第三百三十七話 ティアと母親(1)

「おぅ、レオシュ。今日は仕事か?」


 オヅマが声をかけると、レオシュは振り返ってニッと笑った。手にはワインが三本入ったかごを持っている。軽く持ち上げてみせた。


「おぅ、配達でさ」

「ご苦労さん。それで最後か?」

「あぁ」

「じゃあ、ちゃっちゃと終わらせて、やるか」


 オヅマが軽い調子で誘うと、レオシュは「おぅ」と頷いて微笑んだ。


 あの日の喧嘩から、オヅマはレオシュと度々、打ち合い稽古をするようになっていた。当初は負けたことで、レオシュはオヅマに対してへりくだる態度を見せていたが、オヅマは早々にやめさせた。


「やめてくれよ。同じ年なんだし、友達ってことでいーじゃんか」


 レオシュはオヅマのそうしたあけっぴろげな態度に驚いた。

 元は平民とはいえ、今はれっきとした貴族の若君で、しかも聞けばあのグレヴィリウス小公爵の近侍だという。威張りくさってもいいくらいなのに、孤児の少年の稽古相手になると言ってくれるばかりではなく、友達として接してくれるなど、とても考えられなかったのだ。

 レオシュは戸惑いつつも、オヅマの自然な振る舞いに合わせて、徐々に友達としての関係性に慣れていった。


「お前、この前も酒屋の配達してたけど、そこで働くのか?」


 歩きながらオヅマは尋ねた。

 レオシュは三年前に両親を事故で失い、今は孤児院で暮らしている。働くために、そろそろ孤児院を出るよう言われているらしい。

 下町に暮らす少年たちは、親が商売をしていればそのまま店の手伝いをし、兄弟が多ければ他の店に奉公に出された。レオシュのように孤児である場合は、口利きや飛び入りで店の手伝いなどをさせてもらう中で、雇われる機会を得ることが多い。(但し、これはアールリンデンが比較的治安が良いから可能なことで、帝都などでは貧困地域に住む孤児がまともな商売につくことなど、ほぼ有り得なかった。)


「わかんねぇ……親爺さんは色々任してくれるけど、女将さんはいい顔しねぇし」


 レオシュが諦めたような顔で言うのも無理ないことだった。

 元々レオシュはアールリンデンの生まれではなく、両親は他国から流れてきた者たちだった。帝都であれば他国人も多く暮らしているが、長くグレヴィリウス公爵家のお膝元であるアールリンデンにおいては先祖代々、その地で暮らしてきた土着の民が多く、余所者はそれだけで偏見を持って見られた。しかもレオシュは下町の悪ガキ共のリーダー格として、一部の大人からは非行少年として見なされていたのだ。


「チッ! わかってねーなー」


 オヅマは苛立たしげに舌を鳴らす。

 少年らの上に立つ者としての面子メンツがあるために、悪ぶってみせているところがあるが、レオシュは極めて真面目で面倒見のいい男だった。ちゃんと話せばすぐにわかることだ。


「よし。じゃ、お前、レーゲンブルト騎士団に入れよ。俺、口利いてやるから」


 オヅマが満更冗談でもない口調で言うと、レオシュは大人びた笑みを浮かべた。


「レーゲンブルトねぇ……俺ゃあ、寒いのが苦手だからなぁ」

「なに甘えたこと抜かしてんだ。寒いのなんか、すぐ慣れるさ」

「いやー、でもレーゲンブルト騎士団って荒くれ者が多いって聞くぜ。俺なんか、アールリンデンでお上品に育ったから……」


 のらりくらりと、レオシュは冗談でかわす。

 オヅマは首をかしげた。


「なんだよ、お前。騎士になりたくて、剣の稽古してんじゃねぇの?」

「まぁ、最終的にはそうなんだけどな」

「最終的?」

「俺にもいろいろと計画がある、ってことだよ。俺は俺の実力で騎士になるさ。見習い騎士サマのお世話にゃならねぇよ」

「なんだよ……」


 オヅマは少し鼻白んだ。騎士になることに憧れているレオシュであれば、すぐにでも飛びつくと思ったのだ。しかし文句を言いかけて、オヅマはゆっくりと口を閉じた。

 たとえ孤児でもレオシュにだって矜持きょうじはある。彼は彼なりに、自分の行く道を決めているのだ。それを夢見がちな少年の青臭い選択だとわらう者もいるかもしれないが、オヅマにはレオシュの意志が眩しかった。ただの見習い騎士でしかないくせに、大口を叩いた自分が恥ずかしくなった……。


「騎士団のことより、今の俺にゃ、この先のお得意さんのほうが気が重いぜ」


 レオシュは自己嫌悪で黙り込むオヅマの気を紛らすように話を変えた。


「は? なんで?」

「ちょっとなぁ……困ったおばさんでさ」

「困ったおばさん? なんだよ、払いが悪いとか?」

「払いはまぁ……今日は無理でも、後で持ってきてくれるからいいんだけどさ。酒が切れると、暴れるんだよな」


 オヅマはすぐに思い当たって眉を寄せた。酒に酔って当たり散らす人間の厄介さは、嫌というほど理解している。


「酒乱か……」

「いつもじゃないんだけどさ。いつもはどっちかというと、メソメソ泣いて……あー、でも泣きながら暴れてることもあったな」

「うわ、面倒くさ」

「まぁ、俺は酒だけ渡して帰ればいいから、いいんだけどさ……」


 言っている間に、その家の前にたどり着くと、レオシュは肩を大きく上下させて深呼吸した。

 住宅の立ち並ぶ場所からは、少しだけ離れたところにある、この辺りでは大きめの家だった。だが門扉は傾いており、荒れた庭を取り囲む外壁には蔦が生い茂っていて、まるで廃屋にも近い様相だった。

 半ば開いている門から、体を斜めにして入っていくレオシュの後にいて、オヅマも中に入った。門から玄関までの間には石畳が敷かれていたのだろうが、今や石は割れて、間から草がぼうぼうと伸びている。


「……ここに住んでるのって、貴族?」


 オヅマが尋ねると、レオシュは振り向いて頷いた。ひそひそと囁く。


「俺も詳しくは知らねぇんだけど、なんか公爵家から追い出されたらしいんだよ」

「公爵家から?」


 このアールリンデンにおいて公爵家といったら、グレヴィリウスを指す。しかし追い出されたということは、元は公爵邸で暮らしていたということになる。誰なのかとレオシュに訊こうとしたときに、玄関の扉が荒々しく開いた。


「早く買ってきなさいよ!」


 ガサガサの酒焼けした女の怒鳴り声が響く。同時に女に腕を引っ掴まれていた少女が、乱暴に放り出されて、オヅマ達の前に倒れ込んだ。見覚えのある服装と、薄いピンク色の髪を見るなり、オヅマは叫んだ。


「ティア!」

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