第三百四十話 忘れられた公女

 オヅマはその文言に息を詰まらせた。ゴクリと唾を飲み下して、ブラジェナからの手紙の続きを読み進める。



『……はからずも公爵閣下の御子を懐妊かいにんしたので、自らの子に後を継がせようとでも企んだのでしょう。浅慮せんりょなことです。しかしすぐに明るみになって、公爵邸からは追い出されました。

 アールリンデン市街にある小さな館で、今も監視され生活しています。もちろん公爵邸への出入りは禁止されていますが、元は女狐めぎつねが送り込んできた女です。最近はあまり見かけなくなったようですが、何度か図々しく押しかけてくるようなこともあったようです。

 特に泣き落としなんかは信じないように。

 前に門番の一人がそれでコロッと騙されて、まんまと中に入れてしまい、もう少しで小公爵様と鉢合わせるところでした。幸い、ベントソン卿が止めてくれたようですが。

 追放後に子供は生まれましたが、女児でした。そうとわかっていれば、小公爵様を暗殺しようなどという、不埒ふらちなことを考えなかったでしょうに。つくづく運もない、考えも浅い女です。だから女狐に利用されるような羽目になるのです。

 追放後に生まれた女児は、サラ=クリスティア・アベニウスと言います。

 彼女は小公爵様にとっては妹ですが、グレヴィリウスもエンデンの姓も与えられぬ庶子同然の娘です。わざわざ会う必要はありませんが、警戒のために、貴方あなたも知っておいたほうが良いでしょう。

 くれぐれも、女だからといって、ほだされてはなりませんよ! 娘もです!


 不悉ふしつ  ブラジェナ・ブルッキネン』



 ブラジェナはおそらくあわてて書いたのだろう。普段は見せないようにしている本心が、手紙の随所に表れていた。いくつかの言葉から、公爵の第二夫人であったペトラと、その娘であるサラ=クリスティアへの軽蔑が読み取れる。

 オヅマは手紙を机に置くと、頬杖をついて、コツコツと机の右隅を中指で叩きながら考え込んだ。


 ブラジェナが心配するのは無理ないことだが、オヅマはもう既にサラ=クリスティアと知り合っている。彼女の立場がわかったからといって、てのひらを返すように冷淡に接することなどできなかった。

 たとえ母親がかつてアドリアンの命を狙ったとはいえ、そのときにはまだ母親の胎内たいないにいたティアに責任があるわけがない。何もわからないまま、彼女は母親共々公爵邸から放逐され、忘れ去られたのだ。

 そうして大きくなっていくに従い、ティアは自らの生い立ちを知ったのだろう。母親が犯した罪も。

 今にして思えば、初めてオヅマと会ったとき、ティアの様子は少しおかしかった……。



 ―――― レーゲンブルト騎士団って……グレヴィリウス公爵家の騎士団の一つ、でしたよね?



 問いかけてきたティアの顔は少し強張っていた。オヅマがそうだと言ったあとに、取り繕うように笑った顔も。

 オヅマが公爵家に関わりのある人間だとわかっても、ティアは自らの身の上を言わなかった。自分が本当は公爵の娘だと名乗って、虐待する母親から逃れるために、保護を求めてもいいのに。


 オヅマはハァーっとため息をついて、大きく後ろに反り返った。足を机の縁にひっかけると、椅子を傾けて不安定なバランスでギィギィと揺らす。


「……っとに、無駄に似てやがる……」


 二つの顔を思い浮かべて、ひとちる。

 そうした思慮深さや、我慢強さ、同時に貴族らしいプライドの高さが垣間かいま見えるところまで、ティアの性格はアドリアンに似ていた。

 一緒に育っていなくとも、兄妹は似るのだろうか?

 マリーと自分に似たところなど、へらず口くらいしか思い浮かばない。妹のそばかす顔を懐かしく思い出してから、脇に押しやって、オヅマは再びティアのことについて考えを戻す。

 アドリアンがこの場にいて、ティアのあの窮状を知っていたら、どうするだろう?


 会ったこともない異母妹。

 自分を幼い頃に殺そうとした女の娘。


 おそらくアドリアンは、ティアの存在については知っていたはずだ。何度かそんな話をした気がする。

 だが、会いに行くことはなかった。それは仕方ないだろう。たとえアドリアンが会うことを望んだとしても、絶対にルーカスなりルンビックなりが、許さなかったであろうから。

 そうした周囲の忖度そんたくが、アドリアンをますますティアから遠ざけた。あるいは第二夫人が自分を殺そうとしたことも知っていて、尚のこと、会いづらくなってしまったのかもしれない。

 だが今のティアの状況を知っていたら、放置はしておかなかったはずだ。


 酒乱の親を持った子供が、どれだけ理不尽な暴力にさらされるか。

 オヅマはまだ耐えられた。

 男だから、兄だから、守るべき存在があるから…と、幼いながらに自分を奮い立たせて、コスタスの横暴に耐えることができた。

 だがティアは一人だ。

 今もあの古く傷んだ館の中で、誰に知られることもなく、空になった瓶を投げつけられてるかもしれない。


「チッ!」


 オヅマは舌打ちした。

 いずれにしろ手詰まりなのだ。ルンビックかルーカスでもいれば、どうにか取り計らってくれただろうが、現在公爵邸に残っているのは、邸内を管理するだけの執事と従僕だけ。

 そのうえ彼らは、オヅマをほぼ無視していた。

 特に例のハヴェル奉仕隊の一人であるフーゴは、あの時オヅマにすっかりやり込められたことが、よほど屈辱だったのだろう。あることないこと(ほぼないこと)、オヅマに対しての誹謗中傷を撒き散らした。そのせいか、最近では夕食も用意してくれない。(これはオヅマが公爵邸の食事がまずいから、街で食べたほうがいいと言っていた…という噂を立てられたせいだ。無論、オヅマは一度もそんなことを言ったことはない。これまでに数回、街の食堂でエラルドジェイやラオらと食事をして帰って、その日の夕食を断ったことがあったので、それが曲解されたのであろう)


 ともかくも今、公爵邸内において頼りになる存在はなさそうだった。

 ブラジェナからの手紙を読んだあと、残留する騎士らに話を聞こうとしたが、まともに取り合ってくれなかった。中には話を聞いてくれる者もいたが、基本的にはティアら母娘おやこと関わり合いになるのを避けた。

 ペトラが公爵邸から追放された経緯いきさつを知る老騎士は言った。


「本当だったら、あの女は首を落とされてもおかしくなかったんだ。公爵閣下の子を身籠みごもっているからと、ギリギリ殺されることを免れただけだ。娘には気の毒だが、そういう星のもとに生まれたと諦めるしかない」


 まったくもって不条理だった。しかも腹立たしいことに、その不条理を一番よく理解し、耐えているのは、当のティアなのだ。

 いろいろと考えあぐねて、オヅマが出した結論は、ともかくもう一度ティアに会う、ということだった。今日の状況だけを見ても、オヅマには詳しいことはわからない。ひとまず本人から話を聞きたかった。


 翌日。

 どんよりと曇る空模様を気にしながら、オヅマは再びティアの家へと向かった。

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