第三百六十三話 エリュザのブティック(2)

「あ、は……はい。アドリアン・グレヴィリウスと申します」


 促されてアドリアンは素直に名乗った。エリュザはランヴァルトのことを『閣下』と呼んでいる。つまり既に大公という身分を知っているのだろう。だとすればアドリアンが隠す理由もない。

 エリュザはその名を聞いた途端に、キラキラと丸眼鏡の奥のアンバーの瞳を輝かせた。


「ま! でしたら、やはりあのグレヴィリウス公爵のご子息でいらっしゃるのね! とーっても似ておいでですもの、間違いないわ。ホッホッホッ! その昔は、閣下と女性人気を二分しておいででしたものねぇ。懐かしいこと。今度はシモン公子と二分するのかしら?」

「まさか……」


 いかにもウキウキした様子のエリュザに、ランヴァルトは吐き捨てるように言った。


「あのような愚鈍な息子と、比べるべくもない」

「ま! 閣下。中身はともかくとしても、シモン公子も閣下の若き頃を彷彿とさせるお姿でいらっしゃいますことよ。ワタクシがキチーンと整えて差し上げられたら、どーんなにか社交界のご令嬢方々を騒がせることか」

「フン。残念だが、あの凡愚は昨年疱瘡ほうそうにかかって、みっともない有様だ。そうでなくとも、教養も勇武もなき者。見る者が見れば、顔にも浅慮せんりょ惰弱だじゃくが現れておろう」

「おや、ま! ……相変わらずお厳しーい」


 エリュザはにこやかに相槌をうちつつも否定しない。

 アドリアンは二人の会話を聞きながら、一つ確信した。

 おそらくエリュザは貴族であろうと。その昔、社交界において、父とランヴァルトが女性からの人気が高かったことは聞いたことがある。エリュザの話しぶりからすると、実際にその場に居合わせたかのようであったし、父と会ったこともあるようだった。

 化粧をしていて判然とはしないが、おそらく年齢は四十前後と思われるので、もし社交界にも出入りしていたのならば、知っていても不思議はない。もっともそうなると、どうしてそんな人がこんなところで、こんな格好で、ブティックなんかを営んでいるのか、というのが疑問ではあるのだが……。

 ランヴァルトは黙っているアドリアンに気付くと、苦笑して言った。


「これは失礼。シモンのことなど……君にはあまり楽しからぬ話題であったな」

「え? ……あ、いえ。そんなことは。……特に気にしておりませんから」

「時間に限りもあることだ。早速、服を見て貰うとしよう」


 そう言ってランヴァルトが視線を送ると、エリュザはコクリと頷いて、アドリアンに壁際のラックにズラリとかけられてある服を示した。


「閣下にはオーダーメイドの一点物でお作りしておりますけど、私どもの主なお客様は中産階級の人達ですから、基本的には既製服を作っておりますの。最近は急にやってきて、すぐに欲しいと仰言おっしゃる方もいらっしゃいますので。今回はお友達の服を選ばれるということで、在庫のあるものを取り揃えました。お気に召すものがあればよろしいのですけど」


 エリュザは遠慮した物言いをしていたが、かかっている服はどれも見事な出来栄えだった。店の内装と同じく、ここでもエリュザの趣味が現れているのか、使われている生地は、あまり貴族の衣服には使われていない柄であったり、色合いであったりしたが、決して奇抜さだけにはしることもなく、不思議に調和した上品な仕上がりになっていた。わかりやすい見た目だけでなく、生地もしっかりと丈夫そうで、縫製も丁寧だ。


「どうぞ。試しに着てみてくださいまし」


 エリュザに勧められるまま着てみると、いつも着た途端にずしりと重く感じる肩周りがすっきりと軽く、腕を回しても気にならない。


「とてもいいですね。動きやすい」

「ありがとうございます。それはおそらく、生地の裁断などを工夫したせいだと思いますわ。それに糸も新しい技術でった、丈夫で柔らかなもので仕立てておりますの。貴族と違って、この階級の人々は実際に毎日、体を動かして仕事する人達が多いものですから」

「……よく考えて作られているのですね」


 アドリアンは見た目と違ってエリュザの真面目な仕事ぶりに感心した。本当に人というのは見た目だけで判断してはいけないものだと思う。

 その後も説明を受けながら、アドリアンは上着を中心に見ていった。とはいえ、それでも二、三十着ある中から選ぶとなると、正直どれを選べばいいのかわからない。

 ルーカスにはああ言ったものの、普段、アドリアンは自分の服など選んだことがなかった。公爵邸に来る仕立屋はアドリアンの採寸だけして、いつの間にか出来上がったものがクロゼットに収められ、それらの中から毎日サビエルが当日のスケジュールに合わせて出してきてくれる。さすがに着ることまで召使いにさせることはないが、服を選ぶということは、基本的にアドリアンの日常にはなかった。

 迷うアドリアンに、ランヴァルトが声をかける。


「どうした? 随分と慎重に選んでおられるな」

「あ……はい。どう選べばいいのかわからなくて」

「近侍であれば、君の選んだものにケチつけることもなかろうに。なんであれば、端から端まで全部欲しいと言っても、君は買えるであろう?」

「いえ! それは……彼もこんなにたくさんもらっても困るでしょうし」

「君が彼に服を贈る趣旨としては、困らせることであったのだから、それはそれで問題ないと思うが……ま、よろしい。まずは彼の身長や、体型などはわかるか? 大まかでよい。君と同じくらいか?」

「えっと……確か僕よりも頭半分くらいは高かったと……体型は僕とそう変わらないと思いますけど……」


 思い出しながらアドリアンは話していて、きっとこの数ヶ月の間にオヅマもまた大きくなっているかもしれないと思った。自分も帝都に到着したときに着ていた服が、この前着ようとしたら少し小さくなっていたくらいだ。


「その近侍の髪色や目の色なども参考にしたら、より選びやすいだろう」


 考えているアドリアンに、ランヴァルトがさらに助言してくれる。

 髪色のことを言われて、アドリアンは手っ取り早くランヴァルトにわかってもらうのにぴったりな人物のことを思い出した。


「あっ、そういえばシモン公子と似ているんです」


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