを自分の前に持ってくると、クルクルと指で酒をかき混ぜてから、小瓶の中のものを注いだ。

 ドロリと落ちてきた黒い炭のような粘着質の液体は、透明なジュネヴァの中に溶けて、やや青みを含んだ銀色に変わる。


 オヅマはかすかに笑った。

 間違いない。確かに清毒だ。

 コップを持とうとすると、エラルドジェイがその上に手を乗せた。


「どけろよ」

「駄目だ。やっぱ、やめとけ」

「……心配すんなって。これんだくらいで、死なねぇから」

「オヅマ、やめとけって。ホントにさ。こんなモン飲まなくても……貴族の家だったら、解毒の薬とかも揃えてあるだろ。あのお坊ちゃんの家だったら、いっぱいあるだろうがよ」



  ―――― この馬鹿! なんであんなモノ……誰だよ、そんなモンお前に服ませたのは……



 の中でも怒鳴られたのを、懐かしく思い出す。

 やっぱりエラルドジェイは変わっていない。仕事となれば眉一つ動かすことなく人を殺すというのに、妙なところでお節介なのだ。

 どうにかしてこの清毒を消す方法がないかと、エラルドジェイが探し回っていたと人伝ひとづてに聞いたとき、鈍く心が痛んだのを思い出す……。


 で、これを服むのを止めてくれた人はあそこにいなかった。むしろの望みであるならば、服んで当然だと、苦しむオヅマに手を差し伸べることもなかった。…………


「…………守りたいんだよ、俺は」

「あの小公爵様をか?」

「アドルもそうだけど……それ以外にも、守れる可能性があって、その方法を知ってるなら、俺はそっちを選んでおきたいんだよ。後悔したくないから」

「お前、夢ってやつにとらわれすぎだよ。そこまで考えなくってもさ……」

「……そうかもしれない」


 母が父を殺すを見て以来、時々今自分がどちらにいるのかわからなくなるときがある。

 が侵蝕してきて、呑み込まれそうになっている……そんなふうに感じることもある。

 だが、今は違う。

 知らぬうちに支配されて、選んでいるのではない。

 この目の前のものを再び口にするのは、自分の意志で選び取った、一つの決断だ。


「もし、なにも起こらないなら、それが一番いいんだ。俺がこれを服むのが無駄だったってなるのが、一番いいことなんだろうな」

「だったら服まなきゃいいだろ!」


 いつになく険しい表情のエラルドジェイを困ったように見つめてから、オヅマはフッと視線を落とした。

 スゥッと目を細め、無表情につぶやく。


「……打てる布石ふせきはうっておく。それが俺の役目だ」


 あまりにも頑固なオヅマに、エラルドジェイは舌打ちした。


「クソ。取りに行くんじゃなかった。結局、俺、後悔してんじゃねーか」

「アンタは商売しただけさ。金をもらってブツを運ぶ。それだけのことだ。俺らはそういう関係だぜ。忘れんなよ、ジェイ」


 あえて秘名を呼ばないオヅマに、エラルドジェイは不満そうに鼻を鳴らしたあとに、コップから手をどけた。

 オヅマはそのまま呑もうとして、ふと思い出したように釘を刺す。


「もし倒れたとしても、すぐに気付くから、医者とか呼ぶなよ」


 エラルドジェイが「え?」と聞き返す間もなく、オヅマは銀色の液体を一気にあおった。ゴクリと飲み下したのを自分で確認すると同時に、そのままバターンとひっくり返った。


 気絶したオヅマにエラルドジェイは血相を変え、女給が何事かとやって来る。

 さっき自分が持って来たジュネヴァが空になって、オヅマと一緒に転がっているのを見て、エラルドジェイに怒鳴りつけた。


「アンタァァッ、何考えてんのさッ! 子供にジュネヴァなんぞ飲ませてえッ!!」

「ええぇぇ!!?? 俺ぇ? 俺が悪いの?」

「当たり前だ! この馬鹿野郎ッ」


 容赦なくゲンコツで頭を殴られつつも、エラルドジェイはオヅマの言いつけを不本意ながら守った。医者を呼びに行こうとする男を止め、オヅマの顔をビシビシ打って必死に声をかける。

 オヅマはぼんやりと目を覚ますと、周辺に集まった心配顔の大人達を見て笑った。


 こんなに心配をかけてしまって、ちょっと申し訳ない気分になる。エラルドジェイの言う通り、そこまで無理しなくても良かったかもしれない。


 だが、不安だった。

 どうしてもこびりついて離れない……断片的なの記憶。


 ある男が寂しげにつぶやいていた。



 ―――― クランツ男爵は、私の代わりに毒をけて……死んだのです……


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