第三百二十八話 ヴァルナルの一手

 しょんぼりと出て行くエーリクを見送って、ヴァルナルはつぶやいた。


「いい子だな……」


 同じ近侍が女であったと知って、大いに戸惑っているであろうに、ひとまずは自分の気持ちを押しこめて、主であるアドリアンの命令のために働き、かつての同僚であったキャレ(=カーリン)の不遇に同情して、懸命に彼女を守ろうとしている。

 ヴァルナルは騎士の訓練として、何度かアドリアンと共に近侍らの稽古もつけていたので、自然、エーリクのことも、剣を通してその為人ひととなりを理解するようになっていた。兄のイェスタフと違い、大胆な切り返しや駆け引き技といったような、見た目にわかりやすい派手さはなかったが、どっしりと腰の据わった、剛直な剣使いだった。

 真面目で実直、というのがエーリクに抱いた印象で、その通りの行動にヴァルナルは感心していた。


「まったくだ」


 ルーカスも同意してから、やや皮肉げにため息をもらした。


「ま。エーリクも例の妹御のせいで、いろいろと大変だったようだからな。妹に比べると、カーリン嬢の気の毒な状況には、一層、憐れみを感じることであろうよ」


 年末に開かれたグレヴィリウスの夜会で、とんでもない失態を犯したエーリクの妹、ルイース・イェガは、あの後すぐに母親と一緒に領地へと戻った。実質的な謹慎だった。

 エーリクにそれとなく事情を聞いたところ、実際には妹よりも母親のほうが精神的に参ってしまったのだという。婉曲な非難の手紙がしばらく続き、他家の夜会などに出ても、グルンデン侯爵夫人の息のかかった貴婦人連中が、ヒソヒソと噂しあって、針のむしろであったようだ。

 しかし母が弱るのに対して、娘の方は相変わらず大胆というか、思慮が浅いというか、エーリクにしつこくアドリアンの近況などを訊いてきたらしい。父母のどちらにも似ず、なかなか図太いお嬢さんらしい。

 もっともエーリクからその話を聞いたルーカスは、一切、妹にはアドリアンについての話をしないように厳命した。これ以上、あの娘に引っ掻き回されるのは御免である。


「それにしても、カーリン嬢についてはどうするんだ? ここでしばらく預かっておくのか?」

「あぁ……」


 ルーカスは苦い顔で頷いて、これからの予想される出方を考える。


 息子(向こうでは娘と思っているだろうが)と母が出奔したとなれば、おそらく当主であるオルグレン男爵に連絡はいくだろうし、セオドアも知ることになる。

 そうなればオルグレン男爵はさておき、セオドアは『キャレ』として送り込んだ妹に、母親たちの失踪について、何か知ってることはないかと尋ねてくるだろう。より確実な情報を知るために、直接会いに来るかもしれない。

 そのときにカーリンがセオドアを前にして、知らぬ存ぜぬとシラを切るのは難しそうだ。とてもではないが、今のカーリンに狡猾な兄の相手は手に余る。

 それにこの数日の変化は、確実にカーリンを中性的な子供から、女性にしていた。

 セオドアは妹がこれ以上嘘をつくのが限界と知れば、すぐにも行動を起こすだろう。

 近侍として行っていたのが実は妹で、父がとんでもない失態を犯した……と、ハヴェルを通じて、訴えてくるに違いない。表向きは謝罪として。

 そうなれば公爵家として、オルグレン家を叱責しないでは済まされない。

 当主・セバスティアンは責任をとって隠居。近侍が女だと気付かなかった小公爵に対する醜聞が一斉に放たれ、人々は面白おかしくさえずり合うのだろう。

 こちらとしては、一番良いのは、向こうに貸しを作ることだ。出来うれば、セバスティアンに。セオドアを蚊帳の外にして、現当主のセバスティアンに恩を売ることができれば、あちらの思惑を潰すことができる。……


「ルーカス」


 考え込んでいると、肩を叩かれた。ヴァルナルがいつの間にか近くに来て、顔を覗き込んでいる。


「また先の先の、先の先まで考えているだろう?」


 ややあきれたように問われて、ルーカスは苦笑した。


「まぁ……そうだな」

「まったく。駒取りチェスでもそうだ。卿は考えすぎて、動けなくなる。もっと単純に考えろ。とりあえず、今一番せねばならんことは何だ?」

「今……か」


 ルーカスはそれについては、すぐに答えた。


「今せねばならんことは、カーリン嬢……いや『キャレ』とセオドアの接触を避けることだな。なにせこの二人が会うのは避けたい」

「だったら、このままここでかくまっておけばいいじゃないか」

「出来ないこともないが……できれば同じ帝都にいるという状況を避けたいんだ」


 ルーカスは半ば独り言のように、思案をめぐらせながら言った。

 カーリンをこのままここに匿うことは可能だが、セオドアは公爵邸に『キャレ』がいない理由をしつこく問うてくるだろう。


「俺も周辺には注意しているが、万が一ということもある。もしここに『キャレ』がいるとわかったときに、正面から面会を求められたら、会わせないわけにもいかん。一応、肉親だからな」


 下手にシラをきって面会を拒絶すれば、向こうが強硬手段に出ないとも限らない。

 ともかく『キャレ』は帝都にいる限り、どこまでも不安要素なのだ。

 それはセオドアだけのことではなく、カーリン自身の性格もまた危うい。

 アドリアンへの恋心は認めるが、その思慕が募るあまりに突飛な行動をしないとも限らない。そもそも弟に成り代わって、公爵邸に来るという大胆な行動をとる娘なのだから。


 ルーカスの話を聞いていたヴァルナルは、要点をまとめた。


「ふぅ…む。つまり時間的にも距離的にも離しておきたいというわけか」

「あぁ。しばらくの間『キャレ』には公爵邸を出てもらって、奴らに利用されないようにしたい」


 ヴァルナルは公爵の知恵袋とも呼ばれる友が悩む様子を、興味深げにみてから、自分もしばらく考える。

 答えは意外に早く出た。


「じゃあ、カーリン嬢を我が領地にお招きしようか?」

「……なんだって?」

「カーリン嬢をレーゲンブルトに連れて行けばいいじゃないか? そうなれば、おいそれと連れてこいとも言えないし、自分で行くにしろ距離もあるし。ともかくは一定期間、会わずには済むだろう」


 ヴァルナルの申し出がピースとして差し出されると、次々とルーカスの頭には今後の計画が絵を描くように映し出された。


「そうか……二人だけがいなくなるから問題になるわけだ。いっそ三人ともいなくなったとなれば……」


 つぶやいて、ルーカスはニヤリと笑った。


「さすがはクランツ男爵。いい一手を示して下さった」

「そうか?」


 ヴァルナルは首をかしげつつも、気分は良かった。切れ者と自他共に認められている公爵の右腕が、こうした駆け引き事で他者を褒めることは滅多とない。思わず頬が緩んだ。


「ま、ウチであればマリーもいるし、オリヴェルもいるから、カーリン嬢が寂しく思うことも少ないだろう」


 胸を張って請け負うヴァルナルに対し、ルーカスはこの件において一番協力を仰がねばならない人物のことを思い出した。


「おぉ、そうだ。クランツ男爵夫人には、迷惑をかけることになるな」


 妻のことを指摘されると、ヴァルナルは待ってましたとばかりに、自慢の妻についてのろけまくった。


「大丈夫さ。ミーナは本当に心優しい人間だからな。事情を話せば、むしろカーリン嬢に同情して、色々と世話を焼きたがることだろう。この前も怪我した雛鳥の面倒を見てたくらいだからな。ちゃんと怪我を治したら、空に放ってやって……今でも時々、庭の木に来るらしい。マリーが楽しみにしていて……」


 ルーカスは軽く天を仰いだ。

 この前の飲み会でもそうだが、ミーナの話になるともう止まらない。止める手立てのないまま、いよいよミーナが少女の頃に世話してやって、そのまま懐かれたという蛇の話に及んだときに、ちょうど都合よく扉がノックされた。


「おぅ! 誰だ? 入れ」


 ルーカスが殊更大きい声で返事すると、やや驚いたように、目を丸くしながら入ってきたのは妹のハンネだった。

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