第三百九十三話 連帯責任

「やぁ……って、お前、なんで来たんだよ!」


 オヅマは立ち上がると、格子越しのアドリアンに怒鳴りつけた。


「とっとと帰れ! こんなところ見られたら、また……」


 必死に追い払おうとするオヅマに、アドリアンは肩をすくめて言った。


「何を勘違いしているのか知らないけど、僕がここに来たのは君を慰めにきたわけじゃないんだよ」

「ハァ? 誰が慰めてなんか……」

「あいにく、僕も謹慎することにしてね」


 言いながら、背後でかしこまる看守に声をかける。


「ここ、いい?」


と、指し示すのはオヅマの牢の鍵だ。


「なに言って……」


 オヅマがまごついている間に、看守は恐る恐るといった様子で鍵を開ける。ガタンと扉が開くと、アドリアンが入ってきて「へぇ」と興味深そうに辺りを見回した。


「さすがに牢屋というだけあって、うら寂しい場所だね」

「なにを暢気のんきなこと言ってんだ。とっとと出てけ!」

「無理だよ」

「なんで?」

「ほら」


と、アドリアンが示す方を見れば、看守がまたしっかり鍵をかけていた。


「おいっ! なに鍵かけてんだ!!」


 オヅマの抗議も聞こえないかのように、のらりくらりと年老いた看守は所定の場所へと戻っていく。


「まぁ、この際だから一緒に謹慎しておこう」

「馬鹿か、お前は! お前が謹慎するにしたって、こんな場所じゃなくていいだろ! 自分の部屋にいればいいんだよ」

「今回ばかりは、多少、こちらも本気を見せないと、なかなか厳しそうだよ」


 アドリアンが自嘲気味に笑うと、オヅマは力なく項垂れた。


「…………ごめん」

「…………まさかここにひょうが降ってくるのか?」

「どういう意味だ!」

「君が謝るなんて……驚天きょうてん動地どうちのことじゃないか」

「だから、どういう意味だよ!」

「言わないとわからないのか? 君も案外、とぼけているね」


 オヅマは余裕よゆう綽々しゃくしゃくと言い返してくるアドリアンに唖然となってから、フッと笑った。


「その様子じゃ、お前も多少は言いたいこと言ってきたんだな」

「まぁ……一応ね。わだかまりがすべてなくなったわけじゃないけど」

「フン。ま、言いたいことが言えただけ、まだマシになったか。ようやく湿気たクッキーみたいな顔じゃなくなったしな」

「……まったく。相変わらず奇妙な例えをする」


 アドリアンはあきれたように言うと、さっきオヅマが座っていた壁際の場所に座った。


「眉の怪我、大丈夫か?」


 オヅマは隣に座りながら尋ねる。

 アドリアンは軽く眉上の傷に触れて笑った。


「サビエルに応急手当はしてもらった。もう血も止まっているだろ?」


 一応、傷固めののりで血は止まっているようだったが、それでも傷口はくっきりと残っていた。

 オヅマはギリッと奥歯を噛みしめた。

 もっと早く自分が動いていたら、こんな怪我をさせることもなかったのに。


 しかしアドリアンは大して気にしていないようだった。


「それにしても、北の塔へ自分から向かうとはね。殊勝なことだとは思うけど、それこそ自室でいいのに」

「いいんだよ、俺は。こういう所のほうが、気が休まるし」

「牢屋が気が休まる?」

「……ゴタゴタと豪華な部屋は慣れない」

「あぁ……」


 アドリアンはオヅマの部屋を思い浮かべた。


 黒い鳥のタイルが扉に貼り付けられた部屋。

 そこは近侍に与えられる部屋の中で最も狭く、質素な部屋だった。

 そもそもあの部屋は、いざ小公爵の身に何かあった場合の、楯としての役目を負った者に与えられる。つまり身代わりに死ぬことすらも要求されるのだ。

 歴代、この部屋に入るのは近侍の中でも武勇に優れた者であるのは間違いなかったが、それと同時に身分の低い者でもあった。


 オヅマが来たときには、まだ部屋の用意が調っておらず、壁にはひびが入っており、窓のカーテンもすっかり焼けて色褪せ、家具類もベッドと衣装箱が一つずつあるきり。

 オヅマはそのままでいいと言ったのだが、さすがにルンビックが見かねて改修工事を行い、それなりに貴族子弟が起居するに十分なしつらえとなった。

 だが、この部屋をオヅマはあまり気に入っていない。理由を問うと、いつもさっきのようなことを言うのだった。


「あの部屋で豪華なんて言ってたら、テリィの部屋に入ったらそのまま卒倒しそうだね」

「一回入ったら甘ったるい匂いが充満してて、吐きそうになって、あわてて追い出されたよ」


 アドリアンはクスクス笑った。

 絨毯まで実家から取り寄せているテリィであれば、嘔吐えずくオヅマに真っ青になって、早々に叩き出したに違いない。


「それにしたって、わざわざ牢屋に来るなんて、君もお人好しだね」

「馬鹿野郎。これでも公爵閣下に対して怒鳴りつけたんだぞ。その場で成敗されたって文句言えないのに、自室に戻ってベッドでふんぞり返って寝てられるか」

「真面目だなぁ」

「誰がだよ! お前に言われたくねぇよ」


 またいつものちょっとした口喧嘩が始まると、カッカッと近付く足音と同時に、聞き馴れた声が響いた。


「まったく! このような場所においても、小公爵様に対して無礼な口をきいて……反省しているのか!」


 オヅマもアドリアンも、いきなり現れたマティアスに驚いて言葉を失った。

 不機嫌そうに口をへの字にしたマティアスの後ろからは、テリィとエーリクが続く。


「な、何しに来た?」


 オヅマが問うと、マティアスはフンと鼻を鳴らしてから、看守に言った。


「おい、看守。我らも謹慎する。ここを開けよ」


 看守は本来、勝手に鍵を開けることなど許されないのだが、さっきから続く異常事態にもうとっくに匙を投げていた。無言でカチャリと鍵を開けて、少年たちが入っていくのをぼんやり見てから、全員が入ったのを確認して再び鍵をしめた。

 ガチャン、と扉が閉まる音に、テリィだけがビクリと振り返って泣きそうな顔になっていたが、当然、誰も気付かない。


 マティアスは二人の前に立つと、アドリアンに恭しく辞儀してから、はっきりと言った。


「我らも謹慎することに致しました」

「……どうして? 僕のことを心配してなら無用だ。もし僕が公爵邸を追い出されても、君らについてはルンビック子爵やベントソン卿に言って、迷惑のかからないように取り計らって……」


 しかしマティアスはめずらしくアドリアンの言葉を遮った。


「申し訳ございませんが、小公爵様。我らは小公爵様を心配して、ここに参ったわけではございません。我らがここに来たのは、我らがなすべきことをなさず、横着であったことを反省するためです」

「反省? なすべきことって……」


 マティアスはジロリとオヅマを見て言った。


「本来であれば、あのとき、我ら全員でお前を押さえつけてでも止めるべきであったのに、動けなかった我らにも責任はある」


 ツンと澄まして言ったマティアスを、オヅマとアドリアンは唖然と見つめた。それから二人同時にマティアスに抱きついた。


「な、なんですかっ、いきなりっ」


 マティアスは真っ赤になって叫んだが、オヅマもアドリアンも笑っていた。

 オヅマはエーリクの肩を掴んで、アドリアンもテリィを引き寄せて、マティアスを真ん中にして、互いに肩を叩き合いながら笑い合った。


 オヅマはさっき訪れかけたが遠のいていくのを感じた。


 大丈夫。きっと大丈夫だ。母は生きてる。マリーも元気でいてくれる。

 それに……今は、一人じゃない。

 なにもない部屋で、一人虚ろに過ごしていた日々は、もはやどこにもない……はずだ。

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