第四百六話 清毒(1)

「オヅマ親分。また、奴からだよ」


 ティボが胡散臭うさんくさそうに言って、差し出したのは紙に巻かれた胡桃くるみだった。


「お、戻ってきたか」


 実織みおり月半つきなかば頃にレーゲンブルトにやって来て、オヅマが頼んでいたものを取りに行っていたエラルドジェイだったが、それから三ヶ月が過ぎて帰ってきたらしい。

 明日からはいよいよ大帝たいてい生誕月せいたんづきに入る。祭り本番となる満月の日を目指して、流れの商人や旅芸人たちもそろそろ移動し始めるので、それに合わせたのだろう。


「よう。羊肉の串焼き、頼むぜ」


 会って早々、挨拶代わりに要求してくる。

 オヅマはあきれつつ、店の給仕に羊肉の串焼きを注文して、エラルドジェイの前に腰をおろした。テーブルには麦酒ビールのたっぷり入ったマグと、ウズラ卵の燻製くんせい、干し肉、キャベツの酢漬けが置いてある。


「まだ昼だってのに、すっかり出来上がってんじゃねぇの?」

「なんだよ。久々の再会に早速の小言かぁ? まぁーったく、すっかりお坊ちゃんが板についちゃってさ」

「誰がお坊ちゃんだ」


 オヅマはムッと言い返しながら、厨房から漂ってくる匂いに釣られるように、通りがかった女給じょきゅうに自分の分も注文した。


「『雪の下』とアニスのパイ」

「『雪の下』って、なに?」

「来たらわかるさ」


 待っている間に、エラルドジェイが西の国の話を始める。オヅマに頼まれたものを受け取るついでに、西方諸国をうろついてきたらしい。


「どうもキナ臭いっちゃキナ臭いんだよな」

「キナ臭い? いくさでも始まるのか?」

「うーん。どうなんだろう? あったとしても、あっちの国内でのことになりそうだけどな。ただ、まぁ……大公の出番になるかもな」

「大公が……?」


 オヅマは低く問い返す。その顔にやや翳りが生じたが、エラルドジェイは気付かず話を続けた。


「前に大公がイェルセン公国を滅ぼしただろう? そのあとは総督府を置いてたけど、今はほとんど形だけになってて、隣のコズン王国に任せてるんだよな。東部のコールキアあたりは大公の所領だから、治安もしっかりしてるけど、旧イェルセンの首都ジャレドゥ周辺は物騒でなぁ。俺も何回か絡まれたよ」

「そりゃ可哀相に」

「お、慰めてくれんの?」

「いや、相手が。アンタ相手に絡むとか、命知らずでしかない」

「……ひっでぇな。俺だって、めったやたらと殺すわけじゃねぇぞ」

「殺さないだろうけど、二度と話しかけられないようにはしてるだろ」

「まぁ、否定はしない」

「なに気取ってんだ」


 フンと笑いながら、オヅマはうずらの卵をもらって食べる。

 エラルドジェイはまたゴリゴリと袖の中で胡桃を回しながら、話を続けた。


「コズンがどうもあやしいんだよ。王様が年取っちまって、宰相が取り仕切ってんだけどさ。これがどうも……」

「なに? 馬鹿なの?」

「いや、反対。切れ者なんだよ。国内の人気はまぁ、ある。正直、王に取って代わるんじゃないか……なんて話まで出てくるくらいだ」

「ふぅん。なるほどね……」


 オヅマは頷いたものの、さほど興味もなかった。

 自分が生まれたときにも戦争は起こっていたが、それらはたいがいの場合、帝国の国境沿いか、附庸国ふようこく(*帝国から一定の自治権を与えられた国家)が救援を求めてきて出兵するくらいであるので、基本的には帝国内は平穏であることがほとんどだ。

 このレーゲンブルトも、かつては北東部にあった旧リオレティネ王国と激しい攻防戦が行われたが、後に現在のシェットランゼ領にいた豪族を懐柔かいじゅうし、大攻勢をかけて併呑へいどんしている。元々北限ほくげんと呼ばれるほどであるので、他に反抗する勢力もなく、今やのんびりしたものだ。


 話している間に、女給が羊肉の串焼きとオヅマの注文したものを運んできた。


「これが『雪の下』?」


 エラルドジェイがオヅマの前に置かれたマグを見て尋ねてきた。

 麦酒ビールと同じマグに、たっぷりと白い細かな泡がこぼれそうなほどに乗っている。オヅマはマグの手を持つと、ゴクゴク飲んで、プハァーと酒飲みがよくやるように息を吐いた。

 鼻の下についた泡をペロリと舐める。


「なんだ? 麦酒ビールじゃないよな?」


 エラルドジェイはクンクンと鼻をひくつかせて、興味津々と尋ねてくる。


「中身は温めた林檎りんご酒だよ。でも、たぶん俺が飲むからって、しっかりアルコールとばされてんな。まぁ、おいしいからいいけど」

「その白いのは? まさかビールの泡だけすくって置いたとか?」

「ハハッ。そんな訳ねーだろ。飲んでみろよ」


 オヅマがマグを渡すと、エラルドジェイは怪訝に受け取ってゴクリと飲んだ。同じように鼻の下の泡を舐め取ってつぶやく。


「あぁ……メレンゲか。甘いな」


 元々、サフェナ地方ではメレンゲを凍らせて食べる一種の冷菓があったのだが、誰かが温めた林檎酒の上にそれをのせることを思いついたらしい。それから『雪の下』という妙に風流な名前がついて、今やここいらでは羊肉の串焼き同様に名物になっている。林檎もサフェナの特産であるので、いわば土地気候を利用した郷土料理といえるだろう。


「なんだよ、飲んだことなかったか?」

「あるわけあるか。俺、水以外は酒しか飲んだことねぇぜ」

「あー、はいはい」


 エラルドジェイは酒が強かった。それこそでも、子供の頃からワイン瓶一本は毎日開けていたという、本当だか嘘だかわからない話を聞かされたことがある。どんな強い酒であっても、酔っているのを見たことがなかった。周囲のどんちゃん騒ぎに合わせて酔ったフリをしていることはあっても。


「……で?」


 おおかた平らげたあとに、オヅマは切り出した。

 エラルドジェイは途端に渋い顔になる。


「いるの?」

「いるから頼んだんだろ」

「本当にいるか~?」

「早く渡せ。ラオにはもう全額支払ってるんだからな」


 オヅマはいつまでも渋るエラルドジェイの足を軽く蹴りつけた。

「もう~」と口をとがらせつつ、エラルドジェイはようやく胸のポケットから緑の小瓶を取り出した。


 ラベルも何もついていない。だが薄汚れた小瓶は、いかにも中におどろおどろしいものが入っていそうだった。

 実際、そうなのだが。

 手にした小瓶を無表情に見つめるオヅマに、エラルドジェイがブツクサ文句を言う。


「なんでお前に必要があるんだよ。今や領主様の息子で、公爵家のお坊ちゃんのお気に入りだってのに。俺だって、そんなモンんだことねーぞ」

「毒見だよ」


 オヅマが理由を言うと、エラルドジェイはあっとなって、急に小声でコソコソと尋ねてくる。


「えぇぇ~、そんなにヤバいの? 小公爵って、しょっちゅう殺されかけてんの?」

「アンタ……その片棒担ぐようなことしておいてよく言うな」

「その片棒担いだ奴と、よく飲んでられるね」

「フン。あっちがアンタを利用したなら、俺も利用させてもらうまでだ」


 オヅマが胸をはって威張ると、エラルドジェイはハァと溜息をついた。


「やれやれ……本当にお貴族サマはこれだから。こんなガキにまで、こんなモノませてまでやることかァ?」

「言っとくけど、アドルが俺に命令したわけじゃねぇぞ。俺が勝手にやることだ。アイツのためじゃなくて、俺のためだ。俺も毒見なんかで死にたくねぇからな」

「死にゃしねぇが……モノによっちゃ、相当苦しむときもあるって言ってたぜ。それこそ、のたうち回ることもあるって」

「知ってるよ。体に馴染むまでのことだ。一、二年ほど染みこませりゃ、あとはラクになるさ」

「なんでそんなこと知って……」


 エラルドジェイは言いかけて止まった。まじまじとオヅマを見つめる。


「例のか?」

「…………」


 オヅマは返事をしなかった。

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