第四百二話 アドリアンの誠実(2)

 言うべきは、ミーナと大公の不思議な繋がりだった。

 このところ立て続けにアドリアンに示された偶然について話せば、おそらくルーカスはすぐに調査するだろう。

 その過程でランヴァルトとの交流について咎められたとしても、それは今のアドリアンであれば反論できる。そもそも伯母エレオノーレのことを知らされていなかったのだから、大公と知遇を得て親しくすることに文句を言われるわれなどない。


 だが本来であれば、公爵家の者に話す前に、アドリアンはこのことについて、ランヴァルトに伝えるべきではないか。



 ―――― 十年以上が過ぎるというのに、いまだ……忘れ得ぬ……



 あんなに哀しそうに言うほどランヴァルトにとって大事な存在であったのならば、せめてその可能性のある人物が近くにいることを教えてやるのは『友』として当然のことではないか。

 いや、まだ確信が持てないのであれば、せめて彼に問うべきではないのか。


『前に仰言おっしゃっていた娘の名前は、ミーナと言うのではないですか?』

『その娘は西方の血の入った、薄紫の瞳をした少女ではありませんでしたか?』


 ランヴァルトだけではない。

 ミーナにも問わねばならない。


『あなたは昔、大公家にいませんでしたか?』

『そこで死にかけていた白い蛇を介抱してやり、その蛇に自分の姉を意味するレーナという名前を与えませんでしたか?』


 けれどその答えの先を想像したとき、アドリアンの中にひどく冷たいものがこごる。そんな感情を決して認めたくもないし、それをにぶつけたくもないのに……。


「……言いたくない……」


 アドリアンは顔を両手で覆いながら、弱々しくつぶやく。


「小公爵様……」


 サビエルはひどく思い悩むアドリアンを、痛ましげに見つめた。


 アールリンデンでの晩餐において決定的となったが、アドリアンにとって公爵は既に父ではない。父としての愛情も信頼も、もはや望むことのない存在と成り果てた。

 その代償を、寛容なる大公殿下に求めたとしても無理もないことだ。

 一従僕のサビエルに対してですらも、軽んずるようなことはなく、偉ぶることもない。尊貴なる身分にたがわぬ気品も雅量がりょうも持ち合わせていながら、嫌味なく庶民の場にも溶けこんでしまう。そんな大度量の人物が側にいて、どうして頼らずにおれるだろう。老成していても、まだ少年の儚さを持つアドリアンであれば、尚のこと。


 少し考えてから、サビエルは一つ、思い出した。


「そういえば……皇太子殿下も言わぬがよいと仰言おっしゃっておられませんでしたか?」



***



 帝都を出発する前日、いきなり非公式に尋ねてきた皇太子アレクサンテリは、挨拶もそこそこにアドリアンに言った。


「君、大公と頻繁に会ってるようだけど、あんまり彼に心酔するのは感心しないことだよ」


 どうしてランヴァルトと会っていることを、アレクサンテリが知っているのかと思ったが、聞いたところで教えてくれはしないだろう。

 グレヴィリウス公爵家においてもそうであるように、まして皇家こうけであれば尚のこと、その跡継ぎと周辺が警戒して、自分以外の皇位継承者に対して警戒するのは当然のことである。アレクサンテリ自身が望むと望まざるに関わらず。

 そんな境遇におかれていることに、本来同情すべきなのであろうが、自分も似たような状況ではあるし、なによりアレクサンテリの表情を見る限り、そうした悲壮感はない。いつもながら本心が見えず、人を食ったような、どこか空々しい笑みを浮かべるだけだ。


「何を仰言おっしゃっておいでか、わかりかねますが、皇太子殿下のご迷惑にはならぬことと存じます」


 澄まし顔でアドリアンが牽制すると、アレクサンテリは大きく伸びをしながら「ふぅぅーん」と、大きな溜息をつく。


「まぁ、僕はさておき。少なくともこの公爵家の連中 ―― 公爵を始めとして、ベントソンタヌキ卿やら家令、それとクランツ男爵なんかにも、秘密にしておくんだね。もし、知られたが最後、彼らは君が大公に会うのを禁止するだろう」


 それはアドリアンにも予想できたことだったので、とくに驚かなかった。

 沈着なアドリアンに、アレクサンテリは面白くなさそうにフンと鼻を鳴らした。


「なんだい、まったく。一応忠告してあげてるってのにさ。君、彼らが大公を遠ざける理由、わかってるの?」

「元大公妃……エレオノーレ伯母上のことですか?」


 アドリアンがムッとして尋ねると、アレクサンテリは紺青プルシアンブルーの目を見開いた。

「あーあーあーあー」と、うるさい相槌を打ってニコリと笑う。


「そう……そう! そうなんだよ。知ってた?」


 アドリアンは眉を寄せ、アレクサンテリを睨みつけた。

 なにか意味ありげな態度が気になったが、表情を見せない大きな紺青の瞳は、ただ機嫌の悪いアドリアンを映すだけだ。


「じゃあ、このことも知ってるのかな? その伯母上の一件で、公爵家が島を一つ取られたっていうのは」

「島?」

「南東にあるエン=グラウザ島さ。ダイヤモンドが出る上に、今は南へ向かう海洋交通路の要衝になってる。なかなか大公家も抜け目がないだろう?」

「それは……存じ上げませんでした」


 アドリアンが素直に言うと、アレクサンテリは得たりとばかりにニンマリ笑った。要は驚かせたかったのだろう。


「じゃあ、ま、あんまり我が大叔父の気精オーラに、巻き込まれないようにすることだね」


 去り際までもアレクサンテリは、ランヴァルトについて釘を刺してくる。

 アドリアンは憮然として言い返した。


「ご自分の大叔父上に対して、そういう言い方はあまりよくないと思います」

「失礼、小公爵。でも、覚えておくことだよ。僕の忠告を。彼の望みと、君の望みを取り違えることのないように」



***



 結局アドリアンは、ミーナと大公に関する疑問を封じた。


 この疑問を解消することが、関わるすべての人間にとって幸せであるとも思えない。下手をすれば今のランヴァルトの平穏を壊し、ヴァルナルたち家族の幸せを奪ってしまうかもしれない。


 誠実に考えた末に出した結論だった。

 そう、アドリアンは誠実であろうとした。

 自分のこの選択に、やましいものなどあろうはずがない。


 だが、一方で。


 そんなふうにしていることを、誰よりも自分自身がわかっている。

 狡猾な目をしたが、清廉であろうとするアドリアンを嘲笑っているのだ。



 ―――― オマエハ、ニ、ラレタクナイダケダ……

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