第三百三十五話 針子の家の少女(2)

「え……ど、どこか、おかしいですか?」


 オヅマの言葉に、ティアはどこかおどおどしたように尋ねてくる。


「いや。おかしいとかじゃなくて。なんかのんびりしてるっつーか、あくせくしてないっつーか」


 オヅマとしては、どちらかというと褒めたつもりだったのだが、ティアはその言葉にシュンと肩を落とした。


「そんなこと……ないです。わたし…わたしも、ちょっとだけだけど、エッダさんのお手伝いして、きちんと働いて……ます」


 訥々とつとつとした口調ではあるが、ティアは断固として言う。

 オヅマはすぐに謝った。


「ごめん。なんか、嫌な気持ちにさせたんなら謝る。ちょっと、ここんところ、勢いのいいおばさん達の相手してたからさ。その二人に比べると、なーんかのんびりすんなぁ……って思っただけなんだ」


 ティアはすぐに顔を上げ、申し訳なさげに頭を掻くオヅマを見て、あわてて謝った。


「い、いいえ! あの、ごめんなさい。わたし…ひねくれて考えてしまって……あの、その……オヅマさんは悪くないです。わたしが、勝手に、いやなふうに取ってしまったから…ごめんなさい。あの……」

「あぁ! もういいもういい!!」


 オヅマは手を振って、ティアがそれ以上言うのを制止した。それでも申し訳なさそうに身をすくめるティアに、ビシリと言う。


「ティアは間違ってない。働いている自分を侮辱されたら、誰だって嫌な気分になるさ。まぁ、多少気にし過ぎって感じはするけど、別に駄目なことじゃねぇよ。それに、すぐに謝ってくれたしな」

「……ごめんなさい」

「だからもう謝るなって。それより、手伝いってなにしてんの? ティアも服とか縫うの?」


 オヅマはそれ以上ティアに謝らせないために、話題を変えた。


「あ、はい。わたし……刺繍が好きで。それで時々お手伝いしてます」

「刺繍かぁ。そっかー。あ、それじゃあさ、一つ頼んでいいか?」


 言いながらオヅマはポケットからハンカチを取り出した。

 白い簡素な綿のハンカチには、レーゲンブルト騎士団の紋章が刺繍されている。ミーナが自ら刺繍して、持たせてくれたものだった。


「これ、この紋章さ。これを襟とかに、あんまり目立たないように、小さく刺繍しておいてくれるか?」

「これ……あの、貴族の家の紋章ですか? あの、大丈夫ですか?」


 ティアは心配そうに尋ねた。貴族の家紋を勝手に刺繍したりすれば、当然ながら刑罰に処される。

 オヅマは笑った。


「大丈夫。俺、レーゲンブルト騎士団の見習いだから」

「あ…騎士様だったんですか?」

「いや、見習いだよ。見習い。だから、大っぴらにはできないけどさ。忘れないようにしておきたいんだ」


 ティアはその刺繍をしばらくじっと見つめていた。うつむいた顔の表情はわからない。


「レーゲンブルト騎士団って……グレヴィリウス公爵家の騎士団の一つ、でしたよね?」


 ボソボソと尋ねてくる声は暗かった。

 オヅマは急に硬化したかに思えるティアの態度に、首をかしげつつも頷いた。


「あぁ、うん。そうだけど。なに? なんかやりにくいか?」

「いえ」


 ティアは小さくつぶやいて、顔を上げた。ニッコリと笑っているが、どこか強張っているようにも見える。


「じゃあ、エッダさんに相談して、小さく刺繍しておきますね」

「うん。頼んだ」


 オヅマは快活に言って、前金を払うと出て行った。

 気にはなったが、あんな年頃から働くような子であれば、いろいろと事情があるのだろう。今日会ったばかりのオヅマが聞いて、そうやすやすと話すわけもない。まだあどけなさは残っていても、そうした分別だけはしっかり持っている……そういう目をしていた。


「……ん?」


 考えていると、なぜか会ったばかりの頃のアドリアンの顔が浮かんだ。

 萎びたニンジンみたいな顔をしていた、あの頃のアドリアン。

 脳裏にしばらく二人の顔を並べてから、オヅマは首を振った。

 大公爵家のお坊ちゃんと、下町の女の子に似たところなんかあるわけがない。

 …………たぶん。


***


 夕暮れ近くになり、また人通りの戻ってきた道を進んで、ラオの店に繋いであるカイルの元へと急ぐ。普段、オヅマは黒角馬くろつのうまのカイルに乗って、アールリンデンに来ていた。公爵邸とアールリンデン市街はさほど離れていないのだが、なにせ公爵邸自体が広いので、たとえアールリンデン市街に一番近い西門から出るとしても、歩きでは一刻近くかかってしまうからだ。


 戻ってきたオヅマに、今から飯屋に行こうとしていたラオが声をかける。


「おぅ。小僧、行ってきたか?」

「あぁ。頼んでおいたよ。何なんだよ、一体」


 オヅマはもう一度訊いてみたが、ラオはニヤリと笑って教えてくれなかった。


「言わん! うまくいくかどうかわからんからな!」

「……なんだ、また実験か」

?」

「いや……なんか試してるんだろーな、って思ってさ。アンタのことだから」

「小僧! 大人に向かってアンタとか言うな」

「アンタ時々子供みたいなんだからいいだろ」

「誰が子供じゃーッ!!」

「……そういうのだよ」


 オヅマはあきれたように言ってから、カイルにまたがった。

 

「帰るのか? 一緒に飯、食っていかんか?」


 こう見えて一人で食べるのはわびしいらしく、ラオは時々、オヅマを夕食に誘ってくる。エラルドジェイは、まだエッダと祝杯を挙げているらしい。

 オヅマはさっきの服の前払いで、手持ちの金がもうなかったので、ラオに尋ねた。


「おごってくれんの?」

「……とっとと帰れ」


 即座にラオはそっぽを向いて歩いていく。本当に、見事なくらいケチで、わかりやすい大人だ。だから信頼できるというのもあるのだが。


「なぁ、オッサン」

「……ラオ大人たいじんと呼べ」

「誰だよ、それ。なぁ、オッサン、エッダさんのところにいる女の子、知ってるか?」

「……なんだ、小僧。早速、恋の悩みか?」

「馬鹿か。そうじゃなくて、あの子、普通の町の子か?」


 あの場では初対面で詳しく聞くのもはばかられて、あっさり帰ったものの、やはり気になる。無論、ラオの言うような意味合いではなく、最初の印象から、どうしてもティアに違和感を持たずにいられなかったのだ。

 ラオは伸びた髭を軽く引っ張りながら思案する。


「エッダのところにいる娘ェ? 誰だ? ゾフィは違う店に奉公に出たと言っていたし」

「ティアだよ。ティアっていう、薄いピンクの髪の女の子」

「…………む」


 ラオは急に眉を寄せると、じろりとオヅマを見上げる。すぐに目をそらすと、フンと鼻を鳴らした。


「あの娘か……エッダもお節介な」

「なんで?」

「こっちの台詞セリフだ、小僧。なんでその娘のことを訊く?」

「なんでって……だから、あの子なんか、変だろ」


 オヅマの言葉に、ラオはまた髭を引っ張りながら、なにか探るような目つきで見てくる。


「例えば? どういうところが?」

「どういうところって……なんか、町の子にしてはその……おとなしいっつーか、穏やかっつーか」

「……品がいいか?」

「あ! そう、それ! なんか上品なんだよな、雰囲気が。話し方とかも」

「…………」


 ラオは一瞬沈黙し、ややあってため息とともにぼそぼそとつぶやいた。


「……やれやれ。ギョクは泥をまとっても玉か」

「は? なんか言った?」


 馬上のオヅマには聞こえなかった。だがラオはにべなく「知らん」とうそぶき、澄まし顔になって言った。


「その娘のことなら、どうせそのうちお前の耳には入ってくるだろうよ」

「へ? どういうこと?」


 オヅマにはまったく訳がわからない。ラオひとりが知ったかぶった笑みを浮かべ、分かれ道に来て手を振る。


「じゃあな、小僧。そうだ、その馬にさっき甘藷サツマイモ食わしてやったから、今度、金払えよ」

「はぁ? 頼んでねぇし!」

「小公爵様の近侍がケチなこと言うな。一銅貨ガウラン程度で」

「『程度』っていうんなら、それくらい奢れよ!」

「ケチじゃない金持ちはいない。金持ちになるにはケチじゃないとなー」


 もっともらしいことを大声で叫びながら、ラオはカラカラ笑って薄暮の道を歩いて行った。

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