第三百七十七話 虚実の戯場へ(3)

 ルーカスは怪訝に声のした方を見上げてから、ハッとなってその場にひざまずいた。

 ハヴェルと一緒に現れたのはグレヴィリウス公爵エリアスだった。


「公爵閣下……!」


 アルビンとオルグレン親子もあわててその場に跪く。

 思ってもみない援護が現れた途端、アルビンは助かったと一息つくや、ニヤリと狡猾な笑みを浮かべた。まるで勝ち誇ったかのようにルーカスを一瞥したが、ルーカスは表情も固く頭を下げるだけだった。


貴方あなたの疑問に対しては、わたくしがお答えしましょう。ベントソン卿。どうぞ立って、何なりとお訊きください」


 暗い牢屋の中でさえも、ハヴェルはニコニコとした笑みをたたえていた。

 ルーカスはチラリと公爵を窺い見る。目が合って、公爵が軽く首肯しゅこうするのを確認してから、立ち上がった。


「では、まずバラーシュ長官にアベニウス母娘おやこについての報告をさせていたことは?」


 ルーカスの問いにハヴェルはまったく動揺しなかった。


「それは当然のことです。ペトラ・アベニウスのことは、我が母も随分と気にかけておりましたから。彼女らが健康に生活を送っているのかを確認するために、バラーシュ長官には仕事に支障をきたさぬ範囲内で、見守りをお願いしておりました」

「それでペトラの死亡を知って、すぐにサラ=クリスティア嬢を誘拐しようとしたことについては?」

「誘拐とは穏やかでない言いようです。あくまでも、我らは彼女を保護しようとしただけです」


 クスッとルーカスの背後にいたヤミがわらった。

 ハヴェルは一瞬だけ気分を害したかのようにジロリと一瞥してから、再び口の端に笑みを浮かべる。


「まさかベントソン卿とて、母を亡くしたわずか十歳の女の子を、放っておくことはされないでしょう。私たちも、ペトラが死んだことを知って、何もせずにはおれなかったのです。まずは彼女の身の安全を確保してから、公爵閣下に直接お話しするつもりでした。それでバラーシュにサラ=クリスティア嬢の保護を要請しましたが、まさか彼が自らの遊興を優先するとは……しかも悪事を為す者を恐喝し自らの果たすべき使命を放擲ほうてきするとは……思いもよらぬことです。この事については、人選を誤ったと、情けなく感じております」


 いちいち芝居がかったハヴェルの説明に、ルーカスは失笑した。ジロリとアルビンが睨みつけてきたが、ハヴェルに冷ややかな目を向けられると、しょんぼり項垂れた。

 ルーカスは質問を続けた。


「なるほど……では、サルシムの横領を知っていて黙っていたことについては?」

「それについても、バラーシュから聞き及んで、内々に調査をしておりました。何せ相手は公爵閣下から正式に任命を受けた行政官でありますので、いたずらわけにもいきません。十分な証拠を取り揃えてから、公爵閣下の御裁可を仰ごうと考えておりました」

「そのことをオルグレン家に伝えたことについては?」

「さぁ? それについては、我らの関知するところではございません。シャノル卿からサルシムの横領について話すことはあったやもしれませんが、彼らがその後にどういう行動をとるのかなど、知りようもないことです」


 冷然と話すハヴェルに、セオドアが叫んだ。


「ハヴェル様! 私は誓って横領に加担したことなどございません! ベントソン卿が、あの罪人をそそのかして捏造ねつぞうしたのです!」

「口を慎みたまえ、セオドア公子」


 ハヴェルは鋭く制止し、冷たくセオドアを見下ろした。


「ベントソン卿は『まことの騎士』である。グレヴィリウスにとって『唯一にして絶対なる忠誠者』であり『公爵に直言することを許されし真実の騎士』なのだ。その称号が示すように、彼は皇帝の権力にすらくみすることのない、グレヴィリウスだけの存在。彼を誹謗ひぼうするのは、公爵閣下をもないがしろにする行為だぞ」


 冷厳と言い下すハヴェルに、セオドアはワナワナと震えながら、反論を押し込めた。

 ハヴェルはルーカスに向き直ると、ニコリとまた笑った。


「このあたりでよろしいでしょうか、

「…………」


 ルーカスは眉を寄せた。

 それまで一言も発することのなかったエリアスがつぶやくように言った。


「そういえば、昔、ハヴェル公子はルーカスに剣術を習っていたな」

「えぇ。今はアドリアンにかかりきりのようですが、以前は私もベントソン卿の弟子でした。お忘れでなければよいのですが」

「もちろん、忘れておりませんよ」


 ルーカスは口元に笑みを浮かべたが、その碧眼へきがんはハヴェルを厳しく見つめていた。


「優れた弟子が二人もいて、幸せなことです。でき得れば、どちらかが自らの役目を十分に知悉ちしつして、行動してくれると助かります」


 ルーカスの牽制に、ハヴェルはハハッと笑って言った。


「では、今日の僕は及第点ですね。。アルビンは引き取らせていただきます」


 ハヴェルが目配せして、アルビンを立たせると、公爵が終了を告げた。


「話が終わったのなら、私は戻るぞ」

「わざわざお越しいただき恐縮にございます」


 頭を下げるルーカスに背を向け、公爵は階段をのぼってゆく。そのあとにハヴェルとアルビンが続いた。


「ベントソン卿」


 姿が見えなくなる手前で、ハヴェルが呼びかけてくる。

 ルーカスが顔を上げると、ハヴェルはいつもの取り澄ました笑顔ではなく、真摯しんしな目でルーカスを見ていた。


「あなたの忠誠を信じています。グレヴィリウスの騎士としての、忠義をお守りあるように」


 ルーカスはしばらく無言で、その目と対峙した。

 やがてハヴェルの表情がふっとやわらぐ。そのまま何言うこともなく背を向けて去って行った。

 ルーカスはしばらく誰もいなくなった階段を見ていたが、深呼吸をしてから振り返った。

 そこには取り残されたオルグレン親子が情けなく跪いたまま、呆然と固まっている。


「さて……では本題に入りましょうか」


 ルーカスは再び気を引き締めてから、セバスティアンに話しかけた。


「実は男爵、あなたの息子の一人が逐電ちくでんいたしましてね」

「はっ? なんと?」

「あなたの息子である、キャレ・オルグレンが失踪したのです。セオドア公子からお聞き及びではございませんか?」


 問われてセオドアは反射的に視線を逸らした。セバスティアンは息子のどっちつかずな態度に、またイライラしたようだ。


「一体、どういうことだ!? キャレがなにかしでかしたのか?」

「父上……お黙りください」


 セオドアはともかくこの場を切り抜けるために沈黙を貫きたいようだったが、無論、セバスティアンには通じない。


「なんだと?! 貴様、さっきから父に向かって無礼な……」


 また親子喧嘩が始まる前に、ルーカスはセバスティアンの肩に手を置く。


「オルグレン男爵。ひとまず、こちらに」


 促して部屋の隅へとセバスティアンを誘い、後についてこようとするセオドアを制止する。


「すまないが、公子。男爵との密談だ」

「な……どういうつもりだッ」


 セオドアがムッとなって問い質そうとすると、ヤミが前に立ち塞がった。手に持った松明たいまつをセオドアに向ける。


「しばしお待ちください、公子」

「くっ……」


 セオドアは歯噛みしたが、松明の炎が揺れる先で、父とルーカスが何やら話すのを見ているしかなかった。が、父が驚いたり、ルーカスにむかって愛想笑いを浮かべていたり、そうかと思えば青い顔になったりして……一々、気になって仕方ない。

 やがてルーカスに肩を叩かれて、セバスティアンはトボトボと戻ってきた。自慢の巻き毛が力なく揺れ、うつむいた顔は固く強張っている。


「……父上」


 セオドアが声をかけると、セバスティアンはギロリと睨みつけた。今にも怒鳴りそうな憤然とした顔だったが、珍しく何も言わず、そのまま階段を上っていった。呆然とするセオドアに、ルーカスが声をかけた。


「公子はまだここに用がございますか?」

「貴様……父上に何を言った?」

「さぁ? 父上に直接聞かれては?」

「何を画策しているか知らないが……お前らの大事な小公爵の立場がどうなっても知らないぞ!」

「ほぉ? それは公子が何事か画策しておられるということでしょうか?」

「くっ……キャレが戻れば、いずれ思い知るだろう!」


 捨て台詞を吐いて、セオドアは逃げるように階段を上って行く。

 ようやく終わって一息つくルーカスに、ヤミが簡素な巻き煙草を差し出した。


「……気が利くな、トゥリトゥデス卿」

「恐縮です」


 二人してのんびりと煙草を吸ってから、ヤミが尋ねた。


「それで……事はうまく運んだのですか?」

「まぁ、上々だろう」

「この二人についてはどうします?」


 ヤミが後ろで鎖に繋がれたサルシムとバラーシュをくいと指さすと、ルーカスは見もせずに平坦な声音で命じた。


「刑吏に渡せ。横領罪と、知ってて見逃した不作為の幇助ほうじょ

「サラ=クリスティア嬢の誘拐については?」

「さっきハヴェル公子が言っていただろう。しようとしたのを、バラーシュが曲解した上、自らの職務に忠実でなかったために起きた……いや、実際には起きなかったな。オヅマは本当にうまいことやってくれた」


 ルーカスは小生意気な少年を思い出して、ようやくホッとしたような笑みを浮かべる。深く煙を吸い込んで味わってから、煙草を松明の炎に投げ入れた。

 去って行こうとするルーカスにヤミが尋ねた。


「先程はどうしてセオドア公子をのけ者にしたのです?」

「わからないか?」


 ヤミが首を傾げると、ルーカスはニヤリと笑って言った。


「嫌がらせさ」

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