第七章

第三百三十三話 ヤミとエラルドジェイ、ふたたび

 一方、帝都での騒動などまったく知らぬオヅマは、のんびりと新年を迎えていた。

 ラオは新年早々から店を開き、早速毛布とサーサーラーアンの持ってきた布の交換を始めたが、当初はその宣伝を見ても、交換に応じる人間は少なかった。

 やはりハヴェルの奉仕隊が公爵家にかかわっていることを知っており、そこからもらった毛布であるので、二の足を踏む人間が少なからずいたようだ。そのこと以外にも実質的な問題として、交換できるこの布について信用されなかったのもあるだろう。見慣れない西方の織り生地きじは薄くてやわらかく、庶民らの生活において最も必要とされる丈夫さがないと思われたらしい。


 オヅマはこの結果に少しばかりイラついた。


「わかってないな。この布ものすごく丈夫だし、乾きもいいってのに」

「お前、なんだ。知ってたのか、この布のこと」


 ラオに問われて、オヅマはハッとなる。こういうふとしたときに出てくるの記憶は、どう説明したものかわからない。


「えっ…と、えー…その、あれだ。クランツ男爵の弟が、生地屋なんだ。それで教えてくれたんだよ」


 咄嗟に出てきたテュコの存在に、オヅマは快哉を叫びたかった。

 ヴァルナルの弟であるテュコは生地屋というだけでなく、自ら新たな取引先を求めて旅して回るので、あちこちに顔が広い。

 最初の対面のときには胡散臭いオッサンと思ったが、その後に母たちの結婚式で会ったときには、交友関係の広さと、如才ない立ち回りには少々驚かされたものだ。レーゲンブルトの名だたる商家とすでに知り合いらしく、披露宴の片隅で彼らと新たな街道のことについて熱心に話し合っていた。

 あるいは今回、引き取った毛布についても、テュコであれば相談にのってくれそうだ。それに新たな商売を思いついては、いまいち根回しや資金組みといった実行性に欠けるラオと、そうした部分を補ってくれそうなテュコを会わせたら、面白いことになりそうな気もする。

 オヅマが考えている間に、ラオはラオでジロジロとオヅマを眺めていて、何かしら思いついたようだった。


「オイ、小僧」

「なに?」

「お前、この布でシャツでも作ってこい」

「は?」


 オヅマがキョトンとしていると、ラオはオヅマの買ったサーサーラーアンの布を渡してくる。


「ホレ。さすがに貴族様の着るような上品なやつは無理だろうが、お前、騎士の訓練のときに着るようなやつだったら、いくらあっても構わないだろう。そういうの作ってこい。腕のいい針子、紹介してやるから」

「はぁ…? なんで……」

「いいから言う通りにしろ。お前だって、この布さばきたいんだろ?」


 ラオは腕を組んで、いかにも自信ありげに言ってくる。

 オヅマは腑に落ちなかったが、あえて反論せずにおいた。こういうときのラオは、意外に冷静に物事を見て、手を打っているのだ。


「……わかった」


 オヅマは頷くと、布を手に取って立ち上がった。


「エッダっていう針子だ。家はジェイが知ってる。そこらウロついてるだろうから、適当に拾って連れてってもらえ」

「はいはい」


 オヅマはラオに言われるまま店を出ると、エラルドジェイを探した。

 夏の昼過ぎは、誰もまともに働いてなどいない。多くは家か店の中で涼みながら、夕暮れを待っている。夏になると昼の日差しはきついが、夕暮れを過ぎてからの風は涼しく、日も長くなるので、皆、夕方から朝に中断した仕事を始めるのだ。

 もっとも新年になったばかりのこの十日近くは、ほとんどお祭り気分で、誰もまともに仕事などしていない。商店なども仕入れ先が休みであったりするので、休みのところが多かった。活況なのは市場に集まる大小の露天売りや、羽振りのいい者たちからのチップを期待する、吟遊詩人や大道芸人たちくらいなものだ。

 ダラリと影で腹ばいに眠っている犬の横を通り、路上で駒取りチェスを楽しむ老人の輪をチラリと見やる。時々、エラルドジェイが相手しているのだが、今日はいない。

 建物の影を渡り歩き、角を曲がると、人気ひとけのない路地裏の細い道から、エラルドジェイの声が聞こえた。


「ついて来んな!」


 オヅマはとっさに息をひそめた。

 エラルドジェイが怒鳴ることなど、そうそうない。ふざけあってわめき散らすことはあっても、今のように苛立たしさを全面に押し出して怒鳴りつけることなど、滅多となかった。


「…やれやれ。こちらはお前のことは忘れていなかったというのに…つれないことだ」


 相手の声にオヅマはすぐさま身を隠す。間違いなく、この前会ったヤミ・トゥリトゥデスの声だった。

 そういえば、二人は知り合いのようだったが……?


「いちいち言い方が気色悪いんだよ! 失せろ! だいたいよくもノコノコ俺の前に、そのツラさらしてられるな。お前のせいで、こっちは死にかけたってのに」

「ハハハ。まさか山賊共が徒党を組むとはな。だがまぁ、お前のことだ。そう簡単に死ぬとは思ってなかったが、やっぱり死ななかったな」

「……死んで欲しかったのかよ」

「まさか。そんな訳がないだろう。俺とお前の仲で」

「だから、そういう気持ち悪いことを言うなっての!」

「そう言うな、フィリー。俺も最近は、大して面白味のない状況でな。贔屓ひいきにしていた店も、また出入り禁止になってしまったし」

「ヘッ! テメェのせいだろうが。いい気味だ。どうせまた度が過ぎたんだろうが」


 エラルドジェイは吐き捨てるように言う。オヅマに背を向けているヤミが、軽く肩をすくめるのが見えた。

 オヅマは本当に細心の注意を払った。この二人相手に気配を殺すのは、相当に集中が必要だ。まるで稀能きのうを扱うときのように、丁寧に呼吸を行う。効果があったのか、普段であればどちらかがとうに気付いていてもよさそうなのに、まだ会話を続けている。


「あれくらいでなんて、つまらない女だ。泣いて頼むから相手してやったというのに。本当につまらない」

「そこそこ慣れたねえさん相手に、何したら出入り禁止になるんだよ、お前は」


 ハーッとあきれたため息をもらすエラルドジェイに、ヤミは長い背を曲げて乞うように言った。


「お前みたいに、はそういないよ、フィリー。俺としては、理想形に近いんだがな」

「ふざけんなッ!」


 ベシリとヤミの美麗な顔を容赦なく叩いて、エラルドジェイがこちらに向かってくる。オヅマはあわててその場を離れた。人通りのあるところまで戻って、意味もなく噴水の周囲をぐるぐる歩いていると、エラルドジェイに声をかけられた。


「お前、なにしてんの? このクソ暑い中」

「あっ! ああ、エラ……ジェイ。その、探してたんだ」

「は? なに?」

「らっ、ラオからアンタに、エッダっていう針子のところに連れて行ってもらえって」

「あぁ…いいぜ。行こう」


 エラルドジェイはさっさと前に立って歩き出した。

 オヅマは背後からねっとりとした視線を感じた。おそらくエラルドジェイも感じているはずだ。だが、あえて無視しているのもわかった。オヅマとしても無視するしかない。

 ヤミの蒼氷色フロスティブルーの瞳が、興味深げにエラルドジェイとオヅマの背を見つめていた。

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