第三百七十四話 エラルドジェイからの報告

 ちょいと顔出せ、という簡素な文面の紙切れと一緒に胡桃くるみを受け取ったオヅマは、その差出人について聞くこともなかった。


「大丈夫かい、親分。なんだか胡散臭ぇヤツだったよ?」


 言伝ことづてを頼まれたティボが不安げに言う。

 オヅマは心配ないと笑った。


「ちょっと世話になったヤツさ。でも、このことはみんなには内緒な。説明すんのが面倒だから」


 軽く言って館を出る。街中の雑踏に入ってからあたりをそれとなく見回していると、肩を叩かれた。振り向いたら、案の定エラルドジェイが立っている。


「やっぱりアンタか」

「よぉ、公子。わざわざお越しいただいてすまんね」

「わざとらしいこと言ってんじゃねぇよ。用件は?」

「せっかちだな。せっかくだから、レーゲンブルト名物の羊肉の串焼きぐらいおごってやろうとか思わないのか?」

「勝手に食えよ」

「まぁまぁ」


 エラルドジェイはのんびりとしていた。どうやらあまり悪い情報ではないらしい。仕方なくつき合って、屋台で売っていた羊肉の串焼きを買ってから、広場の隅にあるベンチに腰掛けて食べ始める。


「なんかあったのか?」


 オヅマはとりあえず羊の肉を半分まで食べたところで問うた。エラルドジェイは三本買ったうちの一本をあっという間に食べ終えてから、ペロリと口周りについたタレを舌で舐め取りながら言った。


「あぁ、あのオッサンがさ。ヤミに捕まって」

「オッサン? ラオのこと?」

「なんでラオが捕まるんだよ。そんな悪いことしてねぇよ。たまに怪しいモノ取り扱うくらいだろ」

「それだって、十分に捕まりそうなもんだ」

「よく言うな。お前が頼んでおいて……って、そうじゃねぇよ。ラオじゃなくて、ティアの家の面倒みてたとかいう、腹の膨れたチョビ髭のオッサンだよ。えーと、名前なんて言ってたっけ? サル……サル、サル……」


 なかなかその後が出てこないまま、エラルドジェイは二本目の串にかぶりつく。

 オヅマはすぐに思い当たった名前を問いかけた。


「……サルシムのことか?」

「あ、そうそう。そいつそいつ。ヤミの野郎が連れてったぜ。今頃、ネチネチと拷問されてるだろうなァ」

「拷問?」


 いきなり物騒なことを言われて、オヅマは聞き返した。「なんだってサルシムが?」


 エラルドジェイは肉を咀嚼しながら、事情を話す。


「あぁ、あのオッサンな、ティアたちがもらうはずの金を横領してたんだと」

「横領?」

「そ。毎月、公爵家からティアたち母娘おやこにはまぁまぁの金が支払われてたらしいんだけど、オッサンが半分近く盗んでたらしい」

「はぁ!?」


 オヅマは思わず大声をあげた。

 脳裏にサルシムの姿を思い浮かべて、ダンッと苛立たし気にベンチに拳を落とす。


「あンの野郎……やっぱりなんか嫌な感じがすると思ったら!」


 事情を聞いて、オヅマはようやく腑に落ちた。

 ペトラの葬式の後、オヅマは何度となくサルシムのもとを訪れて、ルンビックからの返信などについて問うていたが、サルシムは「報告書は送った」と言うばかりで、そのうちにオヅマを避けて会わぬようになっていたからだ。


「どうせあの野郎、俺に突っつかれたら面倒だと思って逃げてやがったんだ」


 歯ぎしりせんばかりにオヅマが怒るのを横目に、エラルドジェイはのんびりと三本目の串肉を噛みちぎって、もしゃもしゃ食べながら頷いた。


「まぁ、そうだよな。ところがどっこい、正義の女神セトゥルエンケの目は誤魔化せない。どうも横領してたのがバレてたみたいなんだよ」


 オヅマは手を打って、快哉かいさいを叫んだ。


「ハン! いい気味だ! で、捕まったって?」

「ま、そうだな。でも、このバレた相手ってのが厄介なカンジでさ。俺、お前らを送ったあとに、たまーにティアの家の前とか通りかかったときに、空き巣とか入ってないか見てたんだけど、そうしたら、そのオッサンが来たんだよ」


 オヅマはサルシムのことよりも、エラルドジェイが頼まれてもいないのに、ティアの家の様子を見てくれていたことに驚いた。

 確かに空き家というのは、泥棒に狙われやすい。特にああした小さな館は、貴族が住んでいたと推測できるため、置き捨てられたカーテンや調度品などを狙って、夜中に泥棒たちが我先にと荷物を盗っていくこともある。もっともアールリンデンは、衛士(*警察官のようなもの)も騎士であった人間などによって組織されているので、そうそう物騒なこともなかったが。


「わざわざ見回ってくれてたのか。ありがとな、ジェイ」


 素直に礼を言うと、エラルドジェイは感謝されると思っていなかったのか、どこかこそばゆそうに、むずむずと体を揺らした。


「いや、ついでだついで。まぁ、そのことはいいんだよ。それよりそのオッサンが来て俺に怒鳴りつけてきてさ。それでティアの話になったもんで、俺がここには居ないぜって言ったら、オッサンが真っ青になりやがってさぁ。しつこく居場所を訪ねてきやがるんだよ。お前じゃないけど、なーんかイヤーな感じがしたから、適当にいなして帰ろうとしたら、いきなりあの野郎が現れてさ」

「あの野郎?」

「名前言うのもイヤなあの野郎だよ」

「いや、あんたさっきヤミって言ってたじゃん」

「わかってんなら聞くなよ、お前は!」

「アンタが変に隠すからだろ!」


 ひとしきり言い合ってから、一拍置いてオヅマは話を元に戻した。 


「……で?」

「うん。で、ヤミがなんかごちゃごちゃ言って連れて行った。そんでオッサン、かるーく拷問されて」

「おい、かるーく拷問ってなんだよ、それ」

「いや。あの野郎にとっちゃ、まだ軽いほうだったよ。俺が見たのは」

「……なんかいろいろ気になるけど、それでサルシムが全部ぶちまけたってことか?」

「おぅ。そうそう。オッサンのところに手紙が来たんだと。今まで使い込んでた金のことをバラされたくなかったら、ティアを連れて来いって」


 オヅマは顔色を変え、思わず問うた。


「ティアを……? なんで?」

「知らねぇ。脅迫してきた奴についちゃ、それこそヤミの野郎がしつこくネチネチいたぶって吐かせてるだろうから、お前が奴から直接聞けよ。素直に教えるかはわからねぇけど」

「いや……だいたいわかる」


 考えてみれば、聞くまでもない。

 そもそもオヅマがティアを連れて、一緒にレーゲンブルトに行こうと思ったのも、彼らからの干渉を心配したからだった。彼ら ―― つまりハヴェルと、その母である女狐グルンデン侯爵夫人ら一派。

 なんとなく、オヅマは彼らが一人になったティアを放っておかないような気がしていた。今回、サルシムがティアを誘拐するよう指示されたのだとしたら、その勘は当たっていたということだ。


「ま、今頃おもちゃにされてるんだろうよ。あのオッサン。ご愁傷様だが、身から出た錆だな。……じゃ、俺はそろそろ行ってくるわ」


 そう言ってエラルドジェイは立ち上がると、うーんと伸びをする。


「あぁ、言ってた仕事? なに、今度は遠いのか?」


 いつも何も言わずにフラッといなくなるエラルドジェイが、わざわざ行くことを教えるのが気になった。よく見れば背には長旅用のふくろもある。着ているものも、西方衣装ドリュ=アーズの羽織だけはいつも通りだが、下のズボンや靴などは歩きやすいものになっていた。

 エラルドジェイはニヤリと笑うと、ツイとオヅマの額をつついた。


「お前のせいだろうがよ。お前さんが、ラオにけったいな代物を頼んだお陰で、俺が取りに行く羽目になっちまったんだろ」

「あ……」


 ズァーデンからアールリンデンに戻ってきたときに、ホボポ雑貨店に訪れて、オヅマがラオに注文したもの。見つかるまで時間がかかると言っていたが……


「見つかったのか?」


 オヅマは驚いて、少々大きな声になった。

 エラルドジェイが軽く肩をすくめる。


「おぅ。取りに来いとさ。ついでに向こうで仕事もあるし、ちょっくら行ってくる」

「そっか……気をつけてな」


 エラルドジェイはまじまじとオヅマを見てからため息をついた。


「お前さぁ……、本当に必要なのか?」

「うん。たぶん」

「たぶん、ねぇ……」

「いいから。ちゃんと運んでくれよ。俺、に五金貨ゼラも払うことになってんだからな」


 さほどの贅沢もせずに暮らす一般的な家族の、一月分にかかる金がおよそ八~九銀貨カークほどである。その生活費の数ヶ月分を費やさねばならないほどに、それは手に入りづらいものだった。

 ラオに頼んだものの、本当に手に入るかどうかは、正直、疑心暗鬼であったので、今回仕入れ相手が見つかったこと自体、奇跡的といってよかった。


「ラオのオッサンの顔も馬鹿にできねぇな」


 オヅマはつぶやいた。

 わずかに残った髪を後生大事に三つ編みしているような、ほぼ禿げ頭のおかしな ―― 風体ふうていも頭の中身も ―― 親爺ではあるが、やはりこうした稼業を長くやってきたせいなのか、それなりに顔は広いようだ。

 しかしエラルドジェイは納得していないようだった。


「っとに……なんでガキがあんなモン知ってんだ。ロクでもねぇ……」


 ブツブツと不満そうに文句を垂れるエラルドジェイが、オヅマには嬉しかった。それは紛れもなくオヅマの身を心配してのことだったから。


「ま、帰ってきたら、特別報酬出すよ」

「お? 言ってくれるね、旦那」

「レーゲンブルト名物・羊肉の串焼き、五本」

「フザけんな!」


 何だかんだと言い合いながら歩いて広場を出ると、「じゃあな」と手を振ってエラルドジェイは雑踏の中に消えた。

 オヅマはその姿が小さくなって消えるまで見送ってから、きびすを返した。

 先程までの笑顔から一転して、その顔は無表情になっていた。

 脳裏での記憶が巡る。



 ―――― お前自身をまもるものだ……



 そう言われて渡されたモノを、はためらいもせずに受け取った。誰よりも信頼し、誰よりも尊敬する人が差し出してきたものを、拒む理由などなかったからだ。それがどれほどの苦痛を与えるものか知っていたとしても、おそらく拒みはしなかったろう。

 もし、にカケラほどでも情があったならば、たとえがゆくゆく役に立つものであったとしても、与えることには躊躇したはずだ。

 そう。さっきのエラルドジェイのように。


「…………」


 ジクリと胸が痛むのはなぜだろうか。

 まるで涙をこらえるかのように、奥歯を噛みしめてしまうのは、なぜだろうか。

 冷えた心が固まり、きしんだ音がきこえてくる。

 どこまでも従順で一途だった馬鹿な。哀れで惨めなが、泣いているのだろうか……?

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