第三百六十四話 エリュザのブティック(3)
「……シモンに?」
ランヴァルトはその名前だけで、眉をひそめた。
しかしアドリアンとしては、オヅマの説明をするのには、シモン公子は格好のモデルではあった。
「はい。髪色はほとんど同じです。背格好とかも似ていて、だからこの前、僕の近侍も思わず声をかけてしまったみたいで……」
「ふ…ん。あやつにな……まぁ、さほど珍しい風体でもないから、そういうこともあるだろうが……」
ランヴァルトはシモンの話になった途端に、少し白けた顔になった。先程来の言動からして、あまり好いてはいないようだ。ただそれも自分の息子への期待の裏返しであるような気がする……。
また、自分と父のことを比べてしまいそうになって、アドリアンはあわててオヅマに話を戻した。
「あ、でも瞳の色は紫です。
「珍しいな。生粋の帝国人に薄紫の瞳は少ないが……」
「はい。母親が元々西方の民の血を引いていて……だから肌の色も少しだけ浅黒いんです」
「……その母親というのは、前に言っていたクランツ男爵の新たな奥方のことか?」
「はい。そうです」
「…………」
ランヴァルトが一瞬黙りこんだので、アドリアンは首をかしげた。しかしすぐにランヴァルトは顔を上げ、話を続ける。
「いや、すまぬ。しばし思い出すことがあってな。それで……その近侍は浅黒肌で、薄紫の瞳で、シモンと似ているのだな? 確か名前は……オヅマ、と呼んでいたように記憶しているが」
「はい。オヅマ・クランツと申します」
「であれば……そうだな」
ランヴァルトはラックの中から、数着、
唐草の紋様が織り込まれたやや厚手の黒の絹地に、右肩から胸にかけて、イヌバラやキク、
「この鳥は人神サザロンの化身だな。芽吹きたる命の鳥、荒廃の大地を再生せし約束の大鳥……
「
「
ランヴァルトは意味深に笑って、それ以上の説明はしなかった。
アドリアンは意味がわからなかったが、ランヴァルトがそう言うのであれば、オヅマに訊くしかない。
いずれにしろようやく決まって、アドリアンは安堵のため息をもらした。
「疲れたようだな」
ランヴァルトに指摘され、アドリアンはハッと姿勢をただすと、頭を下げた。
「すみません。結局、閣下を頼ることになってしまいました」
「気にすることはない。他人の服を選ぶなど初めての経験であったが、なかなか楽しいものだった。これで君の近侍が気に入ってくれれば、私の差し出口も、多少意味のあるものとなろうな」
「きっと気に入ると思います。こういう少し変わった、新しい感じのするものが彼は好きなんです」
片身側にだけ刺繍された少々変わったデザインだけではなく、立ち襟であったり、引き締まってみえるウェストの仕立てであったり、これまでにアドリアンが着てきた上着とは、明らかに違った斬新なものだった。おそらくテリィだと形が崩れてしまうだろうが、オヅマなら着こなせるだろう。
アドリアンの返事に、ランヴァルトは紫紺の目を細めた。
「そうか。ならば、いずれ帝都に来たときには、彼も連れてくるとよい。もっともこの店の亭主は気まぐれで、勤労意欲は少ないゆえ、確実に開店しているのは月に三日。五のつく日だけだ」
やや批判を込めたランヴァルトの台詞に、エリュザは肩をすくめた。
「それ以外の日は、私の創作のための時間ですのよ。豊かな発想を得るためには、世俗の流行や美術、新たな技術、その他にも沢山のことを見聞しなければいけません。これで私も色々と忙しい身ですのー」
言ってからまたウィンクをされて、アドリアンは内心困ったが、とりあえず笑っておいた。エリュザの才能には敬服するが、どうしても野太い声と、彼の着ている衣装が脳内でうまく噛み合わない。
戸惑っているアドリアンの肩をランヴァルトが軽く叩いた。
「そろそろ出よう。服については、裏地にクランツ男爵家の紋章を刺繍させるゆえ、後日、君の従僕にでも取りに行かせるとよい」
「はい、わかりました」
アドリアンが返事すると同時に、控えていたサビエルが頷いて、エリュザに出来上がりの期日など詳しいことを尋ねる。
「今日はわざわざお越しいただけて、嬉しゅうございました。もしお気に召したなら、今度は小公爵様の服もお仕立てさせていただきたいものです」
エリュザの流暢な言葉遣いは、やはり貴族の教育を受けた者らしい気品を匂わせる。だが本人も、おそらく気付いているランヴァルトさえも何も言わないことを、アドリアンが追求するのは
「はい。また、いずれの機会に」
型どおりの返答をして外に出ると、そろそろ夕暮れにさしかかろうかという頃合いだった。
北のレーゲンブルトほどでなくとも、夏は日の入りが遅いので、ついつい時を過ごしがちになる。思っていた以上に時間が経っていたことに気付くと、アドリアンは急に気分が沈んだ。
「どうした? アドリアン」
「いえ……思っていたよりも時間が経つのが早くて」
「それはなによりだ。私といる時間が苦痛でなかったということだな」
「そんな訳がありません! とても……とても、非常に有意義な時間でした。その……閣下は本当に、様々なことを知っておいでで、だから……」
こういう場面になると、しどろもどろになってしまう自分が、アドリアンには
ランヴァルトは言葉を途切らせたアドリアンの肩を、またやさしく叩いた。
「君が領地に帰るのはいつ頃だ?」
「正式な日にちはまだ決まっておりませんが、おそらく来月の五日頃には」
「そうか。ではまだしばらく帝都にいるのだな。ならば、また会う機会もあろう。毎日ではないが、私はしばしば『七色
「えっ? 行っていいのですか?」
「もちろんだ。だからこそゾルターンにも君を紹介したのだから」
「僕は……まだ大人じゃないですよ」
帝都には貴族が開くサロンがいくつかあったが、多くは子供の出入りを禁じていた。あの茶寮もそうしたサロンの一つだと思ったので、アドリアンは今日の待ち合わせでも、中に入ることは控えたのだ。
しかしアドリアンの質問に、ランヴァルトはハハッと笑った。
「あれはそうした場ではない。あの場に集う者は
アドリアンはまた胸が熱くなった。
一人の人間として認められたような、これまでの
感動するアドリアンに、ランヴァルトはこっそりと付け加えた。
「大人であっても、くだらぬ
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