第四百六話 清毒(1)
「オヅマ親分。また、奴からだよ」
ティボが
「お、戻ってきたか」
明日からはいよいよ
「よう。羊肉の串焼き、頼むぜ」
会って早々、挨拶代わりに要求してくる。
オヅマはあきれつつ、店の給仕に羊肉の串焼きを注文して、エラルドジェイの前に腰をおろした。テーブルには
「まだ昼だってのに、すっかり出来上がってんじゃねぇの?」
「なんだよ。久々の再会に早速の小言かぁ? まぁーったく、すっかりお坊ちゃんが板についちゃってさ」
「誰がお坊ちゃんだ」
オヅマはムッと言い返しながら、厨房から漂ってくる匂いに釣られるように、通りがかった
「『雪の下』とアニスのパイ」
「『雪の下』って、なに?」
「来たらわかるさ」
待っている間に、エラルドジェイが西の国の話を始める。オヅマに頼まれたものを受け取るついでに、西方諸国をうろついてきたらしい。
「どうもキナ臭いっちゃキナ臭いんだよな」
「キナ臭い?
「うーん。どうなんだろう? あったとしても、あっちの国内でのことになりそうだけどな。ただ、まぁ……大公の出番になるかもな」
「大公が……?」
オヅマは低く問い返す。その顔にやや翳りが生じたが、エラルドジェイは気付かず話を続けた。
「前に大公がイェルセン公国を滅ぼしただろう? そのあとは総督府を置いてたけど、今はほとんど形だけになってて、隣のコズン王国に任せてるんだよな。東部のコールキアあたりは大公の所領だから、治安もしっかりしてるけど、旧イェルセンの首都ジャレドゥ周辺は物騒でなぁ。俺も何回か絡まれたよ」
「そりゃ可哀相に」
「お、慰めてくれんの?」
「いや、相手が。アンタ相手に絡むとか、命知らずでしかない」
「……ひっでぇな。俺だって、めったやたらと殺すわけじゃねぇぞ」
「殺さないだろうけど、二度と話しかけられないようにはしてるだろ」
「まぁ、否定はしない」
「なに気取ってんだ」
フンと笑いながら、オヅマはうずらの卵をもらって食べる。
エラルドジェイはまたゴリゴリと袖の中で胡桃を回しながら、話を続けた。
「コズンがどうもあやしいんだよ。王様が年取っちまって、宰相が取り仕切ってんだけどさ。これがどうも……」
「なに? 馬鹿なの?」
「いや、反対。切れ者なんだよ。国内の人気はまぁ、ある。正直、王に取って代わるんじゃないか……なんて話まで出てくるくらいだ」
「ふぅん。なるほどね……」
オヅマは頷いたものの、さほど興味もなかった。
自分が生まれたときにも戦争は起こっていたが、それらはたいがいの場合、帝国の国境沿いか、
このレーゲンブルトも、かつては北東部にあった旧リオレティネ王国と激しい攻防戦が行われたが、後に現在のシェットランゼ領にいた豪族を
話している間に、女給が羊肉の串焼きとオヅマの注文したものを運んできた。
「これが『雪の下』?」
エラルドジェイがオヅマの前に置かれたマグを見て尋ねてきた。
鼻の下についた泡をペロリと舐める。
「なんだ?
エラルドジェイはクンクンと鼻をひくつかせて、興味津々と尋ねてくる。
「中身は温めた
「その白いのは? まさかビールの泡だけすくって置いたとか?」
「ハハッ。そんな訳ねーだろ。飲んでみろよ」
オヅマがマグを渡すと、エラルドジェイは怪訝に受け取ってゴクリと飲んだ。同じように鼻の下の泡を舐め取ってつぶやく。
「あぁ……メレンゲか。甘いな」
元々、サフェナ地方ではメレンゲを凍らせて食べる一種の冷菓があったのだが、誰かが温めた林檎酒の上にそれをのせることを思いついたらしい。それから『雪の下』という妙に風流な名前がついて、今やここいらでは羊肉の串焼き同様に名物になっている。林檎もサフェナの特産であるので、いわば土地気候を利用した郷土料理といえるだろう。
「なんだよ、飲んだことなかったか?」
「あるわけあるか。俺、水以外は酒しか飲んだことねぇぜ」
「あー、はいはい」
エラルドジェイは酒が強かった。それこそ夢でも、子供の頃からワイン瓶一本は毎日開けていたという、本当だか嘘だかわからない話を聞かされたことがある。どんな強い酒であっても、酔っているのを見たことがなかった。周囲のどんちゃん騒ぎに合わせて酔ったフリをしていることはあっても。
「……で?」
おおかた平らげたあとに、オヅマは切り出した。
エラルドジェイは途端に渋い顔になる。
「いるの?」
「いるから頼んだんだろ」
「本当にいるか~?」
「早く渡せ。ラオにはもう全額支払ってるんだからな」
オヅマはいつまでも渋るエラルドジェイの足を軽く蹴りつけた。
「もう~」と口をとがらせつつ、エラルドジェイはようやく胸のポケットから緑の小瓶を取り出した。
ラベルも何もついていない。だが薄汚れた小瓶は、いかにも中におどろおどろしいものが入っていそうだった。
実際、そうなのだが。
手にした小瓶を無表情に見つめるオヅマに、エラルドジェイがブツクサ文句を言う。
「なんでお前に必要があるんだよ。今や領主様の息子で、公爵家のお坊ちゃんのお気に入りだってのに。俺だって、そんなモン
「毒見だよ」
オヅマが理由を言うと、エラルドジェイはあっとなって、急に小声でコソコソと尋ねてくる。
「えぇぇ~、そんなにヤバいの? 小公爵って、しょっちゅう殺されかけてんの?」
「アンタ……その片棒担ぐようなことしておいてよく言うな」
「その片棒担いだ奴と、よく飲んでられるね」
「フン。あっちがアンタを利用したなら、俺も利用させてもらうまでだ」
オヅマが胸をはって威張ると、エラルドジェイはハァと溜息をついた。
「やれやれ……本当にお貴族サマはこれだから。こんなガキにまで、こんなモノ
「言っとくけど、アドルが俺に命令したわけじゃねぇぞ。俺が勝手にやることだ。アイツのためじゃなくて、俺のためだ。俺も毒見なんかで死にたくねぇからな」
「死にゃしねぇが……モノによっちゃ、相当苦しむときもあるって言ってたぜ。それこそ、のたうち回ることもあるって」
「知ってるよ。体に馴染むまでのことだ。一、二年ほど染みこませりゃ、あとはラクになるさ」
「なんでそんなこと知って……」
エラルドジェイは言いかけて止まった。まじまじとオヅマを見つめる。
「例の夢か?」
「…………」
オヅマは返事をしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます