第三百五十六話 サルシムの顛末(2)

「物は言いようですね、サルシム卿。では、その手紙を出したのは誰だとお考えになりますか?」

「……し、知らん」

「知らないとはまた悠長な。知らない相手の言うことを聞いて、公女を誘拐しようとしていたのですか?」

「ち……ちが…」

「あぁ、申し訳ありません。『保護』でしたね。『保護』。便利な言葉だ。しかしほどこす相手を、最初から下等の存在としか見てないようにも聞こえます。本来、こうした言葉を使える人間は限られているのですよ。あなたごときの身が、安易に使ってよいものではない。……そう思いませんか?」


 見えないからこそ、ヤミの声からひどく殺伐としたものを感じて、サルシムは身を縮こまらせた。


「まぁ、手紙のことは措いておきましょう。いずれわかることです」


 カツ、カツ、と靴音を響かせて、ヤミはゆっくりとサルシムの周囲を歩きながら、チラリと背後を振り返る。そこにはバラーシュ行政長官が一応見分すると言って立っていたが、彼はヤミと目が合った途端、気まずそうに視線をそらせた。階段や柱の陰から、この状況を見物していた役人らも一様に顔を伏せた。

 沈黙に耐えられなかったのは、目隠しをされたサルシムだった。ガチャガチャと手足の鎖を鳴らして、必死に訴えた。


「お、お、俺は……俺は脅迫されてッ! 仕方なかったんだ! あんな娘、俺はずっと、放っておいたのに。あ、あの、手紙……あの手紙を読んでくれ、読めば俺が脅され……」

「うるさい」


 大声でわめき立てるサルシムに、ヤミがビシリと鞭をふるう。続けて何度も無造作に打ち据える。


「なかなか頑丈じゃないですか。ちょっと休憩したら、もうそんなに元気になって」


 ヒッ、ヒッと声をあげてサルシムは痛がっていたが、ややあってから臭気がしたかと思ったら、失禁していた。

 部下の醜態にバラーシュ行政長官は渋い顔になり、仕事と言い訳して姿を消した。つられるように様子を窺っていた役人たちも消える。


「……要は」


 それまで気配を消していたエラルドジェイが、暗がりからヌッと姿を現した。


「そのオッサンがティアの家の金を横取りしてて、自分と家族はその金でご機嫌に暮らしてたけど、いきなり妙な手紙が舞い込んできて、悪行の数々をバラされたくなかったら、言うこときいて、ティアを連れてこいと脅迫されたわけだ」

「そうだな。それは事実だ」

「じゃ、俺はそれをオヅマに伝えりゃいいよな」


 軽く言って去って行こうとするエラルドジェイを、ヤミは残念そうに引き留める。


「おいおい。これからが本番だぞ。その妙な手紙を寄越したのが誰なのか、知りたくないのか?」

「興味ねぇよ、そんなもん」

「オヅマ公子は興味を持つやもしれんぞ」

「あいつには今の話だけしておけば、あとはどうにかするさ。ともかく俺はとっととここから出たいんだよ。臭ェし、飽きたし。どうせこれからお前がすることなんて、意味ないんだからな」

「意味が、ない?」


 ヤミの声がひんやりとした冷気をまとう。「どういう意味だ?」

 そこはかとない怒気を滲ませるヤミに、エラルドジェイも冷たい眼差しで応えた。


「どうせこれからは、お前がを、なんだろ。ただの自慰じゃねぇか。そんなもん、見たくもねぇよ」


 エラルドジェイが吐き捨てるように言うと、無表情にヤミが鞭を振るう。さっきまでエラルドジェイの立っていた場所を、鞭が鋭くくうを切った。狙っていた男はいつの間にか階段へと移動している。

 エラルドジェイは崩れかかった頭の巻き布を押さえながら、数段上がったところでサルシムに声をかけた。


「おい、オッサン。あんたしっかり拳を握りしめてろよ。コイツ、指の骨折るのから始めるから」

「なっ、なにッ!?」


 サルシムの声が恐怖でひっくり返る。

 エラルドジェイはそのまま階段を駆け上っていった。

 牢屋に残されたのはヤミとサルシムだけ。


「さて……フィリーからのご要望もあったことだし」


 ヤミはニィィと口を歪めて、世にも恐ろしい微笑を浮かべる。

 サルシムはその顔を見ていなかったが、ゾクリと身を震わせた。


「た、た、たた……助け……」


 必死に助命を乞う姿に、ヤミは優しく耳元で囁いた。


「もちろん。私はあなたを助けたいと思っておりますよ、サルシム卿」


 言い終えると同時に、靴底に鉄板を入れた特注の靴が、サルシムの左足を踏みつけた。

 サルシムの絶叫が響く。

 サルシムの左足の指の骨がすべて折れたことを確認してから、ヤミはゆっくりと靴をあげた。

 あまりの痛みにサルシムは声も出ず、折れた指を触りたくとも鎖に繋がれた手は届かない。

 ほとんど鎖に吊られるように立っているサルシムに、ヤミは静かに尋ねた。


「さて、そろそろ本題に入りましょうか。先程、あなたは『脅迫』されていたと仰言おっしゃってましたね。教えてください。あなたを脅迫したのは誰です?」

「し…知らな……わから……ない。許して、くれ……」


 サルシムは泣きながら、よだれを垂らしながら、全身から噴き出る冷や汗に凍えながら、必死に訴えた。

 だがヤミは急に「あぁ、私としたことが!」と、芝居がかった手振りで叫んだ。


「すみません。聞き間違えましたね。尋問は正確にしないと。では、もう一度、最初から」


 言うなり、今度はサルシムの右足の親指を踏みつける。足先で踏んでいるだけなのに、万力まんりきで挟まれたかのように、びくとも動かない。

 ベキリとくぐもった音が響いて、サルシムは悲鳴を上げた。

 ヤミは「さて」と、靴を床にこすりつけるようにして、サルシムの足から離す。

 サルシムは声を上げたかったが、何度も悲鳴を上げたせいで喉が切れたのか、ヒューヒューとかすれた呼吸音が漏れただけだった。


 ヤミはにっこりと微笑み、サルシムの耳元に口を寄せて、低く尋ねた。


「では、サルシム卿。横領を繰り返すあなたをして、金を渡すようしてきたのは誰です?」

「………………は?」


 サルシムは気息奄々きそくえんえんとなりながら、かろうじて残った意識下で聞き返した。

 かすかにため息が聞こえると、いきなり目隠しを取られる。

 薄暗い牢屋の中だったが、急に光が戻ってサルシムは目をすがめながら、ヤミを見上げた。


「ゆっくりよろしいですよ。ひとまずは終了したことだし、場所を変えましょうか。公爵邸の方がふんだんに道具もありますし。が来るまで、じっくり考えていただきましょう」

「………………」


 サルシムはカチカチと歯の根が震えるのを止められなかった。

 美しい顔だった。

 銀の髪は暗い牢屋の中で、星屑をまとったかのようにきらめいていた。それなのに自分に向かって微笑みかける彼に、サルシムは恐怖しか感じなかった。ここに来る前にも見た、酷薄で獰猛な瞳……。

 この一瞬、サルシムは自分がこの世ではないどこかにちたのだと思った。

 目の前で微笑んでいるのは正義の女神セトゥルエンケが遣わした審問の使徒ゴルスで、彼を満足させる答えを出さない限り、この苦痛が終わることはないのだ。……

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