第三百八十六話 兄と妹の対面

 その後、晩餐の時間になると、ティアがカーリンと共に七竈ナナカマドの館にやって来た。ヴァルナルとミーナはルンビック子爵が開いた会食に招かれていたため来ていない。


 ティアに対して、アドリアンの態度は終始一貫して他人行儀だった。

 どこか緊張感をはらんだ夕餉ゆうげの食卓は、当然ながら会話が弾むこともなく、馴染みのないスープの味にティアがしばしせてしまうというアクシデントがあった以外は、静かに時間が過ぎた。


 一応、あるじがいる場における晩餐において、主が口を開く前に下の者が先に話すのは無作法とされている。

 オヅマは何度かアドリアンに目配せしていたが、アドリアンはそれを知っていながらも、何を言えばいいのかわからなくて、ひたすら視線を避けた。


 オヅマから、ティアが母親からの虐待を含む、厳しい環境下で暮らしてきたことを聞いても、アドリアンは素直に同情できなかった。どこかで「それでも母親がいただけいいじゃないか」と、ねた気持ちがついて回る。

 実際にいたとしても、オヅマの養父のような親であれば、子供にとって害悪でしかないが、ティアの母親は赤ん坊の我が子に自ら乳を与えて、こうして成長するまで育てたのだ。まったく愛情がないのであれば、そんなことはしないだろう。


 その上、ティアの容姿が自分の母に似ていることも、アドリアンにはいちいち気に食わなかった。

 自分は母親に似たところが一つもない、と先頃の帝都での夜会で叔母からも言われた通り、父に酷似した顔に母親の面影を探すことはできない。それなのに、その母とほとんど血の繋がりなどないはずのティアのほうが似ていることが、アドリアンの劣等感を刺激した。


 きっと父上もこのであれば、すぐにも実の娘として受け入れて可愛がるだろう……。


 アドリアンは近日中に会うであろう父とティアの対面を想像して、ギリっと唇を噛みしめた。

 あきらめようとしているのに、まだ追い求めてしまう自分の幼い心が嫌いだった。

 早く大人になって、消し去ってしまいたい……。


「あの……お渡ししたいものがございます」


 食事が終わり、自分の部屋に帰る段になって、ティアがおずおずと口を開いた。

 アドリアンはチラとティアを見てから、マティに目配せする。

(自称)筆頭近侍は心得たように頷くと、すぐさま立ち上がり、ティアの前に進み出て尋ねた。


「なんでございましょうか?」

「あの……」


 ティアはチラと一緒に来たカーリンをみやる。

 カーリンはここに来る際に小さな籠を持ってきていたのだが、それを持ってティアのかたわらに立った。

 籠の中から布のようなものを取り出し、渡しながらティアに耳打ちする。

 ティアは頷くと、フゥと一息ついてから、真っ直ぐにマティアスを見上げた。


「あ、あの……マティアス、様。マティアス・ブルッキネン様、どうぞよろしくお願い致します」


 そう言ってティアが差し出したのはハンカチだった。表にはブルッキネン伯爵家の紋章が刺繍されている。


「これは……」


 マティアスは眉を寄せ、ひどく困惑した顔になる。

 いつまでも受け取ろうとしないマティアスに、オヅマがはやし立てた。


「おーい。筆頭近侍さーん。早くもらってくださいよ。後がつかえてるんでー」


 マティアスはギロッとオヅマを睨みつけてから、コホリと勿体ぶった咳払いをし、ティアからハンカチを受け取った。


「ありがとうございます」


 一応、礼を言う。

 だが、すぐに注意することも忘れなかった。


「……ですが、わたくし相手に公女様ともあろう方が敬語をお使いになる必要はございません。目下の者に向かって『様』などとは、申されませんように。グレヴィリウスの公女であれば、家格をおとしめるがごとき振る舞いはお控えください」

「あ……す、すみません」


 ティアがすぐに頭を下げて謝ろうとすると、マティアスはビシリと制止する。


「頭を下げる必要もなく、謝ることも不要です!」


 ティアがすっかり怯えた様子で固まると、マティアスは自分が言い過ぎたとわかったのか、途端にあわててオヅマを呼んだ。


「オヅマっ、おま……お前っ、どうにかしろ!」

「なに言ってんだか……ほんとに」


 オヅマはあきれたように言って、ティアの近くまで来ると、手を出した。


「俺もあんの?」

「あ……はい、あります!」


 ティアはすぐに籠の中から、レーゲンブルト騎士団の紋章が刺繍されたハンカチを取り出す。


「おっ、さすが。これは覚えてたか」

「あ……はい。前に一度、刺繍したので」

「そうだな。ありがとな」


 オヅマは受け取ると、背後で興味津々と見ていたテリィに声をかける。


「ほら、テリィ坊ちゃんも。ティアの刺繍の腕は確かだぜ」


 テリィはチラリとアドリアンを見て軽く頭を下げてから、椅子と壁の間をえっちらおっちら小走りにやって来ると、ティアの前に立った。

 ティアはクスッと笑った。テリィの口の端についた食べカスに気付いたからだ。


「あの、口の上に……よろしければこれでお拭きになってください。チャリステリオ・テルン公子」


 言いながらテルン子爵家の紋章が刺繍されたハンカチを差し出す。


「えっ? ついてる?」


 テリィは指摘されて、あわあわと口周りをこすったが、うまくとれなかった。


「はい。ここに」


 ティアは少し背伸びすると、ハンカチでそっとテリィの口の上にあった食べカスを取った。それから少しよれてしまったのを気にしていたが、テリィは鷹揚に笑って受け取った。


「うわぁ、確かに見事な刺繍ですね。ありがとうございます、公女様」


 テリィは本心からか、年下の女の子に恥ずかしい姿を見せてしまったのをごまかすためか、やたらと大きい声で礼を言った。

 アドリアンはその様子を見て、不機嫌もあらわに眉を寄せる。


 エーリクは無言でティアの前に立つと、差し出されるまま受け取って、淡々と礼を述べた。チラ、とティアの隣に立つカーリンを見たが、そのカーリンの視線はアドリアンに向けられていた。


「さて、最後に小公爵様」


 オヅマがまるでフィナーレを宣言する幕間の道化のように促すと、ティアは主人席に座るアドルの前に進み出て、またぎこちなくお辞儀した。


「あ……えと、このたびは小公爵様の饗応に感謝致します。お礼に拙いものですが、よろしければお受け取りください」


 牝鹿めじかとスズラン、交差した鎌と剣。

 グレヴィリウスの一際大きな紋章の刺繍は、職人が縫ったものと遜色そんしょくないほどであった。これもまた、遊蕩ゆうとうに金を費やす母親と、彼女らの生活費を横領していた管財人のせいで、困窮こんきゅうして働くために身につけた技であると、オヅマから聞いていた。まだ幼いのに、そんな特技を身につけざるを得ない境遇であったことを考えると、本来、同情すべきなのだろう。きっと。

 だが……


「…………」


 アドリアンができたのは、黙って受け取ることだけだった。それでもティアはホッとしたように微笑んだ。


「ありがとうございます」


 むしろ礼を言われて、アドリアンは自分の狭量きょうりょうに目を伏せた。

 ティアはそのまま帰っていこうとしたが、オヅマが呼び止めた。


「あぁ、ティア。明日、街に行かないか?」

「え? 街に?」

「あぁ。レーゲンブルトに行くのが急だったから、ロクに挨拶できてないだろ。エッダさんとか、レオシュとか。さっき、ルンビックの爺さ……ルンビック子爵に聞いたら、公爵様と会うとしても夕方以降になるとか言ってたし、昼の間に顔だけ見せに行かないか?」

「それは……行きたい、ですが」

「じゃ、そうしよう。明日、俺がそっちに迎えにいくよ」


 そこまで黙って聞いていたアドリアンは、途端に険しい表情になった。


「ちょっと待て、オヅマ。君、公女と二人で外出する気か?」

「うん」

「そんな勝手なことは許さない!」

「はぁ?」

「君には近侍の役目があるだろう! 騎士団での稽古や、これまでの勉強の遅れも取り戻さないといけないし……それに、アカデミーの受験も迫っているんだぞ」


 必死になって阻止するための言い訳を並べ立てるアドリアンに、オヅマは肩をすくめた。


「勉強は朝のうちに終わるだろ。騎士団の稽古も明日は入ってないし、一応、ルンビック子爵にもお許しもらってるよ。世話になった人達への挨拶ってことで」

「いつもいい加減なくせして、どうしてこういう時には抜かりがないんだ?!」

「おいおい、失礼だな。俺だってやるときにはやるの。だいたいなぁ……本来なら俺より、ティアの身内の人間がすべきことなんだぜ。それなのに公爵閣下はあの通りだし、お前ときたら妹に人見知りしてるし」


 いつになく怒りっぽいアドリアンに、オヅマはやや閉口しつつ、さっき言ったことを繰り返す。

 当然ながら、アドリアンの顔は真っ赤になった。


「だっ、誰がっ、人見知り……なんかしてない!」

「じゃ、一緒に来いよ。それで見てみたらいい。ティアが暮らしてきたところを」


 アドリアンはハッとなって口を噤むと、オヅマのしたり顔を睨みつけた。

 最初からそれを狙っていたのだ。だからわざわざ皆がいる前で、帰ろうとするティアを呼び止めて言ったのだ……。

 ギリッと、アドリアンは奥歯を噛みしめた。


「本当に君は…………腹立たしい」

「そこは素直に、大した奴だと褒めてもらって構いませんよ。小公爵様」

「なんのことだかさっぱりだね!」

「おわかりでないなら、尚のこと、一緒にご同行いただいたほうがよろしいのでは? 新たな見聞を広げるためにも」


 丁寧な言い方をしながらも、オヅマはニヤニヤ笑っている。

 本当にこういうときに限って、いちいちもっともらしいことを言ってくるのが、アドリアンには苛立たしかった。それでも結局了承してしまったのは、皆の前であるという小公爵としての体裁ていさいと、兄としての面目、それとほんのわずかな好奇心であった。

 そういう自分の性格を十分に把握された上で、仕掛けられたのだとわかるだけに、心底ムカついたが。


「じゃ、昼にみんなで伺います、公女様。それまでごきげんよう~」


 ご機嫌なオヅマに送り出され、ティアははにかみつつ再びお辞儀すると、カーリンと一緒に七竈ナナカマドの館を出て行った。

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