第三百三十一話 セオドアの来訪
マティアスはルーカスから近いうちに、オルグレン家から連絡が来ると言われていた。キャレの母親らの失踪を知ったら、すぐにも誰かキャレに会いに来るだろう…と。
案の定、キャレ(=カーリン)がファルミナから戻ってきて二日後に、オルグレン家からやって来たのは、異母兄セオドアだった。
「キャレの実母と姉が姿を消してしまいまして。弟が何か連絡を受けていないかと思い、来たのですが……キャレはどうしました?」
セオドアはいかにも心配しているふうを装って言ったが、その目は油断なくマティアスの挙動を探っていた。
マティアスはそれとわからぬよう、唾を飲み下してから、澄ました顔で言った。
「どういうことでしょう? 我らはキャレ公子が、実の母君から連絡を受けて、ファルミナに戻ったと聞いております」
「キャレがファルミナに戻った? そのようなこと、聞いておりません」
セオドアが責めるように言ってくると、マティアスはムッとなって言い返した。
「それをこちらに問われても困ります。我々も、そう聞かされただけですから。オルグレン家にはとっくにご連絡がいっていると思っておりました。そちらの領地のことですから。行き違いになっていることはありませんか?」
「それは……聞いて、おりません」
セオドアは小さい声で返事しながら、落ち着きなく目を泳がせた。
本来、キャレと親元であるオルグレン家との意思疎通が普通にできていれば、こうした問題は起こりようもない。こうして訪ねてきていること自体、普段からキャレとオルグレン家が相互に密な連携を取っていなかったことを示している。それは一族をまとめる当主にとっても、その後を継ぐ
「あの……キャレの実母から連絡ということですが、本当に実母からだったのですか?」
それでもセオドアは簡単に自分の非を認めたくないのか、おかしなことを聞いてくる。マティアスは眉をひそめた。
「僕がその連絡を受けたわけでもないので、わかりかねます。どうしてそのようなことを問われるのですか?」
「いや……キャレの母親は
「そのようなこと、貴家にだって執事なり従僕なり、代筆できる者はおりますでしょう?」
「我が家にあの女の代筆をしてやるような者……」
思わず口走ったセオドアの言葉に、マティアスは鋭く聞き返した。
「まさか、たとえ召使いとはいえ、当主の子を生んだ女性に対して、危急の用件を代筆することすら拒むような、そんな不届きな下僕がいるのですか?」
「えっ……い、いや! そんなことは……」
セオドアはマティアスの冷ややかな視線に、強張った笑みを浮かべた。「確かに…誰ぞ従僕が書いたのやも……」
マティアスは震えそうになる手をしっかりと互いに握りしめながら、ふぅと一つ息を吐くと、いつも通りのしかつめらしい顔で問いかけた。
「オルグレン家においてそのような認識であるならば、キャレは一体、どこに行ったのでしょうか? まさかと思いますが、近侍の役目を
マティアスが詰めていくと、セオドアはあわてて立ち上がった。
「いや、私もあわてて参りましたので、家内の者にきちんと話も聞かず……もう一度、確認してみます」
「そうなさって下さい。こちらとしても、十日間ほどの滞在と聞いておりますが、あまりに長くなるようでしたら、近侍の役目についても考えてもらわねばなりません」
「もちろんです。もちろん……すぐにも帰るように申し伝えますとも!」
「さすが稀代の口達者、ブラジェナ女史の息子だな。あの詰め方、大したものだ」
だがマティアスはあまり喜べなかった。今も背中に冷や汗が伝うのを感じながら、自分にはああいった交渉は向かないことを思い知るばかりだ。母であれば、いっそ嬉々としてやっていたかもしれないが。
マティアスは自分の未熟さをこれ以上語られるのも億劫であったので、早々に話題を変えた。
「しかし、キャレ…カーリン嬢についてはともかく、失踪した母親と弟のキャレについてはどうするんです? 彼らがセオドア公子に見つかったら、カーリン嬢がファルミナに行ったことも、向こうの知るところに……」
心配そうに尋ねるマティアスに、ルーカスはいかにも不思議そうに小首をかしげた。
「カーリンがファルミナに行った? 何を言っているんだ、マティアス。ファルミナに行ったのは、キャレだ。病気の姉に会いにキャレが行ったのだろう? そこで病気の姉が行方不明となったのか、死亡したのかは知らぬが、気の毒なことだな。動揺したキャレと母親が、失踪するのも無理はない。彼らはきっと、錯乱しているのだろう」
要するに、こちらにとっても、セオドア公子にとっても、切り札となるのはカーリンなのだ。彼女を手中にしておくことが、向こうに付け入る隙を与えないために、最も重要なことであって、キャレとその母親がたとえセオドアの手に落ちようとも、大して有効な反証とはなり得ない。
ましてエーリクからの話を聞く限り、キャレの知能にやや問題があるとなれば、彼らの言葉はまともに取り合ってもらえないだろう。(いや、取り合わないのだ。この場合)
無情だが、この世で弱者はいとも簡単に利用され、救われることは少ない……。
「………」
また冷や汗が背筋を流れる。自分はやはり大グレヴィリウス公爵家の、権力争いの中枢にやって来ているのだと、今更ながらに自覚する。
生唾を飲み込むと、マティアスはルーカスに
「それで、結局キャレ…ではなく、病気の姉はどこに行くことになったのでしょう?」
ルーカスはニヤリと頬を歪めると、それまでしていた肩の凝る話を追い払うように、明るく言った。
「あぁ、しばらくレーゲンブルトに行ってもらうことになった」
「レーゲンブルトというと、オヅマの……」
「あぁ、そうだ……」
ルーカスは頷いてから、ハッと思い出したように顔を上げた。
「そうだ。そういえばオヅマがいたな。アイツ、もう修行も終わってアールリンデンに戻っているだろうから、ついでにレーゲンブルトまで送らせよう。カーリン嬢も見知った顔がいたほうが、多少は安心できるだろうし、オヅマが仲介すれば向こうの家族も受け入れやすいだろう」
「それはそうですが……そもそも、オヅマはキャレが女だということを、知らないのでは?」
マティアスが冷静に尋ねると、ルーカスはポカンと口を開けた。
「…………そういや、忘れてたな」
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