第三百八十三話 アドリアンの出迎え

 公爵邸本館前には、アドリアンを始めとする近侍らと、家令のルンビック、そのほかにも公女の世話をすることになっている女中、従僕らがずらりと並んでいた。

 公女を乗せた馬車が、大きな噴水の周囲をぐるりと半周して正面玄関前に止まると、ルンビック以下の者たちは揃って頭を下げた。

 その中で、一人だけ堂々と立ったままのアドリアンは、馬車よりも先に、その後ろに付き従う護衛の中にオヅマの姿を見つけて、ホッとした笑みを浮かべた。だがすぐに表情を引き締めると、扉を開いて出てきたヴァルナルに声をかける。


「クランツ男爵。このたびは帝都帰還の休息の間もなく、役目大儀である」

「わざわざのお出迎え、恐縮にございます。小公爵様」


 ヴァルナルは型通りの挨拶を返してから、馬車の降り口にタラップが用意されたことを確認し、手を出して呼びかけた。


「どうぞ。サラ=クリスティア様」


 ヴァルナルの手に華奢な手が置かれ、薄暗がりの馬車から現れた少女を見た途端、アドリアンは固まった。

 冷たさを帯びた風に吹かれて、帽子の下から鴇色ときいろの髪が揺れる。

 そこにはまるで母に生き写しかのような少女がいた。母の子であるはずの自分よりも、ずっと似ている……。

 少女は怖々とタラップを降りると、アドリアンの前に立って、ぎこちなくお辞儀した。


「サラ=クリスティア・エンデン・グレヴィリウス……です。初めてお目にかかります、アドリアンお兄様」


 アドリアンは少女が母のリーディエに似ていることだけでも驚いていたのに、まして初対面の自分に対して、なんら気後れすることもなく「お兄様」と呼んでくることに、ひどく困惑した。

 なにを言えばいいのかわからず、ややあって口を開く。


「……僕相手に、グレヴィリウスを名乗る必要はない」


 思っていた以上に素っ気ない言い方になってしまって、しまったと思ったが後の祭りだった。サラ=クリスティアは顔をうつむけて「ごめんなさい」と小さな声で謝ってきた。

 初めての対面において気まずい空気が流れると、ルンビックがコホンと咳払いする。


「ひとまず、公女様はお部屋にご案内いたします。小公爵様とはまた後ほど、ゆるりとお話されるとよろしいでしょう」

「話? そんな予定があったか?」


 怪訝に尋ねたアドリアンに、ルンビックはしかつめらしい顔で答えた。


「はい。今宵は公女様には七竈ナナカマドの館にて、小公爵様はじめとする近侍方々とご一緒に食事をなさるようにとの、公爵様からのお達しにございます」

「父上は、公女に会われないのか?」

「本日は具合がお悪いようにございます」

「なに? 大丈夫でいらっしゃるのか? 公爵閣下は」


 ヴァルナルがすぐに心配そうに尋ねると、ルンビックはなだめるように笑って言った。


「問題ございません。この時期になると、曇りの日には頭痛をめされることが時折あられるのです。帝都より帰還されてから、休む間もなく仕事をしておられたので、少しばかりお疲れであられたのでしょう」

「……ならばよいが」


 ヴァルナルはそれでも心配そうにつぶやいてから、ハッと我に返ったように顔を上げた。


「あ……では、公女様も慣れぬ旅でお疲れなので、ひとまず部屋に」


 ルンビックは頷き、女中頭に目配せをする。

 すぐさま女中たちの先頭にいた、年増の冷たい目つきの女がズイとティアの前に進み出て、まるで睥睨へいげいするかのように見下ろした。


「ご案内いたします」


 丁寧ながらも、ツンと取り澄ました態度と冷たい声音に、ティアは身をすぼめたが、その時ミーナが進み出て、柔らかな声でルンビックに問うた。


「公女様は初めてのお屋敷で緊張されておいでです。不肖でございますが、わたくし陪従ばいじゅうをお許しいただけますでしょうか?」


 ルンビックは驚いた。それまで気配を消していたかのように気付かなかったのに、するりと入ってきて、場の空気を一切乱さない。しかもさりげなくサラ=クリスティア公女の高貴さを周囲に知らしめるがごとき、洗練された言い回し。

 グレヴィリウス家において、礼法規範ともいうべきルンビックすらも、内心脱帽してしまった。


「もちろん構いませぬが……」


 流されるように返事しつつ、ヴァルナルをチラリと窺うと、少しばかり自慢げに紹介された。


「我が妻のミーナです」

「あぁ……この御方が」


 ルンビックは思わず呆けたようにつぶやいたあと、あわてて自らも名乗った。


「これは……ご挨拶が遅れました。私はグレヴィリウスの忠実なる臣下、家令のヨアキム・ルンビックと申す者」

「ヴァルナル・クランツが妻、ミーナと申します。お目もじかない、誠に嬉しゅう存じます」


 挨拶をしながら、さらりと辞儀する姿も優美そのものであった。ルンビックは我知らずため息をついた。

 これは、さすがにあれだけヴァルナルが自慢するのも無理ない女性にょしょうである……。


 ルンビックの許可をもらって、ミーナはティアと一緒に公爵邸内に入っていった。

 その後ろからいていくカーリンに、並んだ近侍の一人、エーリクは何か言いたげであったが、マティアスの強い視線にはばまれる。

 アドリアンは自分を見てくるカーリンと一瞬目が合ったものの、なんとなく目を伏せてしまった。

 カーリンはまだ、アドリアンが許してくれていないものと思い、しょんぼりと肩を落として公爵邸に入っていった。


 一方、オヅマは少し離れた場所からそれらのやり取りを見ていたのだが、正直、ティアのことも母のこともあまり念頭になかった。そのとき、オヅマは自分の中で、にわかに湧き立った奇妙な感情に気を取られていたからだ。

 それはアドリアンが原因のようだった。


 久しぶりにアドリアンを見て、背が伸びて大きくなったな……と思った瞬間に、ドクンと心臓がはねて、ザラリとした不快なものが背を這った。

 オヅマは反射的にその感情を排除した。

 理由ワケが分からない。

 どうしてアドリアンに対して、こんな焦りのような、落ち着かない気持ちを抱くのか……?

 しばし考えたが、ゆらりとまたが滲み、オヅマはあわてて首を振った。


 関係ない。

 にアドリアンは出てきていない。

 何の関係もない……はずだ。


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