第三百九十話 『オヅマ』の由来

 公爵とティアの初(実際には初ではないが、赤ん坊であったティアに公爵の記憶はない)対面は、ほんの数分で終わったが、それがあまり楽しいものでなかったのは、その日の晩餐に現れたティアの顔色ですぐにわかった。


「ティア、大丈夫か?」


 アドリアンはすぐに妹に声をかけた。

 やさしい兄の言葉に、ティアは少しだけ気分が和らいだようだ。ニコリと笑った。


「大丈夫です。少し緊張したので……」


 言いながら従僕が引いた椅子に腰を下ろす。座ろうとするタイミングで従僕は座る人間の動作に合わせて椅子を押すのだが、わざとであるのかこの従僕は乱暴に椅子をグイと押し、ティアはやや仰け反るようにして座る羽目になった。


「……おい」


 アドリアンはキッとその従僕を睨みつけた。「妹が怪我をしたらどうするんだ?」


 年嵩としかさの従僕は長年公爵家に勤めていて、アドリアンに対しても横柄に接することが身についていた。チラリと小公爵を見下ろしてから、澄ました顔で「申し訳ございません」と謝罪だけはする。心からのものでないのは明らかだ。


「…………」


 アドリアンは従僕の顔をしっかりと記憶して、テーブルへと向き直った。

 公爵の来る晩餐の席で、つまらない揉め事を起こせば、また公爵ちちの機嫌が悪くなるだろう。その責を受けるのは自分だ。理由などなく、でいちいち文句を言うなど、了見が狭いと見做される。

 それがわかっていて、この従僕もまた、晩餐の直前のこのときを狙って嫌がらせをしてきたのだろう。

 この場は黙っておいて、あとで家令なり執事なりに注意してもらう……それが最近でのアドリアンのやり方だった。公爵当人にこうした些事について訴えるよりも、家中かちゅうを取り仕切る者に言ったほうが処理も早く、適切な罰を与えてくれる。


 その様子を斜め向かいから見ていたオヅマは、内心舌打ちした。

 アドリアンが無礼な従僕のことを後で処理するだろうとわかっていても、その背後でしたり顔の男が目に入ると、走っていって、その厚ぼったい瞼をひん剥いてライム汁でも垂らしてやりたくなる。

 奥歯をギリギリ軋ませながら公爵の到着を待っていると、ハッハッと聞き覚えのある笑い声が響いて、入ってきたのは、ヴァルナルとミーナ、それにルーカス・ベントソンだった。

 ルーカスは入ってくるなり、チラっと見たオヅマの視線に気付くと、相変わらず人を小馬鹿にしたような微笑を浮かべた。


「おやおや、今日は楽しい晩餐だというのに、機嫌の悪そうなのがいるぞ」


 スタスタと寄ってきて、ガシリと肩をつかまれる。


「もう少しは愛想というのを身につけたらどうだ、小僧。せっかくめかし込んできたんだから」

めかし込む、って……これはアド……小公爵様がくれたから着てきただけで」


 今日、オヅマが着ている上着はアドリアンが帝都で買ってきてくれたあの上着だった。ミーナとヴァルナルに土産をもらったことを伝えると、見てみたいと言っていたので、今日、着てきたのだ。


「あぁ、これが前に言ってたやつか。ほぉ、似合っているじゃないか」


 ヴァルナルは席につく前に、オヅマの近くに来て上着をまじまじと見つめる。

 やや厚手の黒絹地に、右肩から胸にかけて、種々の植物が金糸で刺繍されており、その集まった植物によって一つの鳥がかたどられている。


「変わった柄だな。片身だけとは。それに……これは何だ? 植物なのか? 鳥なのか?」


 奇抜なデザインにヴァルナルが首をひねると、ミーナがさらりと答えた。


翠耀鵬アーデューンですね。サザロンの化身と呼ばれる伝説の鳥」

「ご存じなんですか?」


 アドリアンは思わず身を乗り出して尋ねた。近侍も含めて、今まで誰もその鳥について言及したことはなかったのだ。

 アドリアンの問いかけに、ミーナはニコニコと満面の笑みを浮かべた。


「えぇ、もちろん。オヅマにとっては、とても意味のあるものですから」

「え?」


 アドリアンはその時、ふとランヴァルトに言われたことを思い出した。



 ―――― その近侍であれば知っておるやもな……



「俺にとって意味があるって……なにそれ?」


 アドリアンが戸惑っている間に、オヅマがのんびりと尋ねる。

 ミーナはオヅマの服にある翠耀鵬アーデューンの刺繍を見つめながら、懐かしそうに話した。


「あなたを生んだときに、たまたま暁の翠星みどりぼしを見たの……」


暁闇ぎょうあん翠星みどりぼし』と一般に呼ばれるその星は、帝都以南において夜明けの一瞬に見えるとされる星のことだ。これもまた、サザロンの化身の一つと言われている。


「それでふと浮かんだの。同じサザロン神の化身であるその鳥の名前が。翠耀鵬アーデューン……ターディー(*ミーナの出自となる民族)の言葉では、オヅム=ァヌ=ィというのよ。帝国風の言い方をすると、オヅマ、ね」

「へぇ……知らなかった」


 オヅマは聞いても大して興味なさげであったが、ヴァルナルはしきりと感嘆した。


「ほぅ! それは素晴らしい。君は名付けの才能があるな、ミーナ。なるほど……オヅマはいわばサザロンの化身というわけだな」

「まぁ……そんな大層なものではありませんわ」


 ミーナはヴァルナルの過剰な反応に苦笑してから、呆然としているアドリアンに向かってうやうやしく頭を下げた。


「ありがとうございます、小公爵様。息子に相応しいものを賜りまして……」

「誠にありがとうございます、小公爵様。そこまでご存じの上で買ってくださるとは……オヅマ、お前もちゃんと礼を言っておけ。改めて」


 ヴァルナルはよほどにこの服のいわれを気に入ったのだろう。珍しくオヅマにまで礼を促してくる。

 オヅマはえぇ? と不満げに言ってから、アドリアンに問いかけた。


「アドル、お前それ知ってて、この服買ってきてくれたのか?」

「あ、いや……知らなかった……」

「なんだ。やっぱりまぐれじゃんか」


 オヅマは肩をすくめたが、ミーナはそれでもアドリアンの心遣いに感謝した。


「なんであれ、とてもオヅマに相応しい服ですわ。それにとても似合っていてよ、オヅマ」


 ミーナは軽く息子の肩にある翠耀鵬アーデューンの刺繍に触れてから、隣の席へと腰掛けた。ヴァルナルもその隣、アドリアンの前の席に座る。ルーカスは端に用意された自席に腰を下ろした。今日の晩餐の席には、アドリアンを始めとする近侍一同、ティアとカーリン、クランツ夫妻、それにルーカス・ベントソンが招かれていた。


 アドリアンは目の前で楽しげに会話しているヴァルナルとミーナを複雑な顔で見ていた。

 ランヴァルトが言っていた、その近侍オヅマだったら知っているかもしれない、というのはこういう事であったのかと、ようやく帝都からの疑問が腑に落ちた。しかし反面、ランヴァルトがオヅマの名前から連想してこの服を選び、同じようにミーナがこの服を見て翠耀鵬アーデューンを思い浮かべたのだということに、奇妙なくらいの偶然を感じる。

 いっそ、その服を選んだのがランヴァルト大公だと言ってしまったほうがいいのだろうか……?

 迷っていると、公爵ちちが入ってきた。

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