第三百二十二話 錯綜する思惑(2)
サビエルは待機中に用意していたお茶を、手早く各自の近くのテーブルに置いた。やや冷めかけたお茶を、ルンビックは静かに一口含み、ルーカスは喉が渇いていたのか、すぐに飲み干した。アドリアンは手もつけない。
ヴァルナルは入るなり妙な緊張感が漂う雰囲気に、困惑したようにつぶやいた。
「なんだ、一体……? 小公爵様まで。このような時間に」
ルーカスが「まぁ、こっちに来い」と呼ぶと、ヴァルナルの動きに合わせて、サビエルがさりげなく椅子を持ってくる。用意された椅子になんとなく座ってから、ヴァルナルはどこか落ち着かない様子で、その場にいる人間を見回した。
しかしルーカスはヴァルナルの物問いたげな視線を無視して、まずはエーリクに声をかけた。
「カーリン嬢は? ちゃんと送ったか?」
「はい。ちゃんと鍵もかけさせました」
「よろしい。満点の回答だ」
ルーカスは言ってから、軽く顎をしゃくって、さっきまでエーリクが座っていた椅子へと
サビエルは全員が着席したのを見計らって、再び部屋から出て行った。
「おい、どういうことだ? いきなり出て行って、なかなか戻ってこないからどうしたのかと思って来てみたら……」
実のところヴァルナルとルーカスは、さっきまで二人で、亡くなった友人たちを偲んで飲んでいたのだが、そこへサビエルが慌ただしくやって来て、家令がルーカスを呼んでいる旨を告げた。ルーカスが出て行った後、ヴァルナルはしばらく一人で飲んでいたが、どうにも落ち着かない。何かあったのだろうかと思い、家令の部屋に向かう途中に、沈んだ様子のエーリクに会い、彼も同じ部屋に向かっていたので、一緒にやって来たのだった。
「一体、何があったんだ?」
ヴァルナルが尋ねると、ルーカスは唐突に言った。
「困ったことになった。キャレ・オルグレンが女だったんだ」
「は?」
「本当の名前はカーリン・オルグレンだそうだ。女だと思って見たら、確かに女だな。どうして今まで気付かなかったんだか不思議だ。どう考えても力も弱いし、体つきも細いし、声にしても……」
「おいおいおい。待て。ちょっと待て。いきなり何を言い出した?」
ヴァルナルは突然すぎて意味が理解できず、遮って再び尋ねたが、ルーカスの答えは同じだった。
「小公爵様の近侍であるキャレ・オルグレンは、女だったと言ってるんだ。で、彼女をどうしようか……というのが、今の議題だ」
「…………さっぱり理解できん」
「私がご説明しましょう」
ルンビックがかいつまんで説明すると、ヴァルナルは百面相になりながらも、どうにか納得したようだ。ブツブツと口の中で起こったことを反芻してから、ルーカスに確認した。
「つまりオルグレン家、特にセオドア公子に知られることなく、カーリン嬢をファルミナに戻したいということか」
「まぁ、そうだ」
ヴァルナルはさほど考えることもなく言った。
「そんなこと、
ルーカスは特に驚きもせず、頷いた。
「ま、そうなるよな」
「問題でもあるのか? よっぽどの重病人というなら仕方ないだろうが……」
「いやぁ、カーリン嬢の説明を聞く限りは、母親が大袈裟にしているだけのような気がするな。そもそも最初は弟に行くように言っていたくらいなのだから、もし、本当に歩けぬほどの重病人ならば、そんな提案もしないだろう」
ルーカスの言葉に同調したのはエーリクだった。
「僕も、さっきキャレ……カーリン嬢に少し聞きました。弟の病状はそんなに悪いのかと。でも、聞く限りは普通に飲み食いもしていて、多少、言語不明瞭なところはあるようなんですが、少なくとも病気というほどの症状でもないような気がします」
「なるほど。お前もあらかじめ考えていてくれたんだな、エーリク。カーリン嬢の行末について」
ルーカスは少しばかり意地の悪い微笑を浮かべたが、エーリクはキョトンと目をまたたかせてから、真面目な顔で言った。
「僕は前にセオドア公子がキャレ……カーリン嬢を、その……
ルーカスは至って純粋なエーリクの言葉に苦笑した。どうにも自分はスレた大人だと、自分自身のうがった見方に辟易する。
「じゃあ、つまりカーリン・オルグレンをファルミナに戻し、弟の本物のキャレを連れてきたら、それでこの件については終わりということか?」
暗い声で問うてきたのは、それまで黙りこくっていたアドリアンだった。声と同じく暗い
ルーカスはアドリアンに向き合うと、軽く首をかしげた。
「気に入りませんか?」
「……オルグレン家については、不問ということか。セオドア公子も」
「そうですな。この場合、彼らを糾弾することこそ、あちらにとっては好機となりかねませんから」
「………そうか」
アドリアンはほとんど消えるような声で言うと、立ち上がった。
「じゃあ、明日の早朝にもカーリン・オルグレンをファルミナに連れて行ってくれ。黒角馬なら半日で行けるだろう。エーリク、君が連れて行け」
淡々とした口調で命令して、出て行こうとするアドリアンに、エーリクはあわてて問いかけた。
「あのっ、キャレにはもうお会いにならないのですか?」
アドリアンはジロリとエーリクを見た。その鳶色の瞳は、父公爵と同じくどんよりと曇っていた。
「……キャレには、会おう。君が連れてくれば。だが彼女はキャレではない。もう会う必要もないだろう」
そのまま呆然となるエーリクを残して、アドリアンは部屋から出て行った。
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