第三百三十六話 ズロッコの少年たちとラオの『実験』結果

 それからシャツが出来るまでの間、オヅマはひょんな事から下町にたむろする少年たちの一団と妙な縁を持つことになった。

 きっかけはオヅマが喧嘩を売ったことに端を発する。



 ズァーデンでの修行が思ったよりも早く終わり、オヅマは公爵邸に戻ってきていたが、案の定というべきかアドリアンらのいない七竈ナナカマド館(*小公爵専用の館)において、オヅマがすべきことなどほぼなかった。

 残った使用人はなべてオヅマに冷淡であったし、ひどいときには食事の用意を忘れていることもあった。

 居残り組の騎士団の面々も、口やかましい上役が不在となれば、当然ながらサボりがちで、朝の訓練以外は、ほぼほぼ自主訓練という名の休息だ。一騎士見習いの稽古相手をしてくれるような、熱心な騎士は残念ながらいなかった。(もっともこれはオヅマの所属がレーゲンブルト騎士団であったために、一部の騎士たちがやっかんで嫌がらせをした……という事情もあったりしたが)

 いずれにしろ、いたところで煙たがられるだけなので、オヅマとしても外に出ているほうが気楽だった。


 その日も朝の騎士団での訓練を終えると、オヅマは早々にホボポ雑貨店へ向かった。ラオに例の布交換の進捗状況を聞いてから、カイルを繋がせてもらって、市街地をうろつく。

 レーゲンブルトと違い、南北に広くのびたアールリンデンにおいては、町の様子も南と北で随分と違っていた。

 北東にある公爵邸周囲にはグレヴィリウス家門の貴族の別宅、それからやや裕福な商家の家々が軒を連ねている。そこから南に行くに従って、種々の商店が立ち並び、人が賑わう、いわゆる繁華街となっていく。

 オヅマは繁華街の中心となっている毎日市場の開かれる大広場を抜けると、雑然とした裏通りの道を進んだ。表通りを歩いていると、やたらと花売り娘やら、魚売りのおばさんに声をかけられて、いちいち断るのが面倒くさかった。


 裏通りはいわゆる下町で、庶民の生活圏だった。雑多な生活のにおいを感じながら歩いていると、騎士よろしく木剣をもった子供たちが、ワーワーといくさごっこをしながら走って行く。

 なんとなく気になってついていくと、彼らは塵の街ズロッコと呼ばれる地域(*いわゆるアールリンデンにおける貧民街)の、狭く入り組んだ道を迷いもせずに走っていき、やがて路地裏のやや開けた場所に出た。

 そこは下町に住む子供たちのたまり場であるようだった。

 下は三歳ほどから、上はオヅマと同じくらいの年齢の子供たちが群がって、それぞれに遊んでいる。端っこで道に絵を描いているおとなしいのもいれば、先程のチビっ子騎士たちと一緒になって、戦ごっこに興じる者もいる。

 オヅマはラディケ村にいたときの自分を思い出し、少しだけ懐かしかった。

 村でもそうであったが、オヅマ以上の年齢の子供がいないのは、多くは十三、四歳にもなると働き出すからだ。男の子だと、その頃には体つきもしっかりしてくるので、十分な働き手となる。おそらくあの頃、オヅマと一緒に遊び回っていた悪童たちは、今頃しっかり働いていることだろう。


 ざっと見て帰ろうとしたときに、路地裏の隅からビュンと聞き慣れた音がした。反射的に見ると、空になった林檎箱やらワイン樽やらが無造作に積まれた一角で、藁色わらいろの髪の少年が一人、剣の素振りをしている。年の頃はオヅマと同じくらい。背格好もそう変わらない。

 黙々と熱心に素振りする姿が、この路地裏の騒がしさからは一線を画していて、オヅマはしばらく見ていた。


「なんだよ、オマエ!」


 急に下から声がして、オヅマが下を向くと、チビっ子騎士が三人ほど睨みつけてくる。


「さっきから、俺たちのあとを尾けてきたな!」

「怪しいぞッ!!」


 精一杯の敵意を全身にみなぎらせて、チビっ子たちは怒鳴りつける。小さな尖兵せんぺいの甲高い声に、周辺で遊んでいた子供たちがわらわらと寄ってきた。


「オマエ、知ってるぞ! この前からここらをウロつきまわってる奴だろ!」

「なんか怪しいと思ったら、もしかしてサンドールのスパイか!」

「コイツ! また、叩きのめされたいか?」


 いきり立って詰め寄ってくる少年たちを、オヅマは興味深く見つめた。

 ラディケ村のような小さな村ですらも、多少の貧富の差から子供たちは二分されて、それぞれにグループをつくって対立していたのだが、やはりアールリンデンにおいてもそうしたものがあるらしい。

 数日、街を歩き回る中でサンドールという地域にも行ったことがあったが、ここに比べると、瀟洒しょうしゃな建物が並ぶ、やや裕福な中間層の住宅街だった。どうやらあちらにも似たような悪童グループがあって、彼らとは犬猿の仲らしい。


 さっきまで素振りをしていた少年が、ゆっくりとやって来てオヅマの前に立った。


「喧嘩、売りにきたのか?」


 低く唸るように言って、ズイとオヅマの鼻先に先程まで素振りをしていた剣を向けてくる。

 オズマはまじまじとその古びた剣と、固く張った筋肉を見つめた。


「へぇ…こりゃまた、重そうな剣だなぁ。これを毎日振ってたら、そりゃそんな腕にもなるわけだ」


 軽い調子で言うオヅマに、少年はギュッと深い皺を眉間に刻む。灰色の瞳がますます剣呑な光を帯びた。

 いよいよ本気になるのを見極めて、オヅマはワインの空樽に突っ込まれていた木剣を手に取った。


「買うか? 喧嘩」


 少年は平然と自分に尋ねてきたオヅマに一瞬鼻白んだ顔になったが、すぐにニヤリと頬を歪めた。一気に好戦的な表情になると、持っていた剣を近くの少年に押し付け、樽から木剣を取った。


「やれ! レオシュ!!」

「やっつけろ!」

「サンドールの奴なんかにレオシュが負けるもんか」


 平和だった子供たちの遊び場は、一気に殺伐たる闘技場となった。

 オヅマは木剣を構えながら、周辺から浴びせられる野次を悠然と聞いていた。

 どうやらこの藁色の髪の少年はレオシュという名前で、この一帯の悪童たちの親分格であるようだった。貴族の少年たちのような身分上の違いがない彼らにとって、喧嘩が強い、腕っぷしが立つというのは、わかりやすくリーダーとなる条件だ。


 カン、と乾いた音から始まった打ち合いは、そこから一刻近く続いた。

 周囲で騒ぎ立てていた血気盛んな少年たちでさえ、最後の方になるとフラフラになっているレオシュが心配になって、泣きそうな顔になっていた。

 勝負は既についていた。ただ、レオシュが負けを認めないので、終わらなかったのだ。とうとう息が上がって、レオシュが膝をつくと、オヅマはその鼻先に木剣を突きつけた。


「どうする?」


 問いかけたオヅマは息も上がっていない。

 レオシュは半ば化け物を見るように睨みつけてから、長い吐息と共につぶやいた。


「参った……」



 その後のズロッコの悪童団が、レオシュ以下、オヅマの前にひれ伏したのは言うまでもない。強いものに憧れる、という図式は、少年たちにとって最もわかりやすく、納得のいく基準なのだから。

 しかもオヅマがレーゲンブルト騎士団の騎士見習いであることを知ると、彼らの尊敬はますます深まった。少年たちにとって、騎士はやはり憧れの職業で、しかもグレヴィリウス公爵家の騎士になることは、アールリンデンに住む少年であれば、一度は夢見ることだった。

 この少年たちのオヅマへの羨望は、意外な形で意外な効果を生むことになった。



***



 エッダに頼んでおいたシャツが出来上がると、ラオはオヅマにそのシャツを着て街中を歩くようにと指示した。


「はぁ? なんで?」


 オヅマは意味がわからなかったが、ラオの『実験』に説明を求めるのも馬鹿らしくて、ともかく言う通りにした。というよりも、シャツの着心地が思った以上によくて、命令されるまでもなく、オヅマはシャツを毎日のように着た。

 するとすぐに反応したのは、ズロッコの少年たちである。

 彼らはオヅマのようになりたかったが、当然ながら稽古してもすぐに強くなれるわけではない。手っ取り早くとして、同じ恰好を真似るのは、当然のなりゆきだったろう。


 オヅマがシャツの元になった布のこと、それがホボポ雑貨店でと交換できることを教えてやると、少年らは先を争うように、納戸なんどの隅に置き捨てられていた毛布を持ってホボポ雑貨店を訪れた。そうして布を手に入れると、母親らに頼み込んでシャツを縫ってもらった。


 こうして下町の少年らが一様に似たようなシャツを着て、街中を闊歩かっぽするようになると、その先頭を歩くオヅマの端麗な容姿もあいまって、人々は彼らに注目するようになった。


 もうこの先は言うまでもないだろう。残り少ないシャツの布を求めて、多くの人々がホボポ雑貨店にやってきた。毛布を持って。

 新生しんせいの月が終わる頃には、サーサーラーアンが持ってきた布は、きれいになくなった。


「ハッハッハー! さすがワシ! たいしたもんだな、ワシ!」


 ラオは得意満面だった。臆面もなく自画自賛するラオに、エラルドジェイがあきれたように言う。


「功労者はほとんどオヅマだと思うけど?」

「わかってないな、ジェイ。こういうことはな、仕掛けた人間の手柄なんだよ。コイツは俺の指示で動いただけー」


 オヅマは内心でイラッとしたが、黙っておいた。

 今回のことで、実際ラオには色々と世話になっているし、自分としてはいいシャツを手に入れることもできたのだから。


 こうして、オヅマを広告塔にして布をさばくというラオの目論見は、紆余うよ曲折きょくせつを経ながらも、ひとまず成功したのだった。

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