第三百八十一話 サラ=クリスティア公女(1)

「珍しいね、母さんが寝坊とか」


 オヅマは自分の斜め向かいの空席を見ながら言った。

 普段であれば誰よりも早く来て、使用人らに朝食の細かな指示を出して、特にオリヴェルの食べるものに関しては、料理人のソニヤと食材を見つつ確認までするのに、今日は起きてきてもいないらしい。


「どうしたんだろ? 病気かな?」


 オリヴェルが落ち着かない様子で、食堂のドアを見遣る。

 するとバタンと勢いよく開いて、足取りも軽く現れたのはハンネ・ベントソンだった。


「おはようございます、皆様! あら、やっぱりミーナ様はいらっしゃらないようね」

「やっぱり?」


 オヅマが聞き返すと、ハンネはニンマリ笑った。


「昨晩遅くに領主様がお帰りになったのでしょ? そりゃ、朝寝したくもなるわよね」

「領主様が帰ってきた? 嘘だ。そんな訳ないだろ」

「あら、どうしてそう思うの?」

「だって、今日の朝駆けにいなかったぞ。もし、帰ってきてるなら、領主様が来ないはずがない」

「アハハハ! そりゃ、領主様だって深夜に馬を駆けて帰ってきたんだから、今日ぐらいはゆっくり寝るでしょうよ」

「だったら、私が起こしてくる!」


 マリーが椅子からぴょんと降りると、ハンネはあわてて止めた。


「ああぁ~。待って待って、マリー。ホラ、領主様も疲れてるから寝ているんだし、寝かせておいてあげないと、お可哀想よ~」


 まるで通せんぼするかのように扉の前に立つハンネに、オヅマは首をかしげた。


「なんでそんなに必死になって止めようとするんだよ?」

「えっ? そ、そんなことないわよぉ」

「…………なんかニヤけてるし」

「まあっ、失礼ね! そんなやらしいこと考えたりしてないわよ、私」

「はぁ? 誰もそんなこと言ってないけど?」

「あぁ~もう! ともかく食べるわよ。せっかくのスープが冷めてしまうわ」


 ハンネは怒ったように会話を断ち切ると、自分の席に座り、黙々と食べ始めた。

 オヅマは釈然としないながらも、あんまり深く考えないことにした。それが自分にとっても平穏であるような気がして。

 だが、オリヴェルはまだ心配そうに振り返って、扉を見ている。


「オリー、そんなに心配しなくっても、大丈夫だろ。領主様が帰ってきたんだったら、母さんがもし無理してりゃ、それこそ無理矢理にでも寝かせてビョルネ医師せんせいに診てもらうさ」

「う……ん。そうだね」


 オリヴェルは納得していない様子であったが、とりあえず頷いて食べ始めた。

 マリーもやや残念そうにしつつ再び椅子に座って食べ始める。

 そろそろ食事が終わろうかという頃合いで食堂の扉が開き、ヴァルナルとミーナが揃って現れた。


「お父さん!」


 マリーが思わず立ち上がり、ヴァルナルに駆け寄る。

 ヴァルナルはすぐさま相好そうごうを崩して、マリーを抱き上げた。


「あぁ、マリー! なんて大きくなったんだ。相変わらず元気そうで嬉しいよ」

「うん! 好き嫌いせずに食べてるし、乗馬もちょっとしてるのよ」

「本当か? それはすごいな!」

「お馬さんのお世話もしようと思ったんだけど、それは駄目だって言われちゃった。お嬢様はそういうことしちゃ駄目なんだって」

「そうだなぁ。……まぁ、餌をやるくらいならさせてやろう」

「本当!? ありがとう、お父さん。大好き!」


 マリーは屈託なく言って、ギュッとヴァルナルの首に抱きつく。

 極めて仲睦まじい、もはや本当の親子でしかないその光景を見て、オヅマはややたじろいだ。どういう顔をしていいものか困っていると、ふとヴァルナルと目が合う。

 オヅマはすぐさまビシリと背を伸ばして騎士礼を行った。軽く辞儀をして顔を上げると、真っ直ぐにヴァルナルを見つめる。


「お久しぶりです、ヴァルナル様」

「…………あぁ」


 ヴァルナルはマリーと打って変わって、いまだ他人行儀なオヅマに少しだけ寂しそうに返事してから、ニコリと微笑んだ。


「お前も……大きくなったな、オヅマ」


 ゆっくりとマリーを降ろすと、立ち上がった面々に座るように促し、自らも領主の席についた。


「さて。知らぬ間に多くの客人を迎えていたようだ。まずは初めましてと言っておこう、カーリン・オルグレン嬢。健やかになられたようでよかった」


 ヴァルナルはカーリンを見てホッとしたように笑ってから、少しだけ強い口調で言い足した。


「……今後はあるべきかたちによって、公爵家への礼を尽くされることを願っている」


 カーリンはヴァルナルの遠回しの叱責に身をすぼめたが、その隣に座っていたハンネがすかさず解釈を付け加えた。


「つまり、公爵家としてはカーリンの無作法を許したということですわね?」

「あぁ。ベントソン卿がよろしきに取り計らってくださった」

「お兄様が? また、どうせ悪辣あくらつなことをなさったのでしょう?」


 冗談めかしてハンネが言うと、ヴァルナルは苦笑してから、ティアへと目を向けた。

 正直、ミーナからの話を聞いても、ヴァルナルはペトラへの嫌悪からティアを厳しく見てしまいそうだった。だから食堂に入ってからも、その目立つ鴇色ときいろの髪に気づきながら、あえて視界の端の方へと追いやっていた。

 だが今、初めてまともに見て、そこに座る鴇色の髪をゆるく三つ編みに結った少女に、ヴァルナルは絶句した。

 幼き頃のリーディエ公爵夫人を思わせるがごとき姿ではないか……。


 ティアはヴァルナルと目が合うと、すぐさま立ち上がって、ミーナから教えてもらったばかりの礼をした。

 右手でスカートを軽くつまみ、左手はそっと胸に添え、頭は下げずに、目を伏せて腰をやや落としかがめる。貴族子女が行う目上に対しての辞儀だ。

 ぎこちない所作ではあったが、懸命にできる限り礼を尽くしている姿に、ヴァルナルは好感を持った。


「サラ=クリスティア・アベニウスと申します。あの……ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」


 それまでに、いずれ領主であるヴァルナルが帰ってきたときの挨拶を考えて、ミーナにも相談し、毎日練習していたティアであったが、いざその時になると、頭が真っ白になってしまった。ともかくも迷惑をかけているのだということだけは自覚していたので、そのことだけでも謝りたかった。


「迷惑なんてしてないわ。私、ティアとカーリンが来てくれて、とっても楽しいもの。私たち、お友達になったのよ、お父さん」


 マリーが緊張しているティアを庇うように言うと、ヴァルナルはニコリと笑った。軽く手を上げてティアに着席を促し、ほがらかに話しかける。


「そうか。マリーも新しい友達ができて良かった。ここで楽しく過ごせているならば、何よりです、サラ=クリスティア様」

「い、いえ。私のほうこそマリーにはとても……あの、助けられています。いつも色々なことを教えてもらってて」

「それは私もよ! お父さん、ティアはね、とっても刺繍が上手なの! お母さんよりも上手なくらいなんだから」

「ほぉ……それは相当だな」


 ヴァルナルは心底驚きつつも、さりげなくミーナへの賛辞を怠らない。

 かすかに頬を赤らめる母と、その母に微笑みかけるヴァルナルを見て、オヅマはやや白けた顔になった。


「このたびは母君を亡くされて、色々と難儀なことでした。公爵閣下もお聞き及びになられ、心配しておいでです。ついてはあなたの処遇について、お知らせしておくことがございます」 


 ティアは急に畏まった様子のヴァルナルに、少し怪訝な目を向ける。身を固くして、ギュッと膝の上の手を握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る