第三百七十六話 虚実の戯場へ(2)

 アルビンは眉を寄せて立ち止まった。ゆっくりと振り返った顔には、また白々しい笑顔を貼り付かせている。


「ほぉ。まだ何か嘘を吐き散らかしているのでしょうか?」

「さて、どうでしょう。彼のもう一つの罪は誘拐です」

「……誘拐?」

「えぇ。先頃亡くなられたペトラ・アベニウスの娘、サラ=クリスティア嬢をさらおうとしていたのです」

「…………ほぉ」


 アルビンはやや間を置いて相槌を打ったが、途端に心臓が跳ね上がっていた。ヒクヒクと頬の肉が強張る。

 ルーカスに目配せされ、ヤミは部屋の奥にある松明たいまつへと火を灯した。周辺を照らす明かりの中に、鎖に繋がれ目と口を布で塞がれた初老の男が座り込んでいる。

 アルビンはその男を見て怪訝に首をかしげた。


「誰です?」

「バラーシュ行政長官です」


 ルーカスが言った名前に、アルビンは愕然としてつぶやき返す。


「バラーシュ……行政長官……」

「ご存じですか? あぁ、いや、ご存じであるはずですね。この男はグルンデン家からの推薦があって、アールリンデンの行政職に就くことになったのですから」


 ルーカスの嫌味に、アルビンはギリッと奥歯を噛みしめた。動揺を隠すために、一度深呼吸してから、どうにかいつもの表情に戻る。


「さぁ……それも随分と昔のことで。私も最近では彼に会ったこともありませんでしたので。今も気付きませんでしたし」

「左様ですか。実はこのバラーシュがサラ=クリスティア嬢の誘拐をするようにと、サルシムを脅迫しておったのです」

「誘拐……脅迫……?」

「えぇ。バラーシュはサルシムの横領に気付いていたようなのです。本来であれば、それを知った時点で彼の罪を追及してただすべき立場にありながら、放置したばかりか、強請ゆすりのネタ ―― いや、失礼。少々口が悪くなりましたな。要はサルシムを脅迫して、彼にサラ=クリスティア嬢をかどわかし、所定の場所まで連れてくるようにと指示したのです。幸い、そのときにはクリスティア嬢は館から移動しておりましたので、危機を逃れることができましたが。そういうわけですので、当然、彼にもなぜサラ=クリスティア嬢を誘拐しようとしたのか、その真意を訊きました」


 再びルーカスの目配せを受けて、ヤミはバラーシュの口に巻いていた布を取った。

 ルーカスはゆっくりと近寄ると、バラーシュに問いかけた。


「教えていただこうか、バラーシュ行政長官。どうしてサラ=クリスティア嬢をかどわかそうなどと考えたのか?」


 この数日間の尋問ですっかり気力の衰えていたバラーシュは、すらすらと答えた。


「シャノル卿から指示されたのです。ペトラが死亡したなら、娘を早急に確保して、シャノル卿がアールリンデンに戻ってくるまでの間、面倒を見ておくように……と」

「だがサラ=クリスティア嬢に関しての記憶が曖昧であったために、確実に娘のことを知っているであろうサルシムに頼んだと?」

「…………そうです」

「理由はそれだけか?」

「シャノル卿からの連絡を受けたのが、ちょうど新年の休暇中で……」

「愛人との逢瀬おうせを邪魔されたくなかった、ということですね?」


 ヤミが皮肉をこめて尋ねると、バラーシュは力なくうなだれて肯定する。

 やり取りを見ていたアルビンは、握りしめた拳をワナワナと震わせた。


 バラーシュがサルシムを脅した理由……それはなんともお粗末なものだった。

 少し遅い新年休暇をもらったバラーシュは、愛人との小旅行に行く直前にアルビンからの手紙を受け取った。ただ開封したのは近郷の湯治場とうじばへと向かう途中で、『早急に』と命令されても、今更引き返すのも惜しい。

 そこでバラーシュは一計を案じた。サルシムに脅迫状を送りつけ、逗留先とうりゅうさきに連れて来させようと考えたのだ。

 無論、自分は直接交渉しない。

 愛人にサラ=クリスティアを、面倒を見させるつもりであった。(その費用もサルシムから巻き上げるつもりだった。)


 バラーシュとしてはせっかくの休暇中に面倒事をかかえたくなかったのと、最近、鼻持ちならない態度をとるようになったサルシムを、少々懲らしめてやろうという、軽い悪戯いたずら心で企図したものだった。

 だが結局サルシムは現れず、肩透かしをくらって、久しぶりに行政府に出勤してみれば、そのサルシムは特別審問官に捕らえられている。

 目の前で繰り広げられる非道な拷問に、バラーシュは戦々恐々となったのだろう。サルシムの家から脅迫状を見つけた騎士たちに問いただされると、すぐにすべてを吐いた。

 あの行政府での見せしめは功を奏したのだ。


「では最後に……」


 ルーカスはバラーシュに質問しながら、その目はじっとアルビンの様子を窺っていた。


「あなたは前々からシャノル卿にアベニウス母娘おやこについて、定期的に連絡していたようだが、母娘の生活費をサルシムが横領していたという事実についても、報告していたのか?」


 すぐにバラーシュが頷く。

 アルビンの顔はもはや蒼ざめていた。


 ルーカスは目を細めた。

 普段はハヴェルやグルンデン夫人のそばで、虎の威を借る狐ならぬ、女狐の威を笠にきたてんよろしく威張りくさっているくせして、いざ自分が責められる立場になると弱いのだ、この男は。


 ルーカスはバラーシュの尋問を終えると、ゆっくりと戻ってきてアルビンの前に立った。


「さて。こうなるとサルシムが横領していたという事実を、シャノル卿もご存じであったということになります」

「し…知りません。私は、あんな男のことなど知らぬ!」

迂闊うかつにそのようなことは言わぬがよろしいかと」


 鋭く言って、ルーカスは一通の手紙を見せた。四隅に飾り模様が箔押しされた緑の封筒に、アルビンは見覚えがあったのだろう。すぐに口を噤んだ。


「バラーシュの家も当然調査しております。不思議なことに、あなたは知らぬはずのこの男と、随分と長い間文通されていたようですな。残念なことです。燃やせと書かれてあったのに、この男、なんとも吝嗇ケチで、あなたからの手紙を古紙として売ろうと、ご丁寧にきれいに取っておいたようですよ。なまじ、高価な便せんなど使うものじゃありませんな」

「う、あ……それ、は」 


 アルビンは必死で有用な答えを見出そうと、キョロキョロと目を泳がせる。だが混乱した頭では冷静に考えられないようだ。

 ルーカスはニッコリ笑いながら問い詰めた。


「サルシムの横領を知っていたのに、公爵家に告発もされなかったということは、その状況があなたにとっても望ましいものであったからかな? シャノル卿」

「なに……?」

「サルシムは横領した金をオルグレン家に渡していた。オルグレン家がどうやってサルシムの横領を知ったか? 誰から聞いたのか? 教えた者には、オルグレン家から相応の報酬があったことでしょうな」


 アルビンとオルグレン親子はここへきて、どうして自分たち三人が呼ばれたのかを理解した。

 筋立ては最初から決められていたのだ。

 事実と嘘を織り交ぜて作られた巧妙な罠に、自分たちはまんまと引っかかってしまった。

 もはや言葉も出てこない三人を、無表情に見つめるルーカスに声をかけたのは、穏やかなハヴェルの声だった。


「そうも決めつけて言うものではありませんよ、ベントソン卿」

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