第三百五十七話 帝都の出会い(1)

 ふたたび時間は戻り、カーリンがレーゲンブルトに旅立って数日後の帝都。

 落穂おちほの月、初め頃のことである。



 アドリアンはオヅマの服を買いに出かけていた。それは帝都に着いて、オヅマからの素っ気ない手紙を読み、そのときにはオヅマを少し困らせてやろうという、ちょっとした冗談で言っていたのだが、今となっては、そんな軽い悪戯心は失せていた。

 しかしキャレ改めカーリンの件以降、すっかり意気消沈した小公爵を心配した従僕のサビエルが、気分転換にと勧めてきたのだ。


 その日はマティアスが領地に帰る父の見送りのため不在であったので、サビエルとエーリク、それに「衣服のことならば、お任せを!」と自信満々のテリィが随行した。都でも一番の高級店が並ぶ通りを歩いていたが、道行く人々の楽しげな様子を見るアドリアンの顔は、やはり浮かない。


「アッ、あんなところに新しい店が出来てるぞ! なんだろ? 美味しそうな匂いがしてくる……」


 そんなアドリアンにお構いなく、テリィは店々を見て回る。

 エーリクが渋い顔で注意した。


「テリィ、お前の買い物じゃないんだぞ。小公爵様の買い物なんだ」

「わかってるさ。でも、少しぐらい食べたりもするでしょう? おなか空いてませんか、小公爵様。そろそろお昼ですよ」

「……あぁ、そうだね」


 アドリアンが適当に返事すると、テリィは合意と受け取ったのか「じゃあ、行きましょう!」と、意気揚々と歩き出す。

 エーリクが止めようとするのを、アドリアンは手を上げて制した。


「いいよ。テリィも歩き回ったから、おなかが減ったんだろう」

「しかし、まだ小公爵様が買い物もされていないのに」

「いいよ。まだ決められないから」


 アドリアンはそのまま先導するテリィの後をついていったが、急にテリィは「あっ」と声を上げると、いきなり走り出した。


「おい、待て! テリィ、勝手な真似をするな!!」


 エーリクがあわてて止めるが、テリィは聞こえていないようだ。アドリアンは走って行ったテリィが目指す方向へと目を向けた。

 通りを歩く人々の群れの間から、薄い緑色の昼用ドレスを着た婦人と、その隣でクセの強い赤茶色の髪の男の姿が見える。二人とも走ってくるテリィに気付いてか、足を止めていた。

 婦人の方は、テリィが近くまでくると、ニコニコと笑って抱きしめた。その様子を見ていた男が二言三言、声をかける。テリィが婦人の手から離れて、こちらを振り返り、アドリアンを示すと、二人の顔が固まった。

 一瞬、アドリアンはこの様子を見て、なんとなく歓迎されていない感じを持った。だが、男のほうは驚いただけだったのかもしれない。あわてたようにアドリアンに近付いてくると、ひざまずいて挨拶しようとするので、すぐに止めた。


「人通りのある場所です。そうした挨拶は控えてください」

「おぉ、これは……確かに、申し訳ございません。まさかこのような街中まちなかで小公爵様にお会いできることがあるなどとは思わず」

「ガイスおじさんは、小公爵様に会うのは初めてだっけ?」


 テリィが親しげに話しかけると、ガイスと呼ばれた男は頷いてから、かしこまった様子でアドリアンに挨拶した。


「失礼致しました。まずご挨拶すべきところを……私はガイス・プシビルと申します」

「小公爵様、前にもお話ししましたよね? ガイスおじさんは、僕のお祖母ばあ様方の縁戚で、僕にとっては先生のような人なんです」


 テリィはめずらしく、どもることなく、すらすらと説明する。

 アドリアンは以前にテリィから聞いていた話を思い出して頷いた。


 テリィの父は先の南部戦役に出征し、死亡している。当時幼かったテリィに父の記憶はなく、祖父も爵位を再承継したばかりで忙しかったために、遠縁の小父おじに教育されたのだという。おそらくその小父というのが、目の前にいるカーキ色の髪の男のことなのだろう。


 ガイスは人の良さそうな笑顔を浮かべていたが、大きな薄灰色の瞳はガラスのような、どこか無機質な印象だった。その目がまじまじとアドリアンを見つめて観察している。やや居心地の悪さを感じつつ、アドリアンが挨拶を返そうとすると、ガイスは急にフイと後ろを向いて声をかけた。


「ステラリア、貴女あなたも挨拶をしないと」


 それまで数歩離れた場所で、目立たぬようにしていた婦人が、仕方なさげに少し前に進み出る。恥ずかしいのか、恐縮しているのか、アドリアンと決して目を合わせようとせず、軽く腰を屈めてお辞儀した。


「チャリステリオの母の、ステラリア・テルンと申します。いつも息子がお世話になっております。このような場所でお会いするとは思わず、失礼致しました」


 固い声は単純に緊張で強張っているのか、あるいは何か含むところがあってなのかわからない。

 アドリアンが名乗っても、ステラリアは決して目を合わせなかった。


「今日は、このような場所で小公爵様はいったい何をなさっておいでで?」


 ガイスが尋ねると、アドリアンが答える前にテリィが語ってくれる。


「小公爵様は今日は服を買いにこられたんです。でも、なかなかお眼鏡に適うものがなくって、歩き回っていたんです」

「まぁ……」


 ステラリアが口元を隠した扇の向こうから、かすかな非難を滲ませる。

 おそらく大グレヴィリウス公爵家の継嗣であるのに、既成服を買いに回ることが信じられなかったのだろう。

 アドリアンとて、当然ながら今までの人生で、服を買いに出かけたことなど、一度もない。

 そんなテリィの母の見当違いを見抜いて、すぐにサビエルが付け加えた。


「小公爵様ご本人の服を買いに来たのではありません。今回、帝都に来れなかった近侍への土産みやげです」

「帝都に来なかった近侍のために、わざわざ服を買ってやるとは……小公爵様は誠に臣下思いでいらっしゃることです」


 ガイスは賞賛してから、すぐにやや低い声で付け加えた。「しかし……」

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