第三百二十一話 錯綜する思惑(1)

「それで、どうする?」


 ルンビックが尋ねると、ルーカスはさっきまでキャレの座っていた椅子に腰掛けてから、壁にはりついていたサビエルに声をかけた。


「密談には喉を潤すものが必要だ。頼めるか?」


 サビエルは無言で頭を下げると、部屋を出た。これで本当に茶を持ってくるのは、従僕としては真面目だが、状況理解ができない愚か者に分類される。つまりはしばらく部屋を出ろ、という含意がんいなのだ。

 三人だけになった部屋で、ルーカスはまず、アドリアンに声をかけた。


「随分と怒っておられますねぇ、アドリアン様」


 ややからかうような口調に、アドリアンはムッと眉を寄せた。「当然だろう」と憮然として言うと、ルーカスはハハハと声に出して笑い出す。


「なにがおかしい?!」


 アドリアンが憤然と抗議すると、ルーカスは笑いをおさめ、鋭く問うた。


「それはキャレ……改めカーリン嬢が小公爵様をたばかっていたとお考えになるからですか? それとも自分が知らぬまま、初潮はじまりを迎えたような女性を近くに置いていたという、後ろめたさからですか?」


 アドリアンは言い返そうとして、唇を噛み締めた。

 正直、キャレが女であったことを知ったときに、すぐに思い浮かんだのは今日、シモンに言われたことだった。



 ―――― そのように可愛らしい近侍では、小公爵もをかけられるのでは?



 アドリアンにまったくその気はなくとも、周囲にはなんとなく見抜かれていたのだろうか。そう思うと一気に恥ずかしくもあり、知らぬまま同じ年の女の子と無邪気に接していた自分に、ひどく苛立った。

 同時に、急に見せられた女性の証に反射的な嫌悪と、罪悪感も感じた。

 それにシモンの言いがかりから、せっかく自分を庇ってくれたランヴァルト大公や、ダーゼ公女にも申し訳ないような気持ちになり……ともかく、アドリアンはすっかり混乱していたのだ。

 この内心の動揺を抑えるために、これまで騙してきたカーリンの責任にして、己の怒りを正当化したかったのかもしれない。

 押し黙るアドリアンを見てから、ルンビックが軽く首を振った。


「仕方なかろう。まだ小公爵様のご年齢であれば、こなれた対応などできるはずもない。ベントソン卿の息子がいてくれたお陰で、そう騒ぎになることもなく済んだのだ。後からねぎらってやってくれ」

「ハハ。それは家令殿の方から直接言ってやって下さい。私が言ったところで、素直に受け取る息子ではございませんのでね。さっきも白い目で見られて、背筋が凍りそうでしたよ」

「……妙なところで似た者親子だの」


 あきれたように言って、ルンビックは「それで……」と本題に入った。


「どうしようとお考えだ? 策士殿は」

「そうですな。普通であれば、小公爵様の申される通りに、オルグレン家の失態を糾弾した上で、相応の罰を与え、カーリン嬢を送り返す……という手順なのでありましょうが」

「それでは問題があると?」


 ルンビックの問いかけに、ルーカスはうっすらと笑みを浮かべたが、その青い瞳は冷徹に揺れるランプの炎を見つめていた。


「もし、そうなった場合、オルグレン家への処罰は公爵閣下がお決めになるとして、面目を失ったオルグレン家においては、現当主であるセバスティアンが、当主としての資格を問われることでしょうな」

「それはそうであろう。知っていたにしろ、知らなかったにしろ、このような失態……おそらく隠居して、身を引くことを余儀なくされるであろうな」

「その場合、誰が一番得をします?」


 ルーカスの問いかけに家令は太い眉をピクリと動かし、アドリアンはハッとした顔になった。

 ルーカスは腕を組むと、背もたれにのっしりと寄りかかった。


「先程、カーリン嬢も申されておりましたでしょう。セオドア公子はあるいはわかった上で、自分を寄越したかもしれぬ、と。もしそうであるならば、遅かれ早かれ、こうした事態になることは予想しておったでしょうし、むしろ企図きとしていたかもしれません」


 ルーカスの話に、アドリアンはカッとなった。

 要するに、男爵家におけるお家騒動に巻き込まれたのではないか。継嗣けいしがいつまでも居座っている当主を失脚させるために、妹を使って、アドリアンを利用したのだ。


「もしそうなら、なおのこと、そのことを問い詰めればいいじゃないか! わざとわかった上で、キャレ……妹を近侍として寄越すなど、僕を馬鹿にしたも同然だ!」


 ルーカスは肩をすくめた。


「それは先程も申しました。問い詰めたところで『知らなかった』『我々も騙されていた』と、シラを切るのがオチだと。カーリン嬢の話からすると、数年に及んで、弟君と入れ替わっていたようですからね。ましてオルグレン家からは見向きもされていなかった、というのであれば、カーリン嬢が双子の弟と入れ替わっていたことを知らずとも無理はない。おそらく父であるセバスティアンなどは、本当にまったく知らぬことでありましょう」

「…………」


 アドリアンは黙り込んだ。ルーカスの言うことは、いちいちもっともで反論の余地もない。アドリアンとしては、ただただ自分の無力さを痛感するだけだ。


「……セオドア公子といえば、確か、ハヴェル様の近侍となるべく名前が挙がっていたな」


 ルンビックが思い出したようにつぶやくと、ルーカスは大きく頷いた。


「えぇ。結局、ハヴェル公子は公爵家から出ましたから、正式な近侍というものでもありませんが。ただ、継承順位二位の立場に見合った待遇を、という閣下のご配慮で、公爵家からもハヴェル公子には、相応の予算が組まれておりますからな。その範囲内で、有力な子息を集めたのでしょう。オルグレン卿の亡くなった前夫人は、グルンデン侯爵夫人の取り巻きでもありましたしね」

「では、此度こたびのことで、セオドア公子まで罰するとなれば……」

「当然、黙ってないでしょうね。過重罰かじゅうばつだと、言ってくるでしょう。実際今回のことで、当主のセバスティアンはともかく、嫡嗣ちゃくしのセオドアにまで責任を問うのは難しいでしょうしね。……ま、こういう狡猾こうかつな、いやらしいことを考えそうではありますよ。あの女狐の使いのてんは」


 内心の不機嫌が噴き出したかのようなルーカスの隠喩いんゆに、ルンビックは軽く息をついた。

 彼の言う女狐がグルンデン侯爵夫人ヨセフィーナを指し、その使いっ走りの貂がハヴェルの補佐たるアルビン・シャノルを指すことは明白だった。理由はアルビンが勝手に貂をモチーフとした家門紋章をつくり、さりげなく襟やハンカチなどに刺繍していたからだ。もっとも、シャノル家は正式なる貴族ではなく、皇府に紋章使用のための届け出もしていないので、これはあくまで私的なものとみなされ、その増長ぶりを苦々しく思う者も多かった。ルーカスも当然ながらその一人である。


「やれやれ。ベントソン卿もまだまだ、青いところがおありのようだな。あのような若造相手に、口を汚すこともなかろう」

「お気になさらず、家令殿。その名前を言えば、かえって口をすすぐ必要がありますので、別名を呼んだまでです。貂はかわいい動物ですからね」


 にっこりと笑う公爵の右腕に、ルンビックはもはや意見することは諦めた。


「いずれにしろ、この状況下においてオルグレン家の失態は明白であるとしても、その責任を問われるのは当主たるセバスティアン卿で、彼が隠居やむなしとなれば、次に継ぐのはセオドア公子となるわけだ」


 ルンビックがまとめると、ルーカスはまた真面目な顔に戻って頷いた。


「正直、セバスティアン卿が無能であることは知られておりますからな。公子にとってはロクに仕事もせずに、いいとこ取りだけする鬱陶しい父親を排斥はいせきできるのだから、オルグレン家の評判が落ちたところで、さほどのことでもない。それにあののことだ。こちらがオルグレン家の非を言い立てれば、同じように言ってくるでしょうよ。『数ヶ月もの間、近侍として仕えさせておいて、気付かないとは、小公爵様も、周囲にいる人間も、少々愚鈍であろう』と」


 言いながらルーカスはチラとアドリアンを見た。

 肘掛けに置いた拳がかすかに震えている。普段の物腰柔らかな態度は母であるリーディエを思い起こさせるが、こうして怒りを押し殺す様は、公爵である父エリアスそっくりだった。

 ルーカスはアドリアンの気を紛らすように、少し自嘲気味に告白した。


「私も少々迂闊うかつでしたよ。今にして思えば、気付いている者もいたのです。それとなく示唆しさされていたようですが、生憎とまったく思い至りませんで……」


 話しながらルーカスの脳裏に、ヤミ・トゥリトゥデスの言葉がよみがえる。



 ―――― あの年頃であれば、男女の性差について、色々と悩みをかかえる時期であるのかもしれませんね……



 わざわざキャレが深夜に図書室を訪れたことも含め、ヤミがわざわざキャレの持って行った本の題名まで言ってきた時点で奇妙だと思ったのだ。

 あの時はヤミが、諜報組織・鹿の影の一員だという言質げんちを取ることばかりに頭がいって、キャレとのことはただの雑談としか考えていなかった。


「今更、言うても詮無せんなきことはさてき、それで結局カーリン嬢と、オルグレン家の処遇についてはどうするのか?」


 ルンビックに結論をうながされ、ルーカスは軽くため息をついた。


「さて、それです。こちらとしても、セオドア公子の思惑に乗ってやるつもりもなし……かと言って、女子であるカーリン嬢を近侍のままにしておくこともできません。一番よろしいのは……」


 言いかけたときに、コンコンと扉をノックする音が響いた。返事する前に、サビエルが客の来訪を告げる。


「クランツ男爵が来られました。それとエーリク公子も戻っておみえです」


 ルーカスはチラリとルンビックを見て、無言の承諾を得ると「入ってもらえ」と返事した。少し戸惑うアドリアンに、ニヤリと笑ってみせる。


「せっかくですから、ここはクランツ男爵の見解も伺うとしましょう」

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