第三百三十四話 針子の家の少女(1)

 エラルドジェイに連れられてエッダという針子の住む家を訪ねると、ドアを開いて出てきたのは少女だった。

 マリーと同じくらいだろう。頭に巻いた赤いスカーフから、薄いピンクの髪がゆるやかに波打って垂れている。その髪色は、いつか見たアドリアンの母・亡き公爵夫人リーディエを思い出させた。ただ瞳の色は赤みの強い茶色で、丸っこい、おっとりした目だ。

 まだあどけなく、ふんわりした柔らかな印象で、正直、こんな下町の雑多な場所には似つかわしくなかった。

 少女はまじまじと自分を見つめてくるオヅマに怖気おじけ付いたように、少し後ずさりしたが、ドアノブをしっかりと握りしめて、やや震えながら尋ねた。


「ど…どちらさまですか?」

「よっ! ティア! エッダはいるかい?」


 エラルドジェイがオヅマの背後からズイと乗り出してきて、気軽に声をかけると、ティアと呼ばれた少女は、途端にホッとした顔になった。


「ジェイさん! あ…あの、こんにちは。久しぶりです。あの、エッダさんは今、ちょっと納品に行ってて」

「あー、そっかー」

「あ、でもそんなに遠くないから。すぐに戻ってくると思います。あの、どうぞ」


 ティアは早口に言って、エラルドジェイとオヅマを招き入れた。

 招いても、針子の家で客人にお茶を出す習慣などない。勧められるまま、明らかにどこかで拾ってきたと思われる不揃いの椅子に座る。オヅマは気まずそうに立ち尽くすティアを、しばらく見るともなしに見ていた。


「おいおい~、お前。そうジロジロと見るもんじゃないぜ~。わかるケドさ~」

「は? なにが…?」

「ティアが将来別嬪べっぴんさんになりそうで、今でも思わず見とれちゃうのはわかるけど~」


 ジェイがふざけたように言うと、ティアは真っ赤になってうつむいた。

 オヅマはあきれたようにエラルドジェイを見てから、抗議しようとしたが、ちょうどその時にエッダが帰ってきた。


「あら! ジェイ!! やーっと私のところに来てくれたのね!」


 入るなり、エッダの目にはエラルドジェイしか見えていなかったようだ。ガバッとジェイに抱きついてからは、オヅマとティアの存在などお構いなしに、いちゃつき始めた。


「ひどいわ。こっちに来てるって聞いてから、ずっと待ってたのに、ぜーんぜん来てくんないんだものッ! どうせミリーゼのほうから会いに行ったんでしょう? でもあのコ、春には嫁ぐのよ。あー! だから今のうちにって、迫ってきたのね! そうでしょ?」


 エラルドジェイは軽くエッダにキスしたあとに、クルリと体をひねってオヅマを紹介した。


「エッダ、客。コイツがお前さんに仕事を頼みたいらしい」

「え? …なに?」


 エッダは久々の邂逅かいこうを邪魔されたと思ったのか、急に不機嫌になった。


「アンタ、誰?」

「オヅマ。この布で、服を作ってもらいたいんだ」


 オヅマがエッダに布を見せると、エッダは布地をスッと触ってから、オヅマから取り上げて、厚みやら触り心地を確かめていた。


「フーン。これでね。ハイハイ。請け負いましょう。で、誰の服? アンタの?」


 オヅマが頷くと、エッダはティアに指示した。


「じゃ、ティア。このコの採寸よろしく」

「えっ? あ、あの…はい」

「じゃ、私たちは、久々の祝杯といきましょう!」


 エッダは有無を言わさずエラルドジェイを引っ張って行く。エラルドジェイは仕方なさげに ―― とはいえ満更でもない顔で、エッダと共に出て行った。ドアの向こうから手を振るエラルドジェイを、オヅマは白けた表情で送り出した。


 本当に、あの男は…。

 この前にいたシュテルムドルソンでも、その前のズァーデンでも、行くところ行くところで気軽に女をつくる。

 とはいえ、驚くことでもなかった。でも聞き上手でやさしいエラルドジェイは、女に好かれていたから。特に、仕事でつらい目に遭っている女ほど。


「あ、あの…オヅマ…さん。あの…」


 後ろから怖々と呼びかけられて、オヅマは振り返った。

 どこかで見たかのような、赤い褐色の瞳と目が合う。


「あぁ、ごめん。ティアだっけか? それで、俺どうすればいいんだ?」

「あ、あの…そこに立っててもらって…」


 言われた通りに立っていると、ティアは踏み台を持ってきた。よいしょと台の上に立って、オヅマの肩にいくつか型紙を合わせていく。

 貴族の子弟などであれば、きちんと巻き尺などをつかって測り、なるべくぴったりにつくるのが当然とされたが、裕福でない平民がオーダーメイドの服をこしらえることは少なかった。彼らの多くはいくつかの大きさの型紙を合わせ、一番しっくりきたもので服をあつらえた。そもそも誂えるということすらも少ないくらいで、多くは他人の古着をもらったり、自分で作ることがほとんどだ。そのため針子という職業は多くの場合、その取引相手は中堅商家のおかみだったり、専門の仕立て屋テーラー、ドレスショップからの下請けなどであった。


「あの、オヅマ…さん。この服は、あの、お葬式用ですか? それとも…」


 ティアが聞いたのも、普段であれば服を誂えることなどしない平民が、わざわざ服を仕立てるとすれば、たいがい結婚式か葬式といった、礼装でしかなかったからだ。


「いや、訓練着っつーか、普段でも着るようなやつ。襟つきのチュニックみたいなのがいいんだよな。さっきジェイが着てたのみたいなやつ。あ、でもあそこまで丈が長いのじゃなくて、膝上くらいでいい。できたら胸にポケットがあると便利だな。あと肩口を補強して……」


 オヅマの矢継ぎ早な注文に、ティアはにわかにパニックに陥った。


「えっ、えっ…と、え、あの……」


 あわてた様子で型紙を持ったまま小さな部屋をうろつきまわる。

 オヅマはたまらず、プハッと吹いた。ちょこまかと動く様が、マリーを思い出させる。まるで小栗鼠リスのようだ。

 ティアは少し困ったような、けれどほんの少しだけムッとしたようにオヅマを睨んだ。


「あぁ、悪りぃ悪りぃ。なんか妹を思い出して…」

「妹さんが、いらっしゃるのですか?」

「うん。レーゲンブルトにいる」

「じゃあ、オヅマさんはこちらには…えっと、ご奉公に来たんですか?」

「あぁ、うん。まぁ、そんなやつ」


 オヅマは適当に答えてから、『奉公』という言葉にふっと笑みが浮かんだ。

 言われてみれば、今の自分の立場はアドリアン小公爵様にせねばならないのだろうが、これまでの自らの態度を振り返っても『奉公』というのは、しっくりこなかった。


 ティアは首をかしげたが、それ以上は聞いてこなかった。

 真面目くさった顔でオヅマの要望を小さな反故紙ほごしに書き、オヅマの体形に合った型紙と一緒にピンで留めた。


「いつ頃できそう?」

「あ…えっと、さっきドレスの仕事が片付いたから、たぶんそんなにかからないと思いますけど……おいそぎですか?」

「急ぐわけじゃないけど、さすがに一年後とかだと困るな」

「えっ? まさか…そんな……」


 ティアは戸惑ったようにオヅマを見てから、冗談だとわかるとクスクス笑った。

 穏やかな笑顔に、オヅマはその様子にうーんと首をひねって言った。


「なーんか、ティアって町の子って感じじゃないな」

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