第三百二十話 キャレの秘密(3)

 それはエーリクの勘であった。グレヴィリウス家で催された夜会での、キャレと兄であるセオドアとのやり取り。あのときに感じた異様な雰囲気は、ずっとエーリクの中で違和感としてくすぶっていたが、今日ここに至って、ようやく腑に落ちた気がする。


「キャレは……あ、いえ、この…子、が弟と入れ替わっていることに、兄であるセオドア公子は気付いていたかもしれません。もし、わかった上で、ここに越させたのであれば、むしろ非はセオドア公子にあるのではありませんか? キャレに……この子だけに罪を与えるのはおかしいです。選択の余地なんて、ほとんどなかったんですから」

「ふ……む」


 ルンビックは気難しく頷いてから、カーリンに尋ねてきた。


「どう思う? カーリン。君は兄のセオドア公子が、君が女であることをわかった上で、ここに来ることを止めなかったと、証明できるかね?」

「…………」


 カーリンは暗い顔でうつむいた。あの時、確かにセオドアは言った。



 ―――― 行っても構わないぞ……



 だが、それで言質げんちを取れるわけがない。あれはカーリンとセオドアだけの会話で、セオドアが「そんなことを言った覚えはない」と言われればおしまいだ。そうして十中八九、セオドアは「知らなかった」と言うに決まっている。

 沈んだ空気を切り裂くように言ったのは、アドリアンだった。


「そんなことはどうでもいい」


 ルンビックはそれまで黙っていた小公爵の冷たい声音に内心驚きながらも、静かに尋ねた。


「小公爵様におかれては、どうお考えでありますか?」


 アドリアンは爪が食い込むほどに強く肘掛けを掴みながら、一切カーリンを見ることなく、冷ややかに断じた。


「ここにオルグレン男爵のであるキャレではなく、カーリンというを寄越したということだけでも、オルグレン家のあやまちだ。僕らのすべきことは、彼らの失態を指摘し、責任を追及したうえで、彼女を送り返すだけだ。それ以上のことをこちらが考えてやる必要があるのか?」


 常になく冷たいアドリアンの態度に、声を上げたのはエーリクだった。


「小公爵さま! オルグレン家において、キャレが弱い立場であることは、小公爵さまもご存知ではないですか。今日のことだって、これ以上、キャレの立場が悪くなることのないようにと、考えられたうえで ―――」

「この子はじゃないだろう!」


 アドリアンは鋭く叫び、エーリクの言葉を遮った。エーリクがうっと詰まると、アドリアンは憤然と立ち上がって、カーリンの前へと歩いていく。

 伏せた目線の先にアドリアンの足が見えて、カーリンの背に無言の圧力がずっしりとのしかかった。


「顔を上げろ」


 冷たい命令が降ってきて、カーリンはゆっくりと顔を上げた。いつもやさしく自分を見てくれていた鳶色とびいろの瞳に、かつてないほどの怒りを感じて、カーリンは唇を震わせ、涙をにじませた。

 そんなカーリンの痛ましい姿にも、アドリアンは苛立たしさしか感じないようだった。


「まるで自分が被害者のように振舞うんだな。けれど、君が僕らを騙していたことに変わりない。違うか?」

「……っ…す、すみま…せ…」

「謝罪はオルグレン家にさせる。明朝にも、男爵と嫡嗣ちゃくしであるセオドア公子に来てもらい、彼らに引き取らせろ」


 そのままアドリアンは部屋を出ようとしたが、重苦しい雰囲気をかき混ぜるかのごとく、軽い声が響いた。


「そう簡単にも参りませんよ、小公爵様」


 アドリアンがキッと睨む先にいたのは、ルーカス・ベントソンだった。いつのまに入ってきていたのか、暗がりからゆっくりと姿を現す。


「……どういうことだ? ベントソン卿」


 厳しくアドリアンが問いかけると、ルーカスは肩をすくめて、カーリンをチラと見下ろした。泣きそうな顔を見て、困ったような苦笑いを浮かべる。


「こんなか弱いお嬢さんだというのに、気付かなかった我らの不明も糾弾きゅうだんされますよ」

「な……僕らは、騙されていたんだぞ!」


 アドリアンは抗議したが、ルーカスの表情は平然としたものだった。


「そうですね。しかしグレヴィリウス家の若君であらせられるアドリアン小公爵様が、このような小娘にまんまと騙されたということのほうが、より面白い醜聞しゅうぶんとして吹聴ふいちょうされることでしょう。地方の一男爵家に過ぎないオルグレンの失態しったいよりも」


 アドリアンはギリッと歯噛みした。固く握りしめた拳を、どこに振り落ろすこともできないまま踵を返して足早に戻ると、先程まで座っていた椅子にドスリと腰を降ろす。

 ルーカスはまだ怒りが収まらない様子のアドリアンを、少しばかり愉しげに見てから、カーリンに目を向けた。


「さて。では、カーリン嬢。もう一度、伺いましょう。君の見るところ、セオドア公子や父上は、君をと承知で、ここにさせたと思われますか?」


 この場に来てから初めてやさしく問われて、カーリンはホッとなると同時に涙があふれた。ルーカスは慣れた様子で、胸元のポケットからハンカチを取り出し、カーリンに渡すと、なだめるようにその震える肩を、トントンとやさしく叩いてやった。

(ちなみに、一連のを見ていたサビエルは、部屋の隅に控えながら、やや白けた目で父親を見ていた。)


「父は……ほとんど会って、おりませんから、存じ上げないと…思います。兄は……おそらくわかっていた…かも、しれませんが……」


 切れ切れにカーリンが言うと、ルーカスが後を続ける。


「わかっていた上で寄越したにしろ、このことを糾弾したところで、彼は『知らなかった』とシラを切る、そうお思いですね?」


 カーリンは涙をぬぐいながら、コクリと頷いた。ルーカスは得心したように軽く目を閉じると、カーリンの手を取った。


「よろしい。では、カーリン嬢への問責はこの辺にしておきましょう。今日は色々と疲れておられるようですからね。エーリク。お前、部屋まで連れて行って、戻ってくるように。カーリン嬢、念のため部屋の鍵を閉めて、おやすみください」


 思わぬ幕切れにカーリンは戸惑った。


「え、でも……私は……牢屋に入れられるのではないのですか?」


 おそるおそる尋ねると、ルーカスはクスリと笑い、ルンビックはため息をつきながら首を振った。


「そんなことをするつもりは毛頭ない。いいから、今日のところはベントソン卿の指示に従って、ちゃんと寝なさい」

「……はい、わかりました」


 カーリンが立ち上がると、ルーカスが支えていた手をエーリクへと差し出した。エーリクはぎこちなくカーリンの手を取ると、ギクシャクしながら扉へと歩いていく。

 カーリンは部屋を出る寸前に、チラとアドリアンを窺った。けれどやはり、暗がりに静かに腰掛けるその姿からは、明らかな拒絶が感じられた。

 カーリンは胸を押さえた。

 アドリアンの言う通り、自分が騙したのだから、怒って当然なのだ。

 仕方ないのだと言い聞かせても、やはり涙は止まらなかった。頭を下げて、泣き濡れるカーリンの前で、扉は無情に閉まった。

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