第三百八十七話 ズロッコの青月団

 翌日。

 アドリアンとしては甚だ不本意ではあったが、ティアを伴ってアールリンデンの中心街に赴いた。

 正直、グレヴィリウスのお膝元とはいえ、アドリアンはその街を訪れたことがない。ただの街人のように身なりを変え、近侍らにそれとなく周辺を守られつつ歩きながら、アドリアンはフードの下からキョロキョロと辺りを見回した。

 これまでにこうした街中を歩いたのは、帝都とレーゲンブルトにおいてだったが、帝都ほどに人混みがひどくてうるさくもないし、レーゲンブルトほど鄙びてもいない。アールリンデンは程よく都会的でのどかだった。


「ちょうどいいな」


 アドリアンのつぶやきに、オヅマが「なにが?」と問い返す。


「帝都ほど騒々しかったり、汚くない。レーゲンブルトほど田舎でもない」

「ほぅほぅ。出たよ、出たよ。地元贔屓びいきが」

「正直な感想だ」

「そういうのを御国自慢って言うのさ」

「自慢してるんじゃないだろ! 町並みも整備が行き届いているし、清掃もされてるみたいだから、歩きやすくていいと言ってるだけだ」

「あ~、はいはい~。ア~ドル~は、オラが町ィが~い~ちばん~」

「…………下手くそ」

「なにぃッ? じゃあ、お前が歌え!」

「どうして僕が? だいたいそんなデタラメな歌、聞いたこともない」


 近侍ら一同はアドリアンとオヅマのこうしたいさかいとも呼べない、ちょっとした掛け合いをあきれて見ていたが、ティアは目の前の光景にどういう反応をすればいいのかわからず、ついてきていたカーリンにこっそりと尋ねた。


「あの、カーリン。アドリアンお兄様とオヅマさんは、仲が悪いんじゃないわよね?」


 カーリンは苦笑した。自分も近侍になって間もない頃は、こうしたオヅマとアドリアンの口論をまともに受け取って、気を揉んでいたことを思い出す。


「心配ないです。マリーも言っていたでしょう? オヅマ公子と小公爵様は、いつもこうして喧嘩するのを楽しんでおいでですから」


 こっそり言ったのだが、自分の真後ろで囁かれてオヅマが気がつかないはずがなかった。


「おい、カーリン。そんな訳ないだろ!」


 クルリと振り返って急に怒鳴られ、カーリンはびっくりして固まってしまった。

 カーリンらの背後を歩いていたエーリクが、即座に注意する。


「オヅマ、公女様とカーリン嬢を驚かせるんじゃない。それに急に足を止めるな。こけたらどうするんだ?」

「へーい」


 オヅマは頷いてから、ティアに向かってペロリと舌を出しておどけてみせる。ティアは思わず笑ってしまった。

 その様子を見たアドリアンの眉間に、また皺が寄る。

 小公爵の苛立ちを感じたマティアスが、オヅマに注意をしようとしたときに、横へと伸びる道から大声が響いた。


「オヅマ!! 帰ってきたのか!」


 ガラガラと荷車を押しつつ走り寄ってきたのは、レオシュとズロッコの少年達だった。


「おう!」


 オヅマが手を上げて近付くと、パン! とレオシュが打って、その次に二人の少年が続く。


「オヅマ! 見てよ、これ!」


 挨拶もすっ飛ばして、そばかす顔の少年がオヅマにシャツの襟部分を見せてくる。そこには青い糸で三日月が刺繍されていた。


「青い月? なんだこれ?」


 問いながら他の二人のシャツの襟を見れば、そこにも青い月が刺繍されていた。


「いや、元々はボーの野郎が自分で刺繍してきてさ。奴としちゃお前のに似せたかったらしいんだけど、とてもじゃないけどあんな上手にできるわけないだろ? で、なんかかんかしてたら三日月の形になってたらしいんだよな」

「なんでレーゲンブルトの紋章が三日月になるんだよ」


 オヅマはプッと吹いたが、レオシュは満更でもなさそうに、自分の襟にある青い月をヒラヒラさせて続ける。


「いや、でもそれが結構良くてさ。皆がボーに頼んで刺繍してもらってたら、アイツ、三日月だけは上手になったんだ。そうしたら、いつの間にか全員のシャツの襟に青い月がついてて……」

「俺ら、ズロッコの青月団!」


 いきなり叫んだのは、もう一人の、帽子からくせ毛がはみ出した赤毛の少年だった。


「ズロッコの青月団?」


 オヅマが聞き返すと、レオシュは自慢げに頷いた。


「そう。いいだろ? あ、オヅマも名誉団員ってことで……」


 そこまで言いかけて、レオシュはオヅマの背後からものすごい剣幕で睨んでくる視線にようやく気付いた。フードを被っていて、顔はよくわからなかったが、あまりよろしくない雰囲気が漂っている。


「おい。お前の後ろ……から、すごい圧、感じるんだけど」


 ヒソヒソとオヅマに囁くと、オヅマはくるりと後ろを向いて呼んだ。


「アドル、紹介するから来いよ。ティアも。まともに礼言ってなかったろ」

「ティア?」


 レオシュは少し背伸びしてオヅマの背後を窺った。

 そのときティアは、にわかに現れた悪童連中からティアを守ろうとするカーリンによって隠されていたのだが、レオシュの声に反応してカーリンの背後から顔を出した。

「公女様!」と小さい声で制止するカーリンに「大丈夫」と笑って、レオシュの方へと小走りで駆けていく。


「おひさしぶりです、レオシュさん」


 ティアが懐かしそうに言うと、レオシュも嬉しそうに目を細めた。


「おぉ、ティアだ。元気そうだな。まぁ、オヅマと一緒に行ったって聞いてたから、心配はしてなかったんだけど……」

「はい、大丈夫です。あの……あの時はご迷惑をおかけして……」


 ティアはいつも通りに頭を下げかけたが、ふと止まって顔を上げると、ニッコリ笑った。


「色々、お世話になって……ありがとうございました」


 レオシュはいつも謝ってばかりだったティアからのお礼にくしゃりと笑った。


「あぁ。良かったな、ティア」


 そう言ってティアのピンクの頭を無造作に撫でる。その様子を見ていたテリィが「あぁーっ!」と声を上げると、レオシュはビクリとして手を上げた。


「え? なに?」


 驚いてオヅマを見ると、その隣にはいつの間にか先程から鋭い視線を投げつけてくる少年が立っている。


「あぁ、レオシュ。こいつ、アドルな。ティアの兄さんだ」


 軽い調子でオヅマが紹介する。

 レオシュはしばし混乱した。


「え? ティアの兄さん? 兄さん……って……アドル……?」


 オヅマの言葉を反芻する。ややあってから、ぱっくり口を開いて、二三歩後退あとずさった。


「え、え、え……まさか」


 ヒクヒクと頬が震えて顔が引きり、半ば笑ったような顔になる。

 アドリアンは待ちかねたようにフードを取ると、傲然と言い放った。


「初めまして、レオシュ。僕はアドリアン・オルヴォ・エンデン・グレヴィリウスだ」


 レオシュはもはや顎が外れたかのように、開いた口が開きっぱなしになった。まじまじと見つめている間に、アドリアンは再びフードを被る。

 このアールリンデンにおいては、グレヴィリウス中興の祖とも呼ばれるベルンハルド以来、黒檀こくたんの髪は当主の証とも言うべきもので、見る者が見ればすぐにそれが小公爵だとわかる。アドリアンがアールリンデンの街を出歩かなかった理由の一つでもあった。

 レオシュはしばらく魂が抜けたように呆然としていたが、ハッと我に返ると、あわててその場にひざまずこうとした。

 だが、アドリアンが即座に止める。


「やめてくれ。今日は忍びで来ているから、普通に接してほしい」

「ふ、普通ったって……」

「オヅマや公女には随分、親しげでぞんざいだったじゃないか」

「えっ……と、それは……」


 レオシュはそこでようやく思い出した。オヅマも歴とした貴族で、しかも小公爵の近侍であったということを。

 チラとそのオヅマを見れば、ニヤニヤ笑っている。

 レオシュは半ば怒りつつ、半ば泣きそうな気分になった。


 ―――― 俺、今日で首刎ねられたりすんのかな……?


 ちょっと現実逃避気味になって、昇天しかけるレオシュを見て、ティアがあわててアドリアンに弁解した。


「アドリアンお兄様、お許しください。レオシュさんは悪気はないんです。オヅマさんは、下町の皆にも気さくに接してくださって、だから皆、オヅマさんとは気兼ねなく話すようになってて」

「そうなんです。すみません」


 ティアの言葉に同調するように、さっき「ズロッコの青月団!」と叫んでいた赤毛の少年が帽子を取って頭を下げる。同じようにそばかす顔の少年も「すみません!」と勢いよく謝ってくる。

 アドリアンは気まずくて押し黙った。

 なんだかこれじゃあ、自分が彼らをいじめたみたいじゃないか……。


「別に、怒ってない」


 つぶやいてからジロリとオヅマを見ると、この奇妙な状況を作り出した元凶は腕を組んでニヤニヤしていた。


「なにを楽しそうに見てるんだ、君は。いいかげん、説明したらどうだ?」

「はいはい」


 オヅマは腕をほどくと、レオシュの隣に立って、ポンとその肩を叩いて言った。


「こいつはレオシュ。さっきも言ってたように、ズロッコの青月団のリーダーさ。ここらのガキ共をまとめてる。ティアのことも、色々気にかけてくれてたんだぜ」


 オヅマのざっくりした紹介に、ティアがすぐさま付け加える。


「お母様が亡くなってから、食料を届けてもらったり、エッダさんのところから遅く帰るときに送ってもらったりしていたんです」

「エッダ?」

「その人もティアが世話になった人だよ」


 オヅマは明るく言ってから、レオシュに仕事かと尋ねる。

 レオシュはまたハッとして荷車の方を見ると、途端にあわてて別れを告げた。


「あっ、そうだ。空き瓶を持って行かないと……じゃあな、オヅマ。また……えーと、お会いしましょう? してください? ともかく、またな!」


と、しどろもどろになりつつ、荷車を引いていく。


「あ……っ」


 アドリアンは手を上げたが、もはやレオシュ達は砂塵を上げて、ものすごい速さで荷車と共に去っていた。


「言いそびれたな」


 オヅマが肩をすくめて言うと、マティアスが眉を寄せて尋ねた。


「なにを?」

「さぁ? それはアドル……小公爵様に聞いたほうがいいんじゃね?」


 マティアスが首をかしげたが、アドリアンは無視して歩き出した。


「行くぞ。次はそのエッダとかいう人のところだろう?」

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