第三百五十八話 帝都の出会い(2)

「一人にのみ贔屓ひいきが過ぎるのは、如何いかがなものかと。古くは近侍同士でちょうを争ったこともあったとか。こうした物品は、近侍たち全員に差し上げるべきかと思いますよ。そうすればいらぬいさかいも起きぬでしょう」


 ガイスの差し出口に、アドリアンはムッと眉を寄せた。

 どうしてわざわざ諍いが起こることを前提に話すのだろう……。


 しかしアドリアンは苛立ちをすぐに表情から消して、勝手な憶測で無礼な提案をしてくるガイスをじっと見るだけにとどめた。

 知ってか知らずか、ガイスは相変わらず本心の見えぬ笑顔を貼り付けて、アドリアンを見下ろし視線を受け止めている。

 そんな二人の不穏な空気に気付かず、テリィがガイスに問いかけた。


「今日は二人でどこに行くの?」

「メルツァー劇場です。そろそろ我らも領地に戻るので、見納めておこうかと。今回の劇の公演は今日までですしね」

「えっ?! そうなの? それは……見に行きたいなぁ……僕も」


 テリィは急に甘ったれた声になり、チラとアドリアンを見てくる。

 それまでアドリアンの背後に控えていたエーリクがヌッと出てきて、仏頂面で尋ねた。


「チャリステリオ公子、我々は小公爵様の買い物を手伝うために来ているのだぞ。わかっているな?」


 低い声にそこはかとない恫喝を感じて、テリィは「わ、わかってるよ!」とあわてて取り繕った。

 その様子を見たテリィの母・ステラリアが、いかにも怯えたように「まぁ……怖いこと」と扇子の影でつぶやく。

 アドリアンがやや面倒になってきて嘆息すると、ガイスが取りなすように言った。


「よろしければ、小公爵様もご一緒にいかがですか? 今期の芝居はなかなかの傑作でございますよ。役者の熱演もさることながら、筋立てもよろしく、見応えのある内容でございます」

「そうそう! 僕も一度、母上と見に行きましたが、楽しかったですよ。間抜けな肉屋たちの合唱が面白くて! それに、メルツァー劇場の軽食は豪華なんですよ。鹿肉のクレープ包みが、すごくおいしいんです」


 テリィはその料理を想像してか、とろけるような顔になって、熱心にアドリアンを誘う。

 だがアドリアンはすぐに首を振った。申し訳ないが、劇場という場所はアドリアンには鬼門だった。

 芝居好きの叔母、ヨセフィーナ・グルンデン侯爵夫人は、その劇場の後援者の一人で、おそらく今日が最終公演となれば、会う可能性は高い。会えば婉曲な嫌味の一つ二つで済まないばかりか、下手をすれば同じボックス席に案内されるかもしれない。

 考えるだけで、憂鬱になる。


「僕はいい。チケットもないことだし」

「そのようなこと! グレヴィリウスの小公爵様がお越しとあらば、最も良い席を用意するでしょう」


 ガイスが大仰に言うのが、アドリアンにはひどく苛立たしかった。


「僕は、そうした行為を好まないんだ、プシビル卿」


 ピシャリと言うと、ガイスは少しだけ鼻白んだ。

 アドリアンはその顔を見ることもなく、すぐにテリィを送り出す。


「君は行ってくるといいよ、テリィ。お母上もそろそろ領地に帰られるのだろうし、家族で観劇できる機会もそうないだろう。服のことは気にしなくていい。どうせ今日は、買う気がしないから」

「で、で……でも」


 テリィは落ち着きなく視線を泳がせた。エーリクはもちろん、サビエルもやや冷たい目で、テリィを見ていたからだ。

 だがアドリアンは朗らかに笑って二人を制すると、ガイスにテリィのことを頼んだ。


「じゃあ、プシビル卿。観劇が済んだら、テリィを公爵邸まで送り届けてくださいね」

「もちろんでございます。小公爵様のおやさしいお心遣いに、感謝するばかりです」


 ガイスの大袈裟な敬語が、アドリアンにはいちいち癪に障ったが、顔には出さなかった。

 テルン一家 ―― 正確にはガイスは一家に入らないのだろうが、去って行く三人の後ろ姿を見る限り、どう見ても仲の良い父母と息子にしか見えなかった ―― が行くと、エーリクが不満げに問うてきた。


「よろしいのですか? あのようなことをお許しになって」

「構わないよ。正直、テリィの意見は、あまり参考になりそうもない」


 買い物を始めて一刻(*約一時間)が過ぎていたが、テリィはオヅマの服を選ぶというより、後日、自分が買うとき用に自分好みの服を物色するばかりで、あまり役に立っていなかった。


「しかし……最近のテリィは目に余ります。小公爵様に対して甘えが過ぎる」


 めずらしく憤然と言うエーリクを、アドリアンは物珍しげに見て、肩をすくめた。


「そうだね……マティがいたら、きっとひどく叱りつけていただろうな。なんだったら、テルン夫人とプシビル卿にも説教していたかもしれない」


 いつもは色々と厳しくて口やかましい(自称)筆頭近侍のことを思い出して、アドリアンがクスクス笑いながら言うと、エーリクがシュンとなった。


「申し訳ございません。お力になれず……」

「なに言ってるの、エーリク。君には君の、マティにはマティの役割があるってことだよ。十分に、君は僕を助けてくれているよ。いつもありがたいと思ってる」

「…………」


 エーリクはそのアドリアンの言葉に、じんわりと胸を熱くした。ここで忠誠の誓いを立てたいくらいであったが、その時、パン、パンと乾いた拍手が響いた。

 エーリクはとっさに剣の柄に手をやって身構える。

 アドリアンも一瞬、顔を固くして警戒した。

 その人物は拍手を止めると、ゆっくりと歩み寄ってきて、頭を覆っていたフードを少しずらした。フードの影になって見えなかった顔があらわとなった途端、アドリアンは息を呑んだ。


「た……大公殿下?!」

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