第三百八十二話 サラ=クリスティア公女(2)

「公爵閣下より、ご沙汰がございました。今後、あなたの名はサラ=クリスティア・アベニウスではなく、サラ=クリスティア・エンデン・グレヴィリウスとなります」


 明るい口調でヴァルナルが告げると、ティアはしばしぼうっとなった。

 何を言われたのか、すぐに理解できない……。


 ティアの戸惑いを知らず、ヴァルナルはにこやかに続ける。


「これであなたはグレヴィリウス公爵家の公女となられたのです。正式に公爵閣下の娘として認知されました。おめでとうございます」

「…………」


 ティアは何も言えず固まった。

 母が生きていた頃、何度となく公爵家にティアを公爵の娘として認知し、公女として迎え入れるように頼んでいたときには無視していたのに、どうして母が亡くなった今になって、公女にするのだろうか?


 固く顔を強張らせてうつむくティアとヴァルナルを見比べて、マリーが問うた。


「それって、いいことなの? お父さん」

「そりゃあ、公爵閣下が認めて下さったのだから、喜ぶべきだろう」

「でも……」


 マリーが抗議しようとするのを、ミーナがやんわりと遮った。


「公爵様がサラ=クリスティア様のことを、きちんとお考えになられていることがわかって、よろしゅうございました。公女様、公爵様はあなたにお会いになられるそうでございますよ」

「えっ?」


 ティアがはじかれたように顔を上げると、ヴァルナルがミーナのあとを引き取るように話した。


「あぁ。ついては公女様の侍女として、カーリン嬢にもついてきてもらう」

「わっ、わたしが侍女?」


 カーリンもびっくりして思わず声が大きくなる。

 はっとすぐに自分の無作法に気付いて口を押さえてから、おずおずとヴァルナルに尋ねた。


「そ、そのこと……兄は……オルグレン家は承知しているのでしょうか? また私が勝手なことをしたと怒っているんじゃ」


 このレーゲンブルトでのんびりと過ごしている間も、カーリンは兄のことを思い出すとそれだけで胃が痛んだ。いずれそのうち自分の処遇が決まったとき、また会うことになるのだろうとは思っていたが、いざその時が目の前に迫ってくると、ブルブルと手が震え始める。


 そんなカーリンを安心させるように、ヴァルナルは朗らかに言った。


「大丈夫だ、カーリン嬢。この事については、オルグレン男爵も了承している。むしろ、あなたが上手に立ち回ってくれたと、感謝していることだろう」

「え? 私が?」


 カーリンは訳が分からなかった。

 自分はただ、ルーカス・ベントソンの指示でレーゲンブルトに身を隠していただけで、上手く立ち回るどころか、迷惑ばかりかけている。


 ヴァルナルの説明に、オヅマは胡散臭げに眉を寄せて言った。


「なーんか、うまいこと出来過ぎてるよなぁ。ティアが公女になって、その侍女をカーリンにするってさ。ルーカスのオッサン、最初から企んでたんじゃねぇの?」


 公爵閣下の側近に対して「オッサン」呼ばわりする息子に、ミーナは厳しい目を向ける。

 注意しようとしたところで、ハンネがブッと吹いた。


「あら、失礼。いえ、オヅマ公子があまりにも的確に、兄の性格についてご存知でいらっしゃるので……」

「ホラ、妹公認」

「オヅマ!」


 ミーナが厳しくたしなめると、ヴァルナルはハハハと鷹揚に笑った。


「まぁ、さすがに最初からは無理だろうな。カーリン嬢を帝都から送り出したときには、まだお前とサラ=クリスティア様が知己ちきとなっていることなど、知りようもなかったのだから」

「それでも俺がここにティアを連れてくることを知って、利用したんでしょう? あのオッ……ベントソン卿は」


 途中で言い直したのは、母の強い視線を感じたからだ。


「まぁ、そのあたりについては、ルーカスに直接聞いてみるといい。素直に教えてくれるかどうかは……お前次第だろうがな」


 ヴァルナルはにこやかに言いながらも、さりげなくオヅマの疑問を封じた。

 今、この場で当事者を目の前にして話すことではない、と。


 久しぶりに、ヴァルナルの領主として、騎士団長としての威容を感じて、オヅマは黙りこくった。

 ここのところ家族として接してくるヴァルナルに、知らず知らず気持ちが緩んでいたのかもしれない。そもそも自分はヴァルナルに対し、騎士として接するのだと決めていたはずなのに。


 その後、ヴァルナルは三日後にアールリンデンに向けて旅立つことを告げた。

 当然、ティアとカーリン、オヅマもレーゲンブルトを去ることになる。


 マリーは文句は言わなかったが、友達との急なお別れに大泣きした。

 これにはヴァルナルも閉口したが、なかなか泣き止まないマリーを慰めるために、ハンネが残ることを申し出た。

 ミーナは恐縮したが、ハンネは肩をすくめて言った。


「いいんです。アールリンデンにいたって、五日に一度は姉さん達が、やれどこぞの子息だとかって釣書持ってやって来るんですから。あんなの相手にしてるくらいなら、マリーと楽しく歌ってたほうが、ずっと精神衛生上いいですわ。あ、これ最近ビョルネ医師せんせいに教えてもらいましたのよ。『精神衛生上』って、なかなか便利な言葉だと思いませんこと?」


 ミーナはハンネのおしゃべりの裏にある優しい心遣いに感謝した。




 こうして三日後、ヴァルナルとミーナに連れられて、ティアはアールリンデンの公爵本邸に向かった。


 公女の侍女として、カーリンも質素ながら淡い緑のドレスを着て、ティアの傍らに寄り添い、オヅマはカイルに乗って一応警護の騎士の列に加わった。


 旅慣れない女たちがいることを考慮して、ヴァルナルはいつもよりも休憩を多くとり、六日かけてアールリンデンに辿り着いた一行を迎えたのは、首を長くしてオヅマの帰還を待っていたアドリアンだった。

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